第15話 『 今日は質問多めですね 』


「おかえり」


 今日の執筆はこれくらいだな、と区切り付けてリビングに戻ると、ダイニングテーブルでくつろいでいる美月を見つけた。


 既に時刻は二十二時を過ぎているが、どうしてそう言ったのかは夕方に美月から届いたメールが関係している。


「お前、バイトしてるんだな」


「えぇ」と美月が短く頷く。


「何か飲み物入れますか?」

「自分でやるからいい。お前は休んでろ」

「あら、今日は珍しく優しいですね」

「なんだ珍しくって、頑張った相手労うのは当然だろ」


 素っ気なく言えば美月が淡い笑みを浮かべた。


 それを横目に入れつつ冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取れば、コップに注いで美月の真正面に腰を下ろす。


 コップに口の端を付けつつひと段落すると、美月が不安そうな声で聞いてきた。


「今日は夕飯、ちゃんと食べましたか?」

「昨日お前が作ったカレーがあったからそれ食べた」

「なら良かったです」


 ふふ、と美月が子どもをあやすような優しい顔をするものだからバツが悪い。


 ご飯を食べただけで何故そこまで安堵するのかと疑問に思ったものの、晴は美月に問いかけた。


「お前こそ、メシはどうしたんだ? もう食ったのかよ」

「えぇ。軽食ですが、ちゃんと食べましたよ」

「そっか」


 なら良かったと安心して――どうして安心したのかよく分からなかった。

 自分が心配されたから、それが美月にも反映されてしまったのだろうか。

 喉に小骨がつっかえたような違和感を覚えながらも、晴はテーブルに肘を突くと、


「バイトは週に何回やってんだ?」

「気になるんですか」


 珍しい、と言いたげな顔は無視しつつ、


「いいから答えろ」

「別にそれ程多くは入れてないですよ。週に三回。学業に支障をきたさない程度にやってます」


 答えた美月に、晴はふーん、と生返事。


「何やってんの?」

「今日は質問多めですね」

「気になるからな」

「やっぱり珍しい」

「そうか?」


 自分でもよく分かっていないが、質問者が言うのならばそうなのだろう。

 美月はマグカップに口を当てると、一息吐いてから答えた。


「カフェのバイトしてします」

「ほぉ。接客と調理どっちだ?」

「接客の方ですよ」

「うえぇ。よくできるな。俺なら一日で辞める」

「あはは。晴さん、人と関わるの苦手そうですもんね」

「実際苦手というより嫌いだ」


 人、という生き物と積極的に関わりたいとも思わないし、軽薄な関係を築くくらいなら最初からない方がマシだとも思っている。


 ひねくれ者、そう呼ばれても仕方がないが、他者との関りなんて必要最低限でいい。

 そのままの意思を伝えれば、美月はくすくすと笑った。


「私も人との関りは広く浅くより、狭く深くの方がいいと思ってます」

「それでよく接客の仕事が出来たもんだ」

「社会勉強としてやっていますし、それにまかないで出る料理が美味しいので」


 サンドイッチとか出してくれるんです、と美月が嬉しそうに言った。

 軽食はその事かと納得しつつ、


「理由はなんであれ、お前のそのひたむきな姿勢は凄いと思うぞ。俺はできない」

「晴さんだってひたむきじゃないですか。小説だけですけど」


 揶揄うように言われて、うるせ、と口を尖らせた。

 それから晴は嘆息すると、


「ま、無理がない程度に頑張ることだな。悪いな、自分の事で忙しいはずなのに、家事なんか任せちまって」

「貴方の提案に乗ったのは私ですし、それにこの家は意外と居心地がいいので好きですよ」


 初めて聞いた美月からの家の感想に、晴は目を僅かに見開く。


 まさか、この家が居心地が良いとは思いもよらなかった。だって晴は美月の為に何もしていないし、距離だって縮まった覚えもない。晴が彼女に提供しているのは部屋くらいで、あとは好きにしろと言ってもリビングなどの部屋に変化が起きた様子はない。


 美月の感想の反対だとばかり思っていたから、予想外だった。


「お前、ひょっとしてMなのか?」

「今の話でどうして性癖の話が出てくるんですか」


 呆然としたまま言えば、美月が呆れた風に肩を落とした。


「私の性癖はノーマルですし、この家が居心地良い理由は大きくて綺麗だからです。家事は実家でもしてましたから、苦行だと思ってませんよ」

「すげぇな、実家で掃除してたのかよ」

「その反応だと、貴方は実家にいた頃は掃除なんてしてなかったんでしょうね」

「自分の部屋くらい自分で掃除してたわ」

「晴さん、妙に器用ですもんね」

「妙にってなんだ、妙にって」


 ジト目を向けるも美月は構う事はない。

 それから、美月は「それに」と継ぐと、


「この家は本が沢山あるので、家の中にいても飽きないんですよね」


 存外、美月はこの家を満喫しているようだった。


 美月がこの家に住み始めてまだ一週間も経ってないが、そんな評価をもらえた事は晴にとっても案外嬉しいものだった。


 ふ、と思わず小さな笑みが零れれば、


「そうか。お前に少しでも居心地の良さを提供できてんなら、俺も安心だよ」

「どうしてですか?」

「少なくともお前はしばらく家から出て行かないし、俺はお前の母さんにぶっ飛ばされなくて済む」

「ふふ。それなら、飽きたら家を出て行きましょうかねぇ」

「それは止めてくれ。お前の母さんに怒られる」

「なら部屋の模様替えはちゃんとしてくださいね」


 まんまと丸め込まれた気分で、晴は口ごもってしまう。

 仕方ない、とため息をつけば、


「お前の趣味は知らんから、本だけは変えておいてやる」

「ゲームもやりたいです」

「勝手に俺の部屋漁って取れ」

「勝手に入っていいんですか?」

「俺が部屋にいない時なら入っていいぞ」

「セキュリティ緩すぎでは?」

「お前だから許可してるんだ。あぁ、ただし居る時はノックくらいしろよ」

「どうしてですか?」

「男だから」


 晴だってきちんと性欲のある男性なので、当然、そういう事もしばしばある。

 端的に言ってしまえば、自慰行為である。


 迂遠な言い回しに暫く黙考した美月が、やがて答えに辿り着いて顔が真っ赤になった。


「貴方ってホント、そういう事に遠慮がないですよね」


 恥ずかしそうに俯く美月に、晴は『反応だけは処女みてぇ』と胸中で呟くのだった。

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