第203話 『 現実はクソみたいなところっす 』
「今日はいきなり家に来て欲しい、なんて連絡して申し訳ないっす」
ぺこりと頭を下げれば、眼前、ライトブラウンの髪が特徴的な女性は快活な笑顔を魅せながらひらひらと手を振った。
「全然気にしないでください。むしろ、私としてはミケ先生のお宅に初めて上がれてその上お泊りもできるなんてラッキーですから!」
「そう言ってもらえると助かるっす」
キラキラとした瞳を向ける女性――詩織の言葉にミケは安堵がこぼれる。
個人営業のミケと違って詩織はOLなので明日も仕事が控えている。休み時間に抜けてもらう、なんてことは流石に抵抗があったので、こうして詩織を自宅に泊める形で相談に乗ってもらうことにした。
急な連絡にも関わらず快く引き受けてくれた詩織には感謝しかない。
「そういえば、今日は金城くん来てないんですか?」
「はいっす。今日は休み……というより休んでもらいました」
「またなんで?」
眉根を寄せた詩織に、ミケは一度息を整える。
本日の相談。それは、先にも話題に挙がった少年についてだった。
息を整えたあと、ミケは「実は……」と前置きして詩織に告げた。
「今日詩織ちゃんを呼んだのは他でもなく、金城くんとのことについてなんす」
「ほほぉ」
姿勢を正すミケに、詩織は興味深そうに双眸を細くした。
よいしょ、と詩織がミケとの距離を縮めてきて、前髪を耳に掛けて聞く体勢を作る。
「それでそれで、いったい金城くんと何があったんですかミケ先生」
「はいっす。……その、最近すね」
「はい。最近?」
ごくりと生唾を飲み込み、ミケは覚悟を決めた。
「最近! 彼と一緒にするとすごく胸の辺りがもやもやするんす!」
「もやもや、とは具体的に?」
「ええと……何といえばいいのか上手く説明はできないんすけど」
ゆっくりでいいですよ、と詩織が微笑みながら言った。
深く、息を落ち着かせながら、ミケは続けていく。
「こう、いつもは彼と話すとすごく楽しくて、一緒にいると安心するんすよ」
「はいはい」
「私の為に頑張ってくれて嬉しいし感謝もしてるっす。ご飯の用意や掃除、資料を集めたりしてくれて、本当に私には勿体ないくらいよく出来たアシスタントさんだと思うっす」
ミケの言葉を、詩織は静かに聞いてくれた。
冬真と一緒に過ごす時間。それが心地よかった。
アニメを見たり、ゲームをしたり、一緒にお菓子やご飯を食べたり――そんな誰かとこうしたかったという憧憬を叶えさせたくれた冬真。
でも、
「ある日を境に、っすからね。胸の辺りがざわつくようになったんすよ」
「ある日って、それいつからか覚えてますか?」
詩織の問いかけにこくりと頷いて、ミケは答えた。
「金城くんが、修学旅行の写真を見せてくれた時からっす」
それだけで、と詩織が驚くのも理解できた。
「何か、そうなるような理由があるんですよね?」
答えを求める詩織に、ミケは無理解を示すように首を横に振った。
「本当に分からないんす。ただ皆と楽しそうにしている瞬間を見ただけ。なのに、胸はどうしてかもやもやする」
「…………」
しかもそれは、さらに悪化して。
「経緯は省きますけど、この間金城くんと友達が一緒にいるところを見たんすよ」
「まぁ、学生なら友達の一人や二人いるのは当然でしょうし、遊ぶのも当たり前だと思いますけど」
「女の子っすよ」
「女の子⁉ 金城くんやるなぁ」
何やら喜んでいる詩織。
そんな詩織が食い気味に訊ねてくる。
「その子、ひょっとしてカノジョとかですか?」
「どうっすかね。ただ仲良さげで、修学旅行の写真にも二人で並んでいるのを見かけたっす」
「ほほぉ。つまりカップルではないけどそれなりに親交があるということですかね」
顎に手を置いて思案する詩織。
脳内で楽しい妄想を繰り広げている詩織に、ミケは自嘲するような笑みを浮かべて。
「……やっぱり、金城くんは私といるよりも友達といるほうが楽しいんすかね」
「……ミケ先生」
儚げな声音に、それまで浮かれていた詩織が途端に声を落とす。申し訳ないとは思いつつも、ミケは苦悩に溺れる。
自分と居る時の冬真の笑顔が嘘――ではないことはミケ自身も分かっている。
自分がダメで面倒な性格だということは自覚している。それでも冬真は飽きもせず親身に尽くしてくれることは本当に嬉しいと思っている。
それと同時、冬真がミケに一線を引いていることも理解していた。
「時々、思うんすよ。彼とは雇い主とアシスタントの関係じゃなくて、ただ同じ年の気の合う友人になれたら、なって」
「ミケ先生は、今の関係じゃなくて、冬真くんと同世代の友達のようになりたいんですか?」
「そんな世界線があればの話っす。ここは異世界召喚も魔法少女になることもできない。時間を巻き戻すこともできないクソみたいな現実世界っす。私が言っていることは、全部もしもの話でしかないっす」
ミケが語っているのは、ただの夢物語でしかない。
こうであって欲しいと。こうなりたいと。現実は願うことばかりの虚しい場所だ。
姿勢を崩し、己の膝を抱いた様は、まるで殻に閉じこもるようで。
「(もし、彼があの子と本当に付き合い始めたら、自分はどう彼に接すればいいのだろうか)」
果たしてこれまでの関係を続けられるだろうか。
一緒にアニメを見て、お菓子を食べて、息抜きにゲームをする。そんなことが出来なくなるかもしれない。
仕事に関してだってそうだ。掃除や食事の準備。資料の用意――アシスタント業務さえできなくなってしまうかもしれない。
だってミケは女の子だから。
仮にだ。ミケが冬真の彼女の立場だったとして、冬真が仕事とはいえ他の知らない女の家に通っていたら、不安でたまらなくなるし疑心暗鬼になってしまう。
「(金城くんは優しいから、カノジョさんを安心させる為に辞めるだろうな)」
仕方がないことだ、と納得してしまう。
「……嫌だなぁ」
彼と楽しい時間が過ごせなくなるのは、嫌だった。
「詩織ちゃんだったらどうします?」
「え?」
それまでただ静かに見つめていた詩織に唐突に声を掛ければ、彼女は目を見開く。
「もし、仲がいい男の子の友達にカノジョができたら」
「……私なら、距離を置きますかね」
詩織の答えに、ミケは「ですよね」と失笑。
ミケだって同感だった。冬真とあの子が恋人になったら、二人の関係を守る為に自分から距離を置く。
それが例え、冬真にアシスタントを辞めてもらうことになっても。
――幸せは、いつだって誰かの犠牲で成り立っている。
絵を描いている時、ミケはいつもそう思う。
絵を描いて食べていくとういのは厳しい話だ。それこそ本当に、一握りしかそうなれない。
自分が楽しく好きな絵を描いている影で、死ぬほど努力し描き続けても報われない人間がいる。そんな人間たちを、ミケは何人も見てきた。
――続けるのが才能なら、諦めることだって立派な才能だ。
ミケにはその勇気がない。きっと、絵で食べていくことができなくなったら死ぬ。
以前、晴も同じようなことを言っていたことを思い出した。
――『小説で食っていけなくなったら、ですか。当然死にますね。俺には小説が全てですから。それに、小説が書けない世界に興味ないですし』
晴は小説に。ミケは絵に存在そのものを賭けている。
犠牲や対価はいくらでも払う。けれどその代わり、絵を描かせてくれ。
そうやって絵を描き続けてきたのに。
「――金城くんと、もっと仲良くなりたかったな」
絵よりも大切にしたいと思える何かが芽生えてしまって。
それが、これまでのミケの人生を否定した。
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