第60話 『 ちょっと急に揉まないでください⁉ 』
――慎のカノジョ、星宮詩織はなんと有名コスプレイヤーの〝しお☆りん〟だった。
トイッターではフォロワー【18万人】を誇る彼女も、この場では普通に買い物を楽しむ女性だった。
「ねぇねぇ、美月ちゃんておっぱい大きいよね」
「そんなことないです……」
「何カップ? 何カップあるの?」
「Cです。でも最近、ちょっとブラがきつくて」
「ほほぉ、ということはそろそろDになるのかな。お姉さんよりいいもの持ってますなぁ」
「ちょっと急に揉まないでください⁉」
「服越しでも分かる柔らかさ⁉」
そんな慎のカノジョに自分の嫁がセクハラされているが、ランジェリーショップの店内なので問題はないだろうと無視していた。
そして、晴と慎はというと、近くの簡易休憩所で休憩していた。
「いやぁ、俺のカノジョと晴の嫁が戯れている様はなんとも睦まじいですなぁ」
「その感想キモいからな。あと美月を厭らしい目で見るな」
「晴もやっと独占欲を覚えたか……いてっ」
にやにやと腹が立つ笑みを送ってくる慎の頭をはたきつつ、晴は嘆息した。
「そんなじゃない。客観的にジュエリーショップを凝視する奴と一緒に思われたくないだけだ」
「問題ないだろ。二人とも俺たちの関係者なんだし」
「だとしてもジロジロ見るなキモい」
辛辣だな、と慎が頬を引き攣る。
「そうは言っても、実は晴も気になってるんじゃないの? 美月ちゃんのバスト……あだだ⁉ 本気で脇腹抓るなよ⁉」
「お前が悪い。反論は受け付けないし人の嫁の胸を見た罰だ」
険の籠った声音で訴えれば、晴の制裁に慎が目尻に涙をためる。「降参!」を二回聞いたところで脇腹から指を離せば、晴はふんっ、と不快そうに鼻息を吐いた。
いてて、と脇腹を労わる慎は、涙目で呟いた。
「……晴が嫉妬を覚えるとか、余程美月ちゃんに惚れこんでるみたいだね」
「まだ言うか」
もう一度脇腹を抓ろうとすれば、慎が「本当のことだろう」と睨んできた。
「晴は薄情なやつだから。そのせいで人生=カノジョなしの人生送って来た訳なんだし」
「必要なかっただけだ」
「あんなクソみたいな生活しててよく言うよ」
「独身男性の一人暮らしなんて大体あんなもんだ」
「全世界の独身独り暮らしの男性に謝れ」
お前の汚部屋と他人の部屋を一緒にするな、と怒られた。
それから、慎ははぁ、とため息を吐くと、
「お前の性格は俺も良く知ってる。良い所も悪い所もな。悪い所の方が多いけど、でもそんな晴が少しでも自分が旦那だって意識してるのは、俺としては感心してるんだよ」
「旦那なんだから当たり前だ」
「はは。本当にそういう所が変わったよ」
何がだろうか、と小首を傾げれば慎がけらけらと笑った。
「……美月ちゃんのこと、気に入ってる?」
「あぁ」
それにはすんなりと肯定できた。
美月のことは気に入ってるし、好きだ。大切にしたいとも思ってる。相変わらずこの心臓が弾むことはないが、それでも時折、愛しいなとも思うようになった。
それが変化ならば、慎の言葉は正論なのだろう。
「結婚したし、アイツが俺に呆れるまでは傍にいるつもりだ」
「わりとすぐ呆れられそうだけどねぇ」
「おいやめろ。ちょっと怖いこと言うな」
現実味を帯びているから背筋が震えた。
そんな晴に慎はくつくつと笑った。
「せめて童貞は卒業できるよう頑張りなよ」
「童貞で悪かったな」
口をへの字に曲げて言えば、慎は「やっぱりまだ童貞か」と呆れた。
わずかに声音を落として、慎が言及してくる。
「なんで尻込みしてるのさ。夫婦なんだろ」
「夫婦だからっていつもハッスルしてるとは限らんだろ」
「俺もう詩織ちゃんとやってるよ」
「そーかい」
いらない情報をありがとう。
晴と美月より先に一線を越えた優越感に浸りたいのかは知らないが、晴は重い吐息をこぼすと、
「お前の相手はとっくに二十歳越えてるだろ。俺の嫁はまだ未成年だ」
「まぁ負い目を感じるのは分かるけど……ペース亀過ぎない?」
「亀馬鹿にすんな。兎にも勝ってるし竜宮城行けるんだぞ」
「亀を馬鹿にしたんじゃないよ。晴を罵倒したんだよ」
罵倒より馬鹿にされた方がマシだぞ、と口を尖らせて返した。
少し傷ついた晴の心情などお構いなしに、慎は顎に手を置くと、
「晴が美月ちゃんとしないのは、大人としての立場? それとも大切にしたいから?」
視線だけくれて問いかける慎に、晴は視線を落とす。
「……両方、かもしれない」
「ふーん」
晴の答えに、慎はつまらなそうに生返事。
晴の思慮も、慎は分からない訳ではないのだろう。故に追求はしてこない。だが、表情にはやはり不服というか無理解が見えた。
「晴って性欲ある?」
「ある」
「ならもう少し、自分の欲求に素直になっていいんじゃない」
それはそうだが。やはり葛藤は止められない。
ふと視線を上げれば、詩織との買い物を楽しそうに笑っている美月が見えた。
「俺が俺の欲求に素直になって、それでアイツを傷付けるのは気が引ける」
「立派な意見だけど、男としては軟派だねぇ」
そうだろうか。
「晴が美月ちゃんを大切にしたい理由は分かった。でも、美月ちゃんはどうなんだろうね」
「どういう意味だ?」
「美月ちゃんはもっと、晴と仲良くなりたいんじゃないかな」
迂遠な言い回しだとは分かる。仲良くなりというのは建前で、本音は美月も晴ともっと上の関係に進みたいのではないのかと、そういう隠喩。
もしそうなら、晴は男として情けないばかりなのだが――それでも。
「お前の言う通りなのかもしれない。でも、少し考える時間をくれ」
「それ俺に言わずに美月ちゃんに言いなよ。でも、女の子に男が確認する以上にダサいことはないからね」
「難しいな、恋愛って」
小説なら、自分の思い通りにいけるのに、現実はそうじゃない。
恋愛においては全部が未体験な晴は、フィクションと現実のギャップに苦労させられていた。
そんなラブコメ作家に、慎は口許を緩めて楽しそうに頷いた。
「難しいでしょ、恋愛って」
▼△▼△▼▼
「さっき慎さんと何話してたんですか?」
「……あ?」
先行く慎と詩織の背中から視線を美月に移せば、上目遣いでそう聞かれた。
「……お前のことじゃない」
「その答えだと絶対に私のことじゃないですか」
鋭いなと思ったが、自分が墓穴を掘ったのだと後頭部を掻いた。
「気にするな」
「気になります」
むむ、と顔を近づけてくる美月。
「教えてください」
「お前の胸が大きいな、って話だ」
「ヘンタイ」
適当に話を逸らそうとすれば、その代償に蔑んだ視線を向けられた。
それから美月ははぁ、と嘆息すると、
「男の人って本当にそういうことしか考えませんよね」
「男だからな」
「開き直らないでください」
「開き直ってない。事実だ」
「余計ダメです」
「じゃあどうしろと」
ほとほと困り果てれば、弁明する術もなくして肩を落とす。
どうせ罰として何か要求されるのだろう。そう思って先んじて行動に出れば、美月がびくりと肩を震わせた。
「いきなり手を繋ぐのは反則です」
「さっきは慎たちに魅せつけようとした奴が照れるな」
「うっ……」
手を握れば、意表を突かれたと美月が呻く。
「でも、どうして急に手を繋いでくれたんですか?」
「お前が言いそうだったからな。罰として手を握ってください、って」
「むぅ。なんだか私の思考を読まれたみたいで悔しい」
やっぱり手を繋ごうとしていた。
ぷくぅ、と頬を膨らませる美月に、晴は苦笑をこぼす。
「俺だって学習くらいする」
「小説のこと以外に精力をみせてくれるのは感心ですね」
微笑みを浮かべる美月に、晴は「うっせ」と口を尖らせた。
「少しずつ、だ。少しずつ、お前のことをちゃんと考えていく」
「どうしたんですか、急に?」
晴の言葉に、美月は嬉しさよりも怪訝に眉を寄せた。
わずかに、不安に揺らぐ紫紺の瞳に向かって、晴は言った。
「なんでもない。言ったろ。俺だって学習するって」
「――――」
「その過程で、もう少しお前を大切にしたいと思ったんだよ」
「晴さんらしくない解答」
「じゃあ大切にしない」
「嘘です! 嘘! もっと大切にしてください!」
不機嫌そうにそっぽを向けば、美月が目を白黒させた。
慌てる美月が可笑しく見えて、晴は苦笑をこぼすと、
「あんまり大人を揶揄うなよ」
「晴さんは大人というより世話の焼ける大きな子どもだと思います」
「傷ついた。罰として家に帰ったら覚えてろよ?」
ただ美月を真似て言ってみただけだが、当の本人はごくりと生唾を飲み込んで顔を赤くしてしまった。
「な、何をするつもりですか……」
「家に帰ってからのお楽しみだ」
「お、お手柔らかにお願いします」
怯える美月が無性に可愛かったので、答えはまだ明かさないでおく。
とりあえず、今日は美月が眠れなくなるまでホラー映画を観させようと思ったのだった。
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