第232話 『 そんなミケさんを、キミになら任せられると思ったんだ 』


「すいませんハル先生、わざわざ見送りしてもらって」

「気にしなくていいよ。いくら男子高校生といっても、さすがに夜遅くに一人で帰らせるのは危ないから」

「……美月さんが惚れるのも分かるなぁ」

「? 何か言った?」

「いえ」


 なんだこのイケメンは、と胸中で呟きながら、冬真は晴と夜道を歩いていた。


「というか金城くんの方は大丈夫なの?」

「何がですか?」


 眉根を寄せれば、晴は「ほら」と継いで、


「ミケさんのアシスタントに加えて、料理の練習までしてたらほぼ毎日家に帰るの遅いでしょ。だから、ご両親は心配しないのかなって」

「ま、まぁ。良くは思われてないですかね」


 やっぱり、と眉間に皺を寄せる晴を見て、冬真は慌てて弁明した。


「で、でもその分勉強も頑張ってますから! それに、家にいる時はお母さんの肩を揉んだり家事も手伝ってるので、なんとか大目に見てもらってます!」

「でもなぁ、そんな生活を続けてたら金城くんの身体が心配になってくるよ。俺の身近にも無理する悪い子がいるから」


 それは誰のことだろう、と首を捻ると、晴は「秘密」と唇に手をあてた。


「本人は大したことなくても、周りからすると頑張り過ぎてるって心配になるから、キミもあんまり無茶はしないようにね」

「は、はい……気を付けます」


 これは晴からのアドバイスではなく注意喚起だと気付けば、冬真はこくこくと頷いた。


 そんな冬真を見て晴は納得した風に息を吐くと、


「でも、キミのおかげでミケさんが楽しそうにしてるのは事実だ。そのことに関しては俺からも礼を言わないと」

「どうしてハル先生が?」


 たしかに晴はミケは仕事上のパートナーみたいな関係だが、それでも晴がミケのことで冬真に感謝するのは不思議だった。


 きょとん、とする冬真に、晴は呟くように言った。


「俺もミケさんも、仕事一筋な人間だった。俺は小説。ミケさんは絵を。お互い、それに命を懸けているからこそ、恋人や友達は不要だと思ってた」


 でも、


「俺は、美月と出会って、惹かれて結婚した。それまでは一人でよかった人生に大切な人ができた」


 意外だったよ、と晴は苦笑する。


 それから、晴はその苦笑を引っ込めると、どこか影を落としたような顔をして続けた。


「幸せになった一方で、俺はミケさんを置いてけぼりにしてしまったと罪悪感があった」

「で、でも、ハル先生は何も悪くないですよね」

「そうだね。ミケさんと仲はよかった。けれど恋人関係になる気はなかったし、お互いに仕事一筋だから、仮に交際しても共倒れになるって分かってた。だから、俺とミケさんは仕事のパートナーで、救援要請があれば駆けつける友達って関係を保ってた」


 それが変わったのは、晴が美月と結婚してから。


「美月と結婚して、段々とミケさんと関わる時間が減っていったんだ。正直、不安に思う時もあったよ。ご飯ちゃんと食べてるか、とか、ちゃんと休んでるかとか」

「なんだかその考え、ミケ先生のお兄さんみたいですね」


 はは、と晴は笑った。


「そうだね。俺にとってミケさんは妹みたいなものかな。実際に妹がいた訳ではないからなんとも言えないけど、たぶん、手が焼ける感じとか見守らないといけない義務感があの人にあったから」

「ハル先生は、ミケさんのことを大切に想ってるんですね」

「当然だよ。仕事のパートナーだし。同類だし、同士だから」


 ミケと晴の関係を、冬真は全てを知っている訳ではない。


 ただ、晴の声音から伝わるミケへの想いには、冬真が寄せる感情以上のものがある気がして。


「そんなミケさんを、キミになら任せられるって思ったんだ」

「――ぇ」


 不意に耳朶を震わせた言葉に、冬真は目を見開かせた。

 晴の言葉の真意。それを懸命に理解しようとする頭に、晴の声が続く。


「子どもに任せるなんて大人のやることではないのは分かってる。でも、キミといる時のミケさんは凄く楽しそうだった」

「でも、僕はミケ先生のアシスタントとしてはまだまだで」

「金城くんは十分にアシスタントの仕事を果たせてる。卑下なんてしなくていい。俺が保証するよ」


 近くではないけれどキミの頑張りを見てきたから、そう微笑みながら晴は言ってくれた。


 それは嬉しい。けれど、やっぱり胸の中に不安は渦巻いている。


 それと葛藤する冬真に、晴は肩に手を置いた。


「俺は、ミケさんには幸せになってもらいたい。でも、金城くんの人生は金城くんが決めるものだ」

「――っ」


 それは、尊敬する小説家からのアドバイスだった。


「人は、立ち止まらずにはいられない生き物だ。選んで決めた道が間違いで、落ち込むこともあるかもしれない。それでも、後悔はなかったと胸を張って欲しい」

「僕に、それができるかな」


 何度も嫌な現実から目を背けていた自分に、そんな勇敢なことができるだろうか。


 躊躇う冬真に、晴は優しい声音で肯定した。


「できるとも。いや誰でも。自分で選んだ決断に心の強さは左右しない。あるのは、その結果と向き合って、受け入れて進んでいく勇気だけ」


 大丈夫。とハル先生は力強く言った。


「この物語の主人公はキミだ。台本も作者もいない。だから好きにやればいい。好きに書き綴っていけばいい。――自分の未来の為に」


 贈られた言葉。

 それは、逡巡する胸に響いていって。


「自分の、未来の為に」


 また、小さな一歩を踏ませた。

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