第68話 『 私と出会う前はずっと小説書いてたんですか? 』


 最近。晴とまた仲良くなれた気がする。


 手を繋ぐのだって日常的になってきたし、キスだって回数も増した。それにこの間は長いキスをしてくれた。


 求めれば応じてくれる晴。それが少しだけ不思議だった。


「(あの人は本当に小説以外どうでもいいのだろうか)」


 美月から結婚しようと提案した時も、じゃあするかと躊躇うことなく同意した。


 手を繋ぐのも、むずむずするけど美月が放すまで握り続けてくれた。


 キスだって、美月から要求するばかりで晴からは要求はしてこない。


 甘えるのはいつも、美月だけ。


 晴は、全然甘えてはこない。


「(私はもっと、晴さんから甘えてきて欲しいんだけどな)」


 男ならカノジョとか妻には甘えたいものではないのだろうか。

 そういうのに、晴は本当に興味がないのだろうか。

 晴は、小説以外は我欲がないように見えた。


「(そういえば、前に晴さんの部屋を一緒に掃除した時、とりあえず買ったものが多かったな)」


 欲求というよりなんとなくで買ったもので溢れている晴の部屋。家に二台ある家庭用ゲーム機も、慎が味気ない部屋だと文句言われたから買ったそう。


 フィギュアは買っただけで段ボールから出さないし、せっかく買ったゲームも未開封品が殆どだった。


「(ゲームをするより小説を書くほうが楽しいというやつだろうか)」


 仕事が忙しいとなかなかやりたい事ができないのは知っている。が、今の晴は余裕があるはずで、趣味を楽しむ時間とお金の余裕はあるはずだ。


 なのに、彼は何もしない。小説以外。


「(どうして晴さんは、小説ばかり書いてるんだろう)」


 好きだから。

 楽しいから。

 それが仕事だから。

 けれどそれ以外に何かある気がした。

 美月はまだ、晴の過去を何も知らない――。


 ▼△▼△▼



「あ、慎さん」

「や。美月ちゃん」


 いらっしゃいませ、と振り返れば、なんと来客は慎だった。


「今日は一人ですか?」

「うん。今日はこれから詩織ちゃんとディナーに行くんだけど、まだ終わってないみたいで。だから詩織ちゃんの仕事が終わるまで、ここで待っててもいい?」

「もちろんです」


 席に案内しながら慎が一人で来た理由を聞けば、美月は仲が良いなと少し羨ましくなった。


 無論、美月も晴と最近は仲良くなれた気がしている。が、まだマックスには到達していない。晴との親密度は、せいぜい六十~七十%くらいだ。


「晴に会えなくて寂しい?」

「家に帰れば会えますから、寂しいとは思ってません」


 意地悪な笑みを浮かべる慎に、美月は口許を緩ませながらゆるゆると首を横に振る。


「それに、バイトが終わったら晴さん迎えに来てくれますから」

「あの晴がまさか女性を迎えに行くなんて、少し前なら想像もつかなかったよ」


 苦笑する慎だが、その理由も見当がついているからか揶揄ってはこない。


 以前、美月がストーカー被害を受けた事は、慎も負い目を感じているらしい。美月としてはあの時晴を助けてくれたのは慎なので、感謝しか尽きないが。


「どう? 夜道を歩くのは平気?」

「一人は少し怖いですけど、晴さんが一緒にいてくれる時は平気です」

「それは僥倖だ。晴も美月ちゃんが心配だから執筆する時間ズラしてるからね」

「ふふ。晴さんらしくないですよね」

「全くもってその通りだよ」


 晴は暇があれば小説のことを考えているし執筆している。が、今の晴は美月の時間に合せて執筆している。


 美月がいない昼時に原稿を進めて、夜はなるべくリビングに居てくれていた。


 あの晴が、と感慨深そうにしている慎の顔を見れば、どれほど晴の生活が激変したのかは言うまでもあるまい。


「慎さんに一つ聞きたいことがあるんですけど、いいですか」

「ん。何でも答えてあげるよ」


 朗らかに微笑んで頷いてくれた慎の厚意に甘えて、美月は聞いた。


「晴さんて、私と出会う前はずっと小説書いてたんですか?」

「うん」


 肯定した慎。しかし、その表情はどこか複雑なものになる。

 その理由が判らず眉根を寄せれば、そんな美月に慎は耽るように目を細くした。


「晴はずっと、小説ばかり書いてたよ。もちろん読む量も多かった。今は整理整頓されてるけど、俺が初めて晴の家に行ったときは本がタワーになってたりソファーの上に散りばめられたりぐちゃぐちゃだった」

「相当酷かったことは前に少しだけ聞きましたけど、晴さんて、小説書くの凄く速いですよね。それなら掃除するくらいの時間はあると思うんですが」


 晴が面倒くさがりなのは知っているが、それでも自分の住処が住処でなくなる事態は嫌悪感が溜まるはずだ。


 そんな美月の懸念を、慎は穏やかな声音で否定した。


「晴は、本当に小説以外のことはどうでもよかったんだ」

「……ぇ」


 俯く慎が、寂寥感を孕ませた声音で呟いた。

 普段の朗らかな声音からは想像もつかないほどに落ちた声音に、美月は目を疑った。

 唖然とする美月に、顔を上げた慎は「ごめんね」と弱々しい微笑を浮かべながら謝った。


「たぶん、この話は今この場でするべきものじゃないと思う」

「…………」

「キミと出会う前の晴を、俺は一言で語りたくないんだ。というより、語り切れないほうが近い」


 俺もまだ晴を全然知らないしね、と慎は弱い笑みを浮かべた。

 それから、慎は続けた。


「美月ちゃんさえよければだけど、一度、ちゃんと晴のことについて話しておきたいな」

「分かりました」


 慎重になる慎に、しかし美月は即断した。


「私も、晴さんのことをもっと知りたいです。なので、慎さん。私に教えてください」


 この場では語り切れない晴の過去。

 それを、美月は望んだ。

 だって、美月は晴の妻だから。


「分かった。なら今度、俺が知ってる晴のことを全部教えるよ。それと」

「それと?」

「丁度、晴の学生時代に詳しい人と今週会うことになったから、美月ちゃんも会ってみない? 俺、そいつから色々と話聞くつもりなんだ」


 どくん、と心臓が跳ねる。


 何か、踏み込んではいけない禁忌に足を踏み入れたような、そんな恐怖が襲った。


 けれど、美月は強く頷いた。


「分かりました。私も是非、その人に晴さんのことを聞いてみたいです」


 それが開いてはいけない扉を開けることだとは、まだ美月は思いもしなかった――。

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