第61話 『 それじゃあ、下着もちゃんと隠すべきっすね 』


 平日。

 今日も変わらず執筆している晴のスマホに、一通のメールが届いた。


【へ、へるぷ~】


 何やら不穏なメールの差出人は……


「ミケさんだ」


 晴の【微熱に浮かされるキミと】のイラストを担当してくれているイラストレーターだった。


 さすがにこれだけでは趣旨が伝わってこないので、晴はRAINからそのままミケに電話をかけた。


 リズムの良い着信音から数秒ほど経って、


「あ、もしもしミケさん」

『〝あい……』


 死にかけみたいなガラガラ声でミケが応じた。


「メール見たんですけど、ヘルプってどういう意味ですか?」

『ヘルプは……ヘルプっす……』

「締め切りなら俺、役に立ちませんよ?」

「締め切りはなんとか乗り切りました。でも……」

「でも?」


 段々とか細くなっていく声音に眉根を寄せると、電話越しでも聞こえるほど大きなお腹の音が聞こえた。晴のではない。


『ご……ごはんくれぇぇ』

「なるほど。今から向かいますね」


 僅かな言葉だけで理解した。


 どうやら、ミケからの救援要請は『空腹で死にそう』とのこと。


 ミケが『ありがたや~』とお礼を言っている途中で電話がぷつりと切れたので、どうやら相当空腹らしい。


「さてと。ミケさんの昼飯買いに行くか」


 椅子から立ち上がると、晴は背伸びした。


 ▼△▼△▼




 小説家とイラストレーターが顔を合わせる機会は少ない。というのも、二人とも住んでいる地域が違うからである。


 かたや東京に住んでいる小説家。かたや大阪で活動しているイラストレーター。なんて関東と関西で活動拠点が異なる場合もあるのだ。


 今時、ネットがあれば仕事なんてスマホ一つで受注できる時代。お互い顔を合わせないまま作品が完結……なんてケースもあるとかないとか。


 それに、小説家とイラストレーターが必ずしも〝最高のコンビ〟になる訳ではない。


 例えば、小説家が提案したキャラクターの意に沿わない絵をイラストレーターが描いたせいで妙にぎくしゃくした関係が続く、なんてこともある。


 その点でいえば、晴の小説のイラスト担当者である【黒猫のミケ】は晴のオーダー通りに描いてくれる上に非常に繊細なイラストを描いてくれるため晴の方の不満はない。


 方向性も相談すればしっかり一緒に考えてくれるので、晴としては【黒猫のミケ】には何の文句もなく、最高の担当者と誇れた。


 そして、ミケとは初顔合わせの時から妙なシンパシーを感じて以来、打ち合わせ以外でもたまに会うようになった。


 年に数度は一緒に秋葉原に行くし、なんならコミケにも何度か手伝いに行くくらいにはミケとは仲が良い。


 そんなミケからの救援要請とあれば、ほかほかの弁当を持ってはせ参じるのは訳ないこと。


 近場で評判の良いテイクアウトできるお店に寄ってから約四十分後。晴はとあるアパートに来ていた。


 ぴんぽーん、とインターホンを押せば、晴が来るのを待ちわびていたようにチェーンが音を立てて外れた。


 ガチャリ、と扉が解錠がされれば、中から出てきたのはミイラ――ではなく、髪がぼさぼさで目元には大きな隈を彫らせた女性だった。


「ハルせんせぇぇぇい! お待ちしてたっすぅぅぅぅ!」

「こんにちは。ミケさん」


 熱烈な歓迎を送られながら柔和な笑みを浮かべれば、ミケが泣いた。


「お弁当、買ってきましたよ」

「うわぁぁぁぁぁぁ⁉ ご飯だ! すんすん、良い匂いがするっす!」


 たぶん締め切りに追われてまともに食事を取っていなかっただろう。掲げた弁当袋に鼻を近づけると、掃除機の如く勢いで匂いを吸引した。


 感激とともにぎゅるぅぅ、と大きなお腹の音がなったが、ミケは恥じらいもしなかった。


「ご飯っ! ご飯っ! ご飯早く食べたい!」

「はいはい。でも……」


 子どもみたく急かしてくるミケに、晴は部屋に上がる前に確認を取る。


「ミケさん。今日は下着とか部屋に干してないですよね?」

「干してるけど気にしないでください! それよりご飯!」

「ミケさんも女性なんだから気にしてください」

「べつに私の下着を見てハル先生は興奮しないでしょ」


 私つるぺたなんすから、とふくよかではない胸を張りながら言ってきた。


「俺は胸の大きさで女性を判断しませんよ」

「やだイケメンの返し方。思わず惚れそう……でも大きいか小さいかで言えば?」

「大きいほうがいいです」

「やっぱデカいのがいいんじゃないすか」


 素直に答えれば、ミケはからからと笑った。

 それから、ミケは笑みを引っ込めると眉根を寄せて、


「でもハル先生、昔は干してる下着見ても何の反応もなかったじゃないっすか」

「興味はありましたよ」

「それも作品としての興味っすよね」


 その通りだと頷く。


 たしかに以前の晴はミケの部屋に干されているカラフルな下着を見ても反応はしなかった。そのせいでミケの注意力も薄まってしまい、晴が来てもミケは下着を平気で出しっぱなしにするようになってしまった。さすがに床に落ちてるパンティーはいかがなものかと思ったが。


 ただ、今の晴は昔とは違う。


 そう、今の晴は〝既婚者〟なのである。


 となれば当然、異性への配慮は弁えなければならない。


「ミケさん。俺、結婚したんですよ」

「そうでした! おめでとうございまーす」

「ありがとうございます」


 ミケにも結婚報告はしていたが、改めて報告すればミケから祝福された。

 それから、ミケはふむ、と顎に手を置くと、


「そうか。ハル先生はもう既婚者か。それじゃあ、下着もちゃんと隠すべきっすね」


 しまう、という言葉が出ないのは不穏だった。


「そうしてもらえると助かります」

「いえいえ! こちらの配慮が足りなかっただけっすから。じゃあ、申し訳ないけどちょっと外で待っててください。すぐ片づけるんで!」

「分かりました。終ったらご飯が待ってますよ」

「そうだ! ごっはん~ごっはん~」


 手を振るミケに晴も手を振り返しながら、外でミケが掃除を終わらせるのを待つ。


 ミケが刻む鼻歌を、晴は玄関越しに微笑みを浮かべながら聞いていた。

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