番外編 『 妻は意外と大胆/上手くいくとは言ってません 』

 同棲している頃は仕事部屋か自部屋にいる事が多かった晴だが、結婚してから晴はよくリビングにいるようになった。


 これは、そんなある日のお話。


「晴さん。足上げてください」

「ん」


 ソファーで本を読む晴にそう指示すれば、彼はひょいっと足を上げた。その間に掃除機を潜らせれば、美月は「ありがとうございます」と下がった足を見届けた。

 晴は家事に手を出さないが、美月としては余計な気遣いは無用なので有難く思っている。


「(教えるのも労力がいりますからね)」


 それは晴も分かっているから余計な手出しはしてこない。でもその代わり、晴はお皿洗いをしてくれる。それだけで十分だった。

 晴には晴の仕事があるので、そちらを優先してもらいたい。


「(今日も買い物、付いて来てくれるかな)」


 仕事は頑張ってほしいが、でも美月自身にも構って欲しかった。

 ワガママだとは充分に理解しているが、こうして毎日掃除に洗濯、美味しい料理を作っている自分に晴からご褒美をもらいたいのだ。

 どんな小さなものでもいい。自分を想って行動してくれるのなら、それだけ美月は十分だった。


 正午に突入する前に家の掃除が終われば、今度は昼食の用意。今日はオムライスにしようと思った。

 中火で熱したフライパンに、バターを入れる。バターが溶けたタイミングで、あらかじめ用意していた【コーン・グリンピース・にんじんに玉ねぎ・ベーコン・ひとつまみの塩】を投入。

 ケチャップは余分な水分を飛ばしてから具材と混ぜる。しっかりと水分を飛ばした方が、後にいれるご飯もべちゃっとした触感にならないのだ。

 ケチャップと具材が十分に絡めば、温めておいたご飯を入れていく。この時、火はもう弱火で十分。


「たまご~。たまご~」


 お次はオムライスの顔でもある卵を作る。

 サラダ油を引いたフライパンを中火で熱して、溶かした卵液を流していく。


「よっ。ほっ」


 卵づくりで肝心なのはスピードだ。卵が固まってしまう前に、菜箸でぐるぐると素早くかき混ぜる。

 半熟の状態で火を止めて、そこにケチャップライスを乗せていく。ヘラで卵をフライパンの端に寄せて、片手で持っている皿にフライパンをひっくり返すように乗せる。

 慎重にフライパンを持ち上げれば、


「うん。綺麗」


 焦げ目一つない鮮やかな黄色のドームが完成した。

 でも。


「むぅ。こっちはちょっと失敗」


 もう片方は少し焦げ目がついてしまった。


「こっちは私のほうで……」

「俺こっちがいい」

「晴さん」


 いつの間にか、美月のオムライスを作っている様子を見ていた晴が焦げ目の付いたオムライスを指差した。

 驚きながらも、美月は頬を掻いた。


「あはは。こっちの方は少し失敗してしまいました」

「これのどこが失敗なんだ? 少なくとも俺には成功以外のなにもないぞ」


 マジマジと焦げ目の付いた方を見ながら晴は言った。

 それがお世辞ではないと分かるし、美月を気遣っているつもりもないのも分かる。純粋に評価してくれている晴に、美月は思わず頬が赤くなってしまう。

 しかし、美月――いや主婦としては譲れないものがある。


「晴さんには綺麗な方を食べて欲しいです」

「胃の中に納まったら変わらないだろ。味も変わんねえだろうし」

「見た目は大事です」

「気にすんな。完璧だ」

「うっ……嬉しいことを言わないでください」

「何に喜んでるのかは知らんが、腹減った。ほれ、テーブルに持ってくぞ」

「ちょ……晴さん」

「反論は受け付けませーん」


 美月の制止も聞かず、晴は結局焦げ目の付いた方を持って行ってしまった。

 やれやれと肩を落とせば、美月は眉を吊り上げて、


「今度は絶対、晴さんに完璧なオムライスを提供してみせます」


 めらめらと闘志を燃やすのだった。


 ▼△▼△▼



 昼食を取った後は一時間ほど勉強して、休憩しようとリビングに戻れば……


「寝てる」


 なんとリビングのソファーでお昼寝をしている晴を見つけた。


「レアだ」


 とりあえず写真を撮っておこう。

 できるだけ遠くから、そしてズームして晴の顔を捉える。カシャッ、とシャッター音が鳴ってしまったが、晴は未だ夢の中だった。

 ほっ、と安堵しつつ、美月は気配を殺して晴に近づいていく。


「すぅ……すぅ……すぅ」

「ふふ。無防備ですねぇ」


 晴はよくお昼寝をする。結婚後はそうでもないが、同棲したばかりの頃は顕著だった。

 なんでも小説家は頭をフル回転させるようで、少しでも頭の回転が鈍くなると良い文章が書けないそう。『より面白いものを創りたいなら常に脳を正常に働かせるべき。だから寝るんだ』と晴は以前言っていた。

 でもこうしてお昼寝している姿を見るのは久しぶり……というか初めて拝む。

晴の無防備な寝顔に、美月は我が子を見つめる母親のような瞳で見守っていた。


「(寝てると本当に大きいな子どもだな)」


 いつもは目が悪いのと眠たさで鋭い目も、小説のことしか考えていない不愛想な顔も、こうして眠っていると不思議と愛嬌がある。


「(やば。抱きしめたい)」


 無性に母性があふれ出して、欲求を堪えるのに必死だった。


「(触ったら起きちゃうかな。あーでも触ってみたいな)」


 手を繋いで、まだ多くはないキスもして、それなりに晴とはスキンシップを取っている。

 でも、美月はまだ全然満足してなかった。

 晴にもっと触りたいし、もっと触れ合いたい。

 キスだって、し足りない。


「(貴方が思っている以上に、女の子は好きな人に触って欲しいんですよ)」


 晴はあまり自分から行動に移してくれないから、美月だって欲求不満に陥ってしまう。

 だからワガママになってしまうし、ついつい大胆な行動をしてしまう。

 ラブコメ作家のくせに、現実の妻の気持ちは全然分かってくれていない。


「(ねぇ、晴さん。私、もっと貴方と仲良くなりたいです)」


 デートもたくさんしたい。

 もっと、一緒の時間を共有したい。


「(貴方は私のこと、どう思ってるんですか?)」 


 ぷにぷに、と晴の頬をつつく。


「(バレないよね)」


 心臓がドキドキする。

 少しずつ、ゆっくり、慎重に顔を近づけていく。

 音を立てないように、刹那なら、晴はきっと眠ったままだと信じて――


「何しようとしてんだ」

「うわっ⁉」


 唇と唇が重なる寸前。ぱちっと目を開けた晴が睨んでくる。

 すぐさま晴から距離を取れば、美月は露骨に視線を逸らして、


「な、何もしてまへんひょ」


 呂律が回らない上に噛んだ。

 やってしまったと顔を赤面させる美月に、晴はよっと体を起こすと、


「いまキスしようとしたろ」

「……むぅ。分かってたなら、そこは寝てるフリを続けるべきでは?」

「お前が頬なんか突かずにそのままキスしてたら寝てるフリしてたかな」

「うっ」 


 戦犯は自分だった。

 突かなければっ、と後悔している美月に、晴は「くあぁ」と欠伸をかくと、


「さて、よく寝たし執筆するか」

「あ、あの、晴さん? これから買い物に行く約束は……」


 昼食の時に、十六時から二人で夕食を買い出しに行く約束をしていたのだが、晴は何やら不穏なことを言いだした。

 狼狽する美月に、晴は悪戯顔で言った。


「人の寝ている隙にキスしようとする奴とは一緒に行きたくないなぁ」

「あ、あれはちょっと魔が差してしまっただけで……決して晴さんの睡眠を妨げようしていた訳では……」


 ごにょごみょと必死に弁明すれば、晴は愉しそうに口許を緩めたまま仕事部屋に行こうとする。


「は、晴さん⁉ キスしようとしたことは謝りますから、だから買い物だけは一緒に行ってくださ――――――い⁉」


 まだまだ、美月は晴を落とすのに時間が掛かりそうだった――。


 ―― Fin ――

 


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