第62話 『 ヤンデレ属性は神っすよ? 』


【黒猫のミケ】こと本名・七取実希しちとりみけは、二十二歳の超有名イラストレータだ。ちなみに、【黒猫のミケ】の名前の由来は実家で飼っている猫の名前から取ったそう。


 ぼさぼさの黒髪によれよれの服。発育の乏しい胸にやたらと華奢な体躯は、女性というより少女という印象を強く与える。顔も童顔で、高校生と言われても違和感がない。


 語尾も「~っす」と体育会系男子みたいだが、本人は運動部に所属経験が一度もない。


 そんなミケは、ほかほかの弁当を前に飢えを貪るように箸を進めていた。


「くあ~~~~⁉ 久々の白米がうめぇぇぇぇ⁉ 日本人サイコ~ッ‼」


 肉もうめぇぇ⁉ とおっさんみたいな感動の仕方だが、それだけミケが仕事に追われていたという顕れなのだろう。


 晴は自分の箸を容器に置くと、買ってきたペットボトルを渡した。


「はい。ミケさん。こっちもちゃんと飲んでください」

「ありがたい! ハル先生は相変わらず気が利きますね~」


 ごくごく、と豪快にお茶を飲むミケに晴は「いえいえ」と首を横に振る。


 晴はミケにだけは、今みたく献身的になる。それがなんでかは本人も分からない。


 たぶん、妹みたいだから、なのだろうか。


 単純に異性の友達だから、というのもあるかもしれない。


 とにかくミケは放っておけない存在なので、晴はこうやってミケの救援要請には駆けつけることにしている。放って置いたら倒れそうで心配だ。


「(あぁ、あいつが俺を放っておけない理由はこれか)」


 美月が晴に抱く感情が、晴がミケに思う感情と同じなのだと理解すれば、胸の奥の留飲が下りた気がした。


 それまでは理解できなかった感情を知った晴の意識に、からからと笑うミケの声が届いた。


「それにしても、まさかハル先生が結婚するなんて思いもしなかったっすよ」


 話題が【晴が電撃結婚した件】になった。


「それは俺も驚いてます」

「なんで自分で驚いてるんすか」


 ミケがおかしそうに笑った。

 それから、胡坐をかくミケは「あー……」と呻る。


「でも、いいんすか?」

「何がですか?」

「既婚者なのに他の女の家に上がり込んじゃって。救援要請したのは私っすけどね」

「問題ないですよ。内緒にすればいいですし」

「それはそれでどうなんすかね。なんかイケないことしてるみたいじゃないすか」


 口ではそういつつも、ミケはわずかにこの状況に興奮していた。


「俺とミケさんは仕事のパートナーで友達ですし、なんなら今日会ったことを言えばいいだけです」

「相変わらず淡泊っすね、ハル先生は」

「妙な誤解が生まれてこじれるよりマシです」


 美月は事情を説明すれば納得してくれる、そんな妙な信頼感を覚えて答えれば、ミケは「そういうドライなところ好きっす」と好意を寄せてきた。


 それが好意であって好意ではないのは感覚で分かるから、「ありがとうございます」と淡泊に返した。


「でも、ハル先生は結婚しちゃったから、前みたく気軽にアキバには誘えないかー」


 私ハル先生以外の友達いないんだよなー、と呟くミケに晴は首を横に振る。


「気にしなくていいですよ。俺もミケさんとアキバに行くのは楽しいから好きなので。なので、これからも遠慮せず誘ってください」

「そう言ってくれると助かるっすけど、でも奥さんに申し訳ないっす」


 苦笑を浮かべるミケに、晴はわずかに罪悪感を覚える。


「(ミケさんには申し訳ないことをしたかな)」


 ミケはネット上には多くの友達がいるが、現実の彼女は家で絵を描き続けているせいで殆ど友達がいない。


 仕事仲間はいれど、友達と呼べるのは晴意外にはいないかもしれない。

 ミケが友達を作れないのは、絵を優先しているからで描くのが好きだから。


 イラストレーターが生計を立てていくには、描き続けるしかない。晴たち小説業界もシビアであはるが、現実の厳しさでいえばイラストレータの方が残酷かもしれない。


 無名と有名では、イラスト一枚の単価は文字通り天と地ほどの差がある。


 好きには必ず、好きでいられない時間がやってくる。


 それを乗り越えた者だけに与えられるのは『賞賛と名誉』であり、その裏には数えきれない犠牲が存在している。


 晴も、そしてミケも、己の何かを犠牲にしたからこそ今の地位を築けている訳で。


「ミケさんは恋人とか作らないんですか?」

「まさかその言葉をハル先生からもらうとは思ってなかったっす」


 ミケにも、美月のような存在がいればいいなと思って聞けば、意外だと笑われた。

 ミケはからからと笑いながらも箸を唇にあてれば、


「今はカレシとか募集してないっすね。絵を描くほうが楽しいし」


 誰かに自分の絵を喜んでもらえる感動を味わうと、もう抜け出せなくなってしまう、と以前ミケが言っていたことを思い出した。


「どうせ付き合うならハル先生が良かったなぁ」

「俺も生活能力皆無なので共倒れしますよ」

「それもそうっすね」


 自分で言うのもあれだが、肯定されるのも複雑な気分だった。


「ハル先生の奥さんは家事できるんすか?」

「えぇ。それが条件で付き合いましたから」

「ほへぇ。それで結婚まで行くとか幸せ過ぎて普通に呪いたくなるっすね」

「普通に呪わないでください」


 危うく呪術を掛けられそうになった。


 今にも晴を呪いそうなミケの邪悪な顔を元に戻させつつ、晴はちくわ天を頬張ると、


「家が綺麗になると仕事って捗るんですよね」

「やっぱそっすか! ……あれ、いま私の部屋汚いって遠回しに言われてます?」

「ミケさんの部屋が片付いてないのは仕事熱心だからでしょう」

「あはは。忙しいと全然片付けられないっすよね。時間見つけて掃除しようとは思ってるんすけど」

「なかなか時間取れないですよね。あとやる気も出ない」

「それっす」


 共感し合えば、お互いに苦笑をこぼす。

 それからミケは「はぁ」とため息を吐くと、


「私も家政婦さん雇おうかな……ハル先生は一時雇ってましたよね?」

「半年くらいですけどね」

「どうでした?」


 前のめりに感想を求めるミケに、晴は「個人的感想ですけど」と前置きして答えた。


「まぁ、便利といえば便利です」

「ほほぉ」

「でも色々と聞かれることが多いので、俺たちみたいな家が仕事場だと結構大変です」

「うへぇぇ」


 それは困る、とミケも顔をしかめた。


「やっぱ私もカレシ募集しようかなー。炊事洗濯できる万能カレシ欲しいなぁ」

「ミケさんならすぐできますよ」

「それはどうっすかね。私語尾変だし胸も小さいし」

「それだけで手放す男ならミケさんから捨ててやればいいです」

「私、変に依存しそうで怖いんすよねー」

「あぁ、たしかにミケさん、ヤンデレ属性ありそう」

「ヤンデレ属性は神っすよ?」 


 それは二次元の話から言い切れるのであって、現実だと怖い気がするが。


「まぁでも、数分置きにメール送られたら仕事の邪魔でスマホぶん投げたくなるかもっすね」

「熱烈な愛情表現は二次元だから楽しめるものですよね」


 晴の言葉にシンパシーを感じたのか、ミケは興奮してテーブルを何度も叩く。


「そうっす! そうっす! いやー、やっぱハル先生は話が分かるなー。現実の倭姦ものと二次元の倭姦ものじゃあ愛の良さが違うっす!」

「実の妹が本当はお兄ちゃんが大好きで、その上ヤンデレで甘々なプレイを求めてくるのとか良いですよね」

「そうなんすよ! もはや妹属性というだけで神だというのにっ、そこにツンからのデレ! エロシーンでみせる蕩け切った顔はたまんねぇ! の一言に尽きるっす!」

「それに必死に答えようとする兄はもう真の姉弟愛ですよね」

「そうなんすよ‼ やっ、流石はハル先生! ラブコメの代名詞!」

「今のはラブコメじゃなくて成人向けの話だったはずですけど……」

「愛に十八禁も全年齢版も関係ないっす!」

「あはは。たしかにそうですね」


 ミケの言う通りだと、晴は微笑を浮かべて頷いた。


 ミケとは、本当に気兼ねなく話ができる。エッチな話題も、慎よりも何故かミケとの方が話し易いのだ。こればかりは本当に謎だが、修羅場を共に潜り抜けてきた戦友だからと思えば、心の内を明かせるのも当然かもしれないと思った。


 そんな訳で恋人の話から一転、晴とミケは弁当を食べながらエロトークを繰り広げていくのだった。


「……ところでハル先生ってどんなプレイが好きですか? 来月のコミケは無理っすけど、冬コミは久しぶりにR本出そうと思って」

「マジですか。絶対買います」

「いや今度も売り子してくれると助かるっす」

「えぇ、是非。夏コミも必要だったら声かけてください。スケジュール調整するので」

「よっしゃあ!」


 こんな猥談に華を咲かせる日も、あっていいのかもしれない。

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