第351話 『 これまでの健闘とこれからの将来を願って 』


「まさか私より晴さんの方がお風呂長いとは」

「知り合いに会ってな。それで世間話してたんだよ」


 先輩作家に会っていたことを話せば、美月は珍しい、と目を見開く。


「それなら是非一度お会いしたかったですね」

「なぜ?」

「晴さんの妻だと挨拶したかったです」

「お前の事知ったら驚くだろうな」


 話している最中も美月のことはあまり触れなかったので、その正体を知ったらさぞ驚愕することだろう。


「人生の先輩として色々とアドバイスもらったわ……まぁ、後半は俺がお前に普段どんなことしてるのか聞かれたがな。おかげで『立派な旦那さん』認定されてしまった」


 苦笑しながら言えば、美月はくすくすと笑って、


「過大評価と思ってるんですか?」

「実際そうだろ。実情はお前にお世話されっぱなしなんだし」

「それこそ過小評価です。晴さんは人としてはともかく、夫としてはむしろ最良と言えますよ」

「そうかね」

「私が断言するんですから、そうなんです」


 紫紺の瞳が真っ直ぐに晴を見つめながら告げて、それに思わず照れくさくなってしまった。


「そうっすか」

「ふふ。照れた」

「妻にいい旦那認定されたからな。悪い気はしない」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべる美月。


 いつもは晴が照れさせるのに、今回は美月にやられてしまった。

 心に妙なむず痒さを覚えながらも、晴は賞賛を尽くす妻を見れば、


「浴衣にポニテだったか」

「どうですか、似合ってます?」

「ラノベの表紙を飾られるくらいには似合ってる」

「それって賞賛として受け取っていいんですか?」

「これ以上ない賞賛だろ」

「なんとも反応に困る評価ですねぇ」


 でも有難く受け取っておきます、と微笑む美月に、晴も満更ではなく口許を綻ばせる。


 風呂上がりの浴衣姿。束ねた髪はまだしっとりしていて、揺れた隙間から覗くうなじがなんとも艶めかしかった。


「なんですか、人のことジッと見て」

「べつに。煽情的だなと思って」

「こんな公の場で興奮しないでください」

「思っただけで興奮はしてねぇ」


 ぺし、と腕を叩かれて、口を尖らせながら抗議。

 それから美月はぽっ、と頬を朱に染めて、


「……ご飯食べたら、一緒にお風呂に入る約束なんですから、それまで我慢してください」

「それは反則だろぉぉ」


 袖で口を隠しながら、晴にだけ聞こえる声で呟いた美月に、晴は悶絶させられてしまったのだった。


▼△▼△▼▼



 ――夕食は懐石料理ということで、仲居さんの料理の説明を聞きながら食べ進めていた。


「うまうま」

「ふふ、随分と美味しそうに食べられますね」

「この人食べるの好きなので」


 箸の止まらない晴に仲居さんが微笑ましそうに口許を緩め、美月はというと恥ずかしそうに苦笑する。


「お昼あんなに食べたのに、その食欲はどこから来るんですか?」

「普段から美味いものをたくさん食ってるから、そのおかげで胃の許容上限キャパシティーが増えたんだろうな」

「へぇ、奥様、まだお若いのにお料理上手なんですね」

「絶品ですよ」


 と答えれば、聞いていた美月が顔を赤くして「こらっ」と叱ってきた。


 晴としては事実を述べたまでて、怒られるような事は言ってないと思うのだが。


「ふふ、まさかこんなお若いお二人に当店をご利用して頂けるとは」

「義母がこの機会を設けてくれたんです。たぶん、新婚旅行に行ってきなさいといった感じで」

「まぁ、それではその奥様にも感謝しないとですね」


 当店を心行くまでご堪能ください、と頭を下げられ、晴と美月ははい、と笑みを浮かべながら頷く。


「ふふ、それでは私はそろそろ失礼させて頂きます。……仲睦まじいご夫婦の邪魔をするのも忍びありませんし」


 最後に砕けた表情をみせた仲居さんに、晴と美月は顔を見合わせると揃って苦笑。


 指摘されるとなんだかむず痒いなと思いながら、ニコニコと笑みを浮かべて去っていく仲居さんを見届けた。


「……私たち、そんなに仲睦まじく見えますかね」

「傍から見れば……いや主観的にもそう見える気がするな」


 することもしているし、何だかんだんで一緒に過ごしている時間も多い。それに全く飽きもなく心地よいとさえ感じているのだから、やはりおしどり夫婦などだろう。


「この先も続いていくかな」

「それは晴さんの努力次第ということで」

「おい、お前も少しは努力しろよ」


 肉を摘みながらジト目を送れば、美月はえぇ、と不服気な顔をする。


「私はいつも努力してますもーん」

「くっ、確かにいつも支えてもらってる立場だから何も言い返せん」 


 今日改めて美月の有難みを感じたばかりなので、彼女の言葉に反論する術がなかった。


 奥歯を噛む晴を愉快そうに笑いながら見つめる美月は、でも、と継ぐと、


「晴さんとこれからも沢山の幸せを作っていけるよう、ずっと努力は続けていきますから、そこは安心してください」


 ぱく、とお刺身を食べながら、それを至極当然のように誓った美月。


 そんな美月に、晴は思わず笑ってしまって。


「はは。そうだな。俺も、これからも美月とこういう時を重ねられるように努力は続けていかないとな」

「そうですね。お互い、相手を労い、感謝することを忘れずにいきましょう」

「だな」


 今、この瞬間も二人にとっては幸せの一時なのだ。


 静かな空間。時間すら忘れてしまうようなまったりとした感覚に身を預けながら、夫婦は微笑みを交わし合う。


「じゃあ今更ではあるけど、これまでの健闘とこれからの将来を願って乾杯でもするか」

「本当に今更ですね。でも、せっかくだからしましょうか」

「じゃあ」

「はい」


 夫婦、それぞれのグラスを手に持って、


「「乾杯」」


 相手に精一杯の敬意と感謝を込めながら、グラスをぶつけ合うのだった。

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