第70話 『 小説さえ書かなければ、変わらずにいたんだ 』

 


 衝撃の告白に、美月は声もなく瞠目した。


「小説が晴から全部奪った、ってどういうこと?」


 冷静に聞き返したのは慎だった。

 彼も衝撃の余韻をみせてはいるものの、美月よりもずっと冷静だった。

 眉尻を下げる慎に、サトルは眉間に皺を寄せたまま返した。


「言葉通りの意味さ。晴は小説を書き始めてから……いや、ある時から人が変わったように笑わなくなった」

「てことは、昔の晴はよく笑ってたんだ」


 あぁ、とサトルは肯定する。

 それからサトルはスマホを操作すると、一枚の写真をみせてくれた。


「これは?」

「中学の時の写真だよ」

「バレーボール部って書いてあるね」


 中学校の体育館だろうか。『個を繋ぎコートを制す』と書かれた横断幕を背景に、ユニフォームを来た選手たちが並んでいる。どうやら集合写真のようだ。


「晴は中学の時バレー部だったんだよ」


 初耳だった。


「そうだったんですね」

「アイツはやっぱり言ってないんだねぇ」

「はい。一度も聞いてません」

「俺も知らなかったよ」

「慎くんにも言ってないのかアイツは」


 呆れるサトル。けれど写真を指差した時は口許を緩めてこれが晴だよ、と教えてくれた。


「これが、晴さんですか?」

「そうそう。当たり前だけど、全然顔つき違うでしょ」


 けらけらと笑うサトルに、美月は「はい」と頷く。

 若かりし晴は、当たり前だが顔つきが違った。髪型はいまと大して変わらないが、目つきが現在より鋭くないし生気が灯っている。


「(晴さんて、こんな風に笑うんだ)」


 何よりも、この写真の晴は凄く楽しそうに笑っていた。

 こんな笑顔、美月は一度も見た事がない。

 そして、それは慎も同じだった。


「俺、晴がこんな風に笑ってるところ一回も見たことないよ。ピースしてるし……」

「私もです。晴さんはいつも仏頂面ですから」

「嫁に仏頂面とか言われてるのかアイツは」


 眉間に手をあてるサトルは嘆息して「なんかごめんね」と美月に謝った。

 それがいつもの晴さんですから、と答えれば、サトルは口許を緩めてから話を再開させた。


「晴はバレー部じゃ強い選手だったんだよ」

「へぇ。今の晴からじゃ想像もつかないな」

「だろうね。今のアイツめっちゃ運動嫌いだから。でも、昔は推薦くるくらいは活躍してたんだよ」


 ふーん、と慎は少し羨ましそうに生返事。


「でも、これを見る限り身長は高くないよね?」

「うん。でも晴はジャンプ力が凄くあったんだよ。俺の方が身長は圧倒的に高いけど、俺より高いところから打つんだよ」

「本当ですか?」


 半信半疑の美月に、サトルはこくこくと首を縦に振る。


「この頃の晴をキミにみせたいなぁ。たぶん惚れるよ」

「もう間に合ってます」


 そう答えれば慎とサトルは「あらあらぁ」と声を揃えてにやけた。


「「ご馳走様です」」

「もうっ。早く話を進めてくださいっ」


 揶揄う大人二人に憤慨すれば、にやにやしながら「ごめんね」と謝られた。まったく反省の色が見えずに嘆息してしまう。


「でも、サトルさんの言うことが本当なら、晴さんて女子にすごく人気だったと思うんですけど……」

「実際人気だったよ。でも晴はカノジョよりバレーのほうが楽しいって言って女子を寄せ付けなかったけど」

「ふふ。それは晴さんらしい」


 熱中するものがあれば、それ以外眼中になくなるのが晴らしかった。

しかし、やはりそれほどにカッコよかったのだろうかと、まだ懐疑心はあった。


「(この写真を見る限り、晴さんはカッコいいより可愛いほうなんだよな)」


 凛としているよりも、幼さが勝る中学の頃の晴。

 もしかしたら美月の前だから誇張しているのかもしれない。そう思ったが、けれどこの写真を懐かしそうに見つめるサトルからは嘘は感じられなかった。


「晴さんは高校でバレーを続けなかったんですか?」


 気になって問いかければ途端、サトルは緩んでいた顔を再び引き締めた。


「キミも慎くんももう知ってるだろ。晴は高校生からプロの作家になったこと」

「はい」「あぁ」


 同時に頷けば、サトルはスマホをテーブルに伏せた。

 そして、サトルは晴が小説家になったきっかけを訥々と語り始めた。


「俺は漠然と、晴も高校でバレーを続けるんだと思ってた。でも、中三の二学期に入った頃に、晴はそれよりもやってみたいことができたって言ったんだ」

「それが、小説ですか」


 そうだよ、とサトルは肯定した。


「バレーも好きだけど、でも小説書いてみたい! って楽しそうに言った晴は今でも覚えてる」

「あれ、晴がネット小説に投稿を始めたのって高校からだよね?」

「そうだよ。でも投稿し始めたのが高校生からってだけで、その間に小説を書く勉強をしてたんだ」

「うわ……アイツならやりそう」

「晴は何かやる際にはある程度の能力は身に着けておく性格だからね。加えて努力も怠らない」

「ふふ。そこは少し晴さんらしい」


 微笑む美月を見届けてから、サトルは続けた。


「晴は高校のレベルを一つ下げて、受験勉強よりも小説の勉強を優先にした。親に呆れられても、晴は自分を曲げなかった」


 何か、不穏な言葉が聞こえた気がした。


「高校に入って、半年経ったくらいからかな。晴が小説をネットに投稿し始めたんだ」


 技術を身に着けて投稿した小説は【面白い】と話題になったそう。

 それがどんな作品かは、美月と慎は容易に想像がついた。


「晴が初めて書いたやつって【微熱に浮かされるキミと】だよね」

「そうだよ。タイトルも文庫本と変わらないからすぐに分かるか」


 答えに辿り着いて当然だとサトルは驚きもしなかった。


「初めて感想を貰った時は凄く嬉しそうに報告してくれたよ。「見ろ見ろこれ! 感想もらった! 面白いだって!」って」

「晴が?」


 懐疑的な視線を送る慎に、美月も共感する。


「俺の知ってる晴は大賞獲っても無関心の男なんだけど」

「えぇ。晴さんの大ファンだって友達のことを伝えても、ちっとも嬉しそうにしませんでした」


 慎に同情するように言えば、サトルはゆるゆると首を横に振った。


「言ったろ。今の晴と昔の晴は何もかもが違う。それに、誰だって何かを始めたばかり頃は少しの称賛でも嬉しいものだろ」

「それはそうだけど……」


 まだ納得のいっていない慎は口ごもる。

 納得しない慎にサトルは複雑な表情を浮かべるが、美月も慎に同情してしまう。


「私の知ってる晴さんは、あまり表情を表に出しません。だから、慎さんもサトルの話にうまく飲み込めないんだと思うんです」

「美月ちゃんの言う通りだ。サトルの話と、それにさっきの写真を見た限りだと、晴、元々は明るい性格だったように聞こえる」

「晴さんは、どちらかといえば静かな人です」


 小説のことしか考えてない頭なのは痛感しているが、それ以外は何を考えているのか皆目見当もつかない。

 美月の言葉にうんうんと首を縦に振る慎。だがサトルはそんな美月たちを見ると痛みを堪えるように顔をしかめた。


「慎くんたちが知ってる晴はそうかもしれない」


 でも、とサトルは儚い声音で答えた。


「晴は元々、明るい性格だった」

「「え」」


 驚き、目を剥く美月と慎。

 そんな戦慄する二人に構うことなくサトルは続けた。


「晴は元々明るい性格だった。人あたりもよくて、よく回りを気遣えて友達想いだった」

「――――」

「成績も優秀で、周りを引っ張るような奴だった。それなのに……」


 過去の晴を語る慎は、テーブルに置かれていた手を硬く、強く握り締めた。

 血管が浮かぶほどに強く握られた拳は、やり場のない怒りが溢れているようにも見えて。


「小説さえ書かなければ、晴は変わらずにいられたんだ」

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