第301話 『 カレシじゃなくて、旦那さん 』


 そもそもネットに素顔を公開した時点で、美月の秘密がある程度周囲に露呈するのはなんとなく察していた。それが、彼のファンであるなら猶更で。


「ふぁぁぁぁぁぁぁ。やっぱりハル先生だぁぁぁぁぁぁぁ!」


 放課後。美月は千鶴(可憐と冬真も同伴で)を連れて家に帰宅した。

 そして現在、晴と握手している千鶴が感激に震えていた。


「【ビネキミ】大好きです! アニメ二期も決定おめでとうございます!」

「あはは。ありがと」

「ちょっと千鶴。あんまり激しく振ると晴さんの腕取れちゃうから」

「これくらいで取れるか」


 冬真の影響ですっかりヲタクと化してしまった千鶴は、興奮状態で晴と握手していた。


「ハル先生の小説大好きです! ……とは言っても私も最近ラノベにハマったばかりなんですけど、でも応援してます!」

「うん。応援してくれてありがとう」

「ひゃぁぁぁぁぁ。こんなイケメンがラブコメ書いてるとか萌えるぅぅぅ」

「イケメンではないと思うけど……」


 情緒不安定になっている千鶴に、流石の晴もどう対応すればいいか困っているようだった。


 それが少しだけ面白くて、美月は口許を綻ばせる。


「ああああの! サイン! サイン貰ってもいいですか⁉」

「勿論。あそうだ、金城くん。この前雫さんからサイン貰ってきたんだけど、要る?」

「雫さんて、もしかして詩音役の伊織雫さんですか⁉」

「そう」

「欲しいです‼」

「冬真だけズルい⁉ それ私に頂戴!」

「僕宛に書いてもらったから僕のサインだもん!」

「大丈夫。千鶴ちゃんへって上書きすれば私宛になるから!」

「やることがクソ野郎過ぎるよ⁉」


 人気声優のサインを巡って火花を散らすヲタクたち。それを苦笑交じりに見届けていると、あの二人と違って冷静な可憐が呟いた。


「まさかみっちゃんのカレシさんが天才人気ラブコメ作家だったとは」

「黙っててごめんね」

「謝ることは何もないよ。言い出せない気持ちも理解できるから」

「うん。ありがと」


 まだ〝あの事実〟は告げていないが、それでも美月の気持ちを汲んでくれる可憐には感謝せずにはいられない。


 小さくお礼を言えば、可憐は「友達だもの」とピースしながら返してくれた。


「みっちゃんが金城と仲良くなったのも、もしかしてこれが原因きっかけ?」

「うん。冬真くんは晴さんが作家だっていうことは前から知っててね。それで、そうじゃないか、って聞かれて頷いたの」

「にゃるほどねぇ。つまり、お二人は秘密を共有し合う仲だった訳だ」

「あはは。そうなるね。でも、今はそれなんて関係なく友達だよ」


 そう答えれば、可憐も「同意」と微笑みながら頷いた。


「まぁ、友達=何でも話し合える仲とは思ってないからねぇ。私だってみっちゃんや千鶴に言えないことの一つや二つあるし」


 でも、と可憐はおっとりとした目を向けてくると、


「千鶴はともかく、私までカレシさんのここに呼んでよかったの?」


 可憐は、自分が晴のファンではないのに呼ばれたことに疑問に思っているのだろう。


 実際、千鶴もこの家に呼ばれた理由は晴に会う為だと思っているはず。


 けれど、それは勘違いで。


 美月が二人を呼んだ本当の理由は、別。


 千鶴に晴を合わせることよりも、美月にとってはその方が重要で。


「ここに可憐を呼んだのはね、千鶴と一緒に聞いて欲しかったからなの」

「何を?」


 小首を傾げる可憐。懐疑的な目を向けられたまま、美月は歩きだす。


 そして晴の隣に立てば、空気が変わった。


 さっきまで喧騒だったリビングが、まるで演奏が始まる直前のように静寂に包まれた。


「二人に今から、とても大事なことを打ち明けるね」

「え、なになに。急にどうしたのみっちゃん?」

「シッ。千鶴静かにして」


 美月の神妙な顔を見て、可憐と千鶴が息を呑む。


 ふと、隣に立つ晴の顔をチラッと見れば、彼はいつでもいいぞ、とでも言うように頷いてくれた。


 その微笑みが、震える心に勇気をくれるから。


 きゅっ、と胸の前で手を握り締しめると、美月は静かな声音で語り始めた。


「えーと、今までずっと千鶴と可憐に隠してきたけど、実は晴さんは、私のカレシではないの」

「え。それってどういう……」


 美月の言葉に、千鶴と可憐は困惑の色を強く浮かべる。

 そんな二人から視線は外さぬまま、美月は一度瞼を閉じる。


 瞼を閉じれば、晴と出会ってからこれまでの日々が走馬灯のように蘇ってきて。


 また、ゆっくりと紫紺の瞳を開いていけば、そこに立っていたのは学生でも、カノジョでもない。


 八雲晴のただ一人の、夫の隣に立つ妻がいた。


「実はね。私、もう既に結婚してるんだ。今隣に立っている、八雲晴さんと」

「――え」

「今の私はもう〝瀬戸美月〟じゃなくて〝八雲美月〟なの」


 ようやく事実を二人へ告げれば、千鶴と可憐は衝撃に固まったまま、まだ美味く美月の言葉を飲み込めていないように目を瞬かせる。


「えっと、それはあれかな。何か冗談的な」

「四季さん。美月さんの言ってることは本当だよ」


 この真実を既に知っている冬真が、頬を引きつらせる千鶴に向かって言う。


 そしてさらに、美月は自分と晴が結婚しているという唯一無二の〝証〟を二人に見せた。

 学校にいる時はネックレスとして携帯していた〝それ〟を外せば、左手の薬指に填めて、


「私は晴さんと結婚してる。この〝結婚指輪〟が、何よりの証明だと思う」

「「――っ⁉」」


 掲げれば、キラリと光る結婚指輪を二人にみせる。晴も美月と同じように二人へと見せれば、それはもう否定できない現実そのもので。


「み、みっちゃん。それはあれですか、この日のドッキリ用に仕組んだものじゃなくて……」

「そんな趣味の悪いことしないよ。今まで黙っててごめんね。結婚してるのは本当」


 必死に言葉を紡ぎながら言った可憐に、美月はゆるゆると首を横に振りながら答える。


「と、冬真も知ってたの?」

「うん。美月さんがハル先生と結婚してることは知ってたよ。そのおかげで美月さんと縁ができて、ミケ先生のアシスタントができてるんだ」

「な、なるほど?」


 美月にではなく冬真へ尋ねる千鶴に、彼は苦笑を浮かべながら答える。


「えっと、ということはつまり、この家はカレシさんの家ではなく……」

「うん。私たちのお家です」

「にゃ」

「ふふ。そうだね。エクレアも、大事な家族だよ」


 美月の言葉に続くように、いつの間にか足元にやってきたエクレアが鳴いた。晴の足元ではなく、美月の足元で、自分もこの家の家族だと主張するように。


「本当に、今まで黙っててごめん」

「い、いや、これは絶対言えないやつでしょ……」

「うむ。人気ラブコメ作家とJKが結婚……スキャンダルものだぁ」


 それを避けるために、美月はこれまで周囲に明かすことができなかった。

 けれど、もうこれ以上二人に隠すことはできない。


 否、できないのではない。美月自身が、二人に隠したくなかったのだ。

 だって、可憐と千鶴は、かけがえのない親友だから。


 それに有耶無耶にせず真実を告げた方が、きっと晴と美月の為になるから。

 そう判断したから、晴も美月の選択を受け入れてくれたのだろう。


「二人にお願いがあるんだけど、この事はなるべく他言無用にして欲しい」

「へ、へぇ。絶対に言いません、というか、重すぎて言えないよこれは」

「学生で結婚。やばば」


 晴の懇願に、やはりまだ驚愕しながら千鶴と可憐がこくこくと頷く。

 それから、わずかに状況を理解し始めた可憐が呟いた。


「これが露呈したら、みっちゃんの穏やかな学校生活が終わってしまうかもしれないのか」

「そう。美月には卒業まで普通の高校生として、君たちと青春を送って欲しい。だから、お願いします」

「――晴さん」


 自分より一回りも歳の離れた子どもに向かって、晴は深く頭を下げた。

 それは自分を庇護する為でなく、美月を守る為に。


「は、ハル先生。頭を上げてください」

「心配しなくても大丈夫です。この事はちゃんと秘密にします。それに、私もみっちゃんと楽しい学校生活が送りたいので」

「私もです! 正直、まだ驚いてるけど、でもみっちゃんが幸せならそれでいいと思ってるので!」

「二人とも。……ありがと」


 千鶴と可憐が晴の懇願を受け止めて、笑いながら頷いてくれた。頭を上げた晴も、二人の優しさに触れて微笑をこぼす。


「で、でも結婚かぁ。みっちゃん、意外と大胆なことするね」

「うん。でもね、この人の傍にいたいから、小説家としてのハルさんを支えたいから結婚したの」


 高校生で結婚。それはたしかに驚かれることだ。

 普通であれば約束だけして、卒業まで待つのがセオリーなのかもしれない。


 でも、それは他の人たちの話であって、美月には関係ない。


 高校生で結婚。


 周りからすればそれは大それたことで、過ちと思われるかもしれない。

 けれど、美月に後悔なんてものはない。


 あるのはただ、晴と結婚してよかったという、幸せな気持ちだけ。

 それを証明するのは、左手の薬指に填められる結婚指輪だから。


「千鶴。可憐。これからも、友達としてよろしくね」


 これからは千鶴と可憐に、瀬戸美月としてではなく、八雲晴として接することができる。


 八雲晴の妻として、彼を支える者として、また新たな一歩を刻む美月に、二人は――、


「「うん。これからもよろしくね、みっちゃん」」


 快く、満面の笑みを魅せながら迎え入れてくれたのだった。


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