第326話 『 ガキですけど、貴方の妻ですから 』
慎たちも帰った夜。
「晴さん、ミケさんの事ですけど……」
揺れる紫紺の瞳が尋ねてきて、晴は一拍置くと、
「まぁ、本人も無茶はしないって言ってたし大丈夫なんじゃないか。不安要素はあるが、金城くんが定期的に家に行っている訳だし」
「でも心配ですね」
声を落とす美月に、晴も口では平気と言いながらもやはり胸裏では不安が勝る。
「こんな事は何度かあったんですか?」
「頻繁にはなかったと思う。俺と違ってミケさんは生粋のヲタクだから、アニメ鑑賞とかアキバに遊びに行くみたいな休みはこまめに取ってたし」
「晴さんは小説以外興味ない人ですからね」
美月からの小言に頬を引きつらせつつ、
「でも、今回は既刊に加えて新作のイラストも描かなきゃいけなくなったから、その分忙しさも増して集中する時間が増えたんだと思う。あの人、一度スイッチが入るとしばらく何も手をつけなくなるから」
ミケは晴の小説のイラストを担当している他にも、個人で案件も請け負っている。故に、仕事量でいえば晴の比ではない。
絵を描くのが好きだから仕事を受けている。それは重々理解できるが、好きだからと言って延々と集中できるかと言われればまた別の話だろう。
どんなに多忙であれ、それが好きであれ、休息というものは必要だ。
それを本人が理解していても、けれど衝動的に描いてしまうのだろう。ミケは、そういう人だから。
「晴さんはミケさんのこと、よく分かってるんですね」
「似てるからな。ミケさんと俺は」
仕事への向き合い方も。情熱の注ぎ方も。趣味も好みも。
ミケとは波長が合うのだ。それこそ親友のように。或いは自分の家族以上に。
「前にも言ったけど、ミケさんは妹のように感じるんだ。実際には妹がいないからよく分からないけど、たぶん、自分に妹がいたら、あんな風に大切にしてたと思う」
「なんかいいですね。そういうの」
「嫉妬か?」
「嫉妬というより、少し羨ましいなと。私は一人っ子だったので、晴さんみたいな兄がいたらきっと大切にされてたのかなと思って」
「それを世間一般ではシスコンと言うんだがな」
「じゃあ晴さんはシスコン確定ですね」
美月の言う通り、妹がいたら確かにシスコンになっていたかもしれない。
くすくすと笑う美月に頬を引きつらせつつ、
「ミケさんの事、金城くんから定期的に様子を聞いといてもらえるか?」
「心配性ですね」
「もし倒れでもしたら大問題だからな。『ビネキミ』も『終末人形』も発売延期になる可能性がある。俺が去年入院した時みたいにな」
「大問題だ⁉ 分かりました。冬真くんから聞いておくようにします」
去年の自分の身に起きた事件を例に挙げながら言えば、美月は嫉妬よりも事の重大さを理解して厳かに顎を引いた。
これでひとまずは安心――それでも不安は残るものの深く息を吐けば、晴は目の前にある華奢な背中に顔を埋めた。
「……どうしたんですか、急に抱きしめてきて」
「別にどうも。ただ、しばらくこうさせてくれ」
ぎゅ、と抱きしめれば、美月が問いかけてくる。けれど、きっと彼女は晴の心情を分かっている。その上で問いかけてくるから、意地が悪い。
「こうすると落ち着くんだ」
「あらあら。甘えん坊さんですね」
くすくす、と美月が笑う。
「今、俺にはこうして不安の時に縋れる相手がいる。それがどんなに幸せなことか、こうしてるとつくづく痛感させられるよ」
「人は一人では生きていけませんからね。脆くて当たり前です」
「ガキのくせに偉そうに言うな」
「ガキですけど、貴方の妻ですから」
「ふっ。いつも感謝してるよ」
「知ってますよ」
妻がくれる安寧に、晴は素直に受け取る。
そうすれば、胸にうずまく不安も少しずつ和らいでいって。
また強く、ぎゅと美月を抱きしめた。
そんな晴を、美月は柔和な笑みを浮かべながら優しく受け止める。
「今日は晴さんが甘えん坊ですね」
「たまにはいいだろ」
「ふふ。好きなだけ甘えていいですよ」
「ならお言葉に甘えて、お前の温もりに浸らせてもらうな」
この時間が、堪らなく心地よかった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます