第69話 『 私は、晴さんの全部が知りたいです 』
そして、慎と約束した日の当日。
バイトは同僚のヒナミに代わってもらい、美月は駅構内にいた。
「美月ちゃん」
「慎さん」
美月を見つけた慎が名前を呼びながら手を振いることに気付いた。
「お待たせ、待ったかな」
「いえ、来たばかりです」
本当は緊張して、待ち合わせの時間よりも三十分ほど早く着いてしまっていた。
「ナンパとかされなかった?」
「されませんよ、もう」
にやにやしながら聞いてくる慎に美月は頬を膨らませた。
相変わらずひょうきんな人だな、と苦笑すると慎は「それで」と前置きして、
「晴、何か言ってた?」
「特になにも。友達と出掛けると言ったら「ふーん」とだけ返されました」
「相変わらず冷めた奴だな」
今朝の出来事を伝えれば、慎は肩をすくめた。
それから慎は腕時計を見ると、
「もうちょっとここで待ってようか。サトル、電車一本乗り遅れちゃったらしくて、少し遅れるって」
どうやら慎の友達の名前はサトルという名前らしい。
分かりました、と顎を引くと、それから二人は駅構内でサトルの到着を待った。
無言のままも気まずいからか、慎は爽やかな笑みを浮かべたまま美月と会話を始め出す。
「今日は暑くなるってさ」
「もう夏になりますもんね」
「ね。来週から七月だって。時が過ぎるのは早いねー」
「ふふ。そうですね。あっという間です」
慎の言葉にその通りだと美月は微笑。
「毎年そう思うけど、今年は常々思わされるよ。その中で一番のビッグニュースは、やっぱり晴がキミと結婚したことだけどね」
「私自身も驚いてますよ。まさか学生のうちに結婚するなんて想像もしてませんでした」
「はは。だろうね」
慎が可笑しそうに笑った。
「晴は驚きこそしてるけど、俺たちよりは驚いてないんだろうなぁ」
「そうですね。キスしたのに顔色一つ変わらない人ですから」
「慣れてるならまだしも、恋愛経験ゼロの男が表情変わらないのは流石になぁ」
「えぇ。ですから疑ってしまいます。実は付き合ってる人がいたんじゃないか、って」
「ないない。自分でも豪語してるし、キスなんか経験なくても書けるだろって言ってたから。天才はつくづくムカつくよ」
「執筆バカですねー」
「ホントにね」
互いに、晴への愚痴で盛り上がる。
今頃家では噂されてくしゃみでもしてるかもしれない旦那を思い浮かべていると、
「慎くーん!」
こちらに手を振ってくる男性が見えた。
「あ、サトルだ」
ぽつりと呟いた慎が「行こうか」と歩き出す。一歩遅れて、美月もサトルの元まで向かった。
段々と輪郭も濃くなっていけば、愛想の良さそうな顔がニコリと口角を上げた。
「久しぶり、慎くん」
「久しぶり、サトル」
友人同士の再会に、互いが微笑みを交わす。
その様子を睦まじそうに眺めていると、サトルの視線が美月へと移った。
「えーと、もしかして慎くんのカノジョ?」
問いかけに、慎は「違う、違う」と手を振って、
「この子が晴の奥さんだよ」
慎が答えると、サトルは目を光らせた。
「へぇ! キミが晴の奥さんか! あ、慎くんからもう話は聞いてるよ。女子高生なんでしょ」
なぜそこを強調してきたかはさて置き、美月はサトルに会釈した。
「初めまして、八雲晴の妻の、八雲美月です」
「うん。よろしくね」
「慎さん。この方、本当に晴さんの友達なんですか?」
「うんそうだよ……全然違うよねぇ」
笑顔が眩しいサトルに、美月は彼が晴の旧友なのかと疑ってしまうのだった。
▼△▼△▼▼
それから三人は落ち着いて話ができる場所へ移動した。
「せっかくのお休みなのにすいません」
「気にしないでいいよ。慎くんとは遊びついでで晴のことを話すつもりだったしね」
頭を下げればサトルは首を横に振った。
それから、サトルは「まずは」と慎との馴れ初めを話してくれた。
「慎くんとは晴を外に連れ出してた時に面識が出来てね。最初は連絡先を交換した程度だったんだけど、慎くんのほうから遊びに誘われてから友達になったんだよね」
二人で富士山登ったこともあるんだよ、と教えてくれた。
「それ以来、時々こうして顔を合わせてるんだ。俺は晴とは滅多に会わないから、慎くんから晴の情報を聞いてるんだよ」
「そうなんですね」
「まぁ、結婚した報告はさすがに晴のほうからしてほしかったけど」
「忘れてると思うよ」
「アイツは……」
「うちの旦那がごめんなさい」
頭を下げれば、サトルは気にしなくていいからと笑って水に流してくれた。
友達に結婚報告をしなかった執筆バカは後でお説教として、美月はサトルに質問した。
「サトルさんは、晴さんとはいつから友達だったんですか?」
「中学の時だよ。高校も一緒だった」
「そんなに長い関係だったんですね」
サトルは懐かしむように答えてくれた。
友達というよりは腐れ縁に近い、と補足したサトルは、乾いた喉をメロンソーダで潤してから息を吐いた。
「それで、二人の今日の要件は、晴の過去話でよかったんだよね」
「あぁ」「はい」
視線だけくれたサトルの問いかけに、美月と慎はそれぞれ呼応する。
それを見届けたサトルは相槌を打ち、視線を落とした。
「さてと、何をどこから話すべきかな」
声音を静かに落としたサトルに、美月はわずかに息を飲み、慎は頬を硬くする。
明らかに空気が変わった。
その気配を鋭敏に察した美月は思わず言葉が喉に詰まってしまう。
そんな美月に代って、慎が先に言った。
「俺は晴が小説を書くきっかけが知りたい」
するとサトルは「およ」と小首を傾げた。
「それくらいなら読者アンケートとかで答えてるんじゃない?」
「そうだけど、その答えは『覚えてないです』だったよ」
「アイツ」
二人揃って呆れて、美月は微妙に居心地が悪くなる。
うちの旦那がすいません、と胸中で頭を下げつつ、美月もわずかに調子を取り戻すと遅れて答えた。
「私は、晴さんの全部が知りたいです」
「―――――」
そう告げた、瞬間だった。
サトルの顔から笑みが消えた。
周りの空気が一℃、二℃下がったように寒気がして、背筋に震えが走る。
驚愕に瞠目すれば、サトルは声音すらも剣幕のものに変えて呟いた。
「やっぱり晴は何も言ってないんだね」
「何も、とは?」
テーブルの下できゅっと拳を握りながら、平常心を保って聞き返した。
「言葉通りだよ。晴は……言いたくても言えなかったのかもな」
独りごちるサトルの声音は、諦観と落胆、そして悲壮に満ちていた。
その寂寥感しか宿さなくなった瞳に声が詰まれば、そんな美月を気遣って慎が促した。
「なんでサトルがそんな悲しい顔をするんだ?」
「理由はあるよ。俺は……」
一度、言葉を区切り、顔を俯かせるサトル。
再び美月と慎に向けられた双眸は、悔悟を強く宿ませていて。
「俺は――晴が書く小説が嫌いだ」
「――――」
酷薄に告げたサトルは、告げる。
「小説は、晴から全部を奪った」
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