第202話 『 キミは、ミケさんのアシスタントなんでしょ? 』


「美月さん。ちょっと二人きりで話があるんだけどいいかな?」

「……いいけど」


 何やら真剣な顔で頼み込んできた冬真。


 こうして教室にも関わらず堂々と尋ねてくるのは珍しいな、そう思案しながら頷けば、教室では話にくいからと場所を移動した。


 そしてやって来たのは、放課後の屋上。


「それで、話ってなに?」

「うん……」


 髪を耳にかけて聞く姿勢を作れば、冬真は息を整えていた

 数十秒の沈黙のあと、ようやく決心がついたように真剣な眼差しが向けられた。


「実はね、最近、ミケ先生の様子がおかしいんだ」

「おかしい?」


 冬真の言葉に、美月は眉根を寄せる。

 心当たりがない――という訳ではない。

 けれど、核心はなかった。


「食欲はあるの?」


 もしかしたら晴の時みたく風邪かもしれないと思って問えば、冬真は首を横に振った。


「うん。それは大丈夫。体調面に異常はないと思うよ」

「お仕事は? 時々ぼーっとしたりしない?」

「それは分からない。僕、ミケ先生が作業場で絵を描いている時は無闇に開けないようにしてるから。そう規約にもあるしね」


 そうでなくても冬真にとってミケの作業場は神聖な領域だそうで、仕事中の彼女の様子を見る滅多にないらしい。


 美月も晴が仕事場で執筆している時は極力扉を開けないようにしてるから気持ちは理解できた。集中している人に話しかけるのは無粋だし。


「なら様子が変っていうのは、どういう時に感じるの?」

「……そうだね。もしかしたらただの勘違いかもしれないんだけど、ここ最近のミケ先生はずっと、僕にどこか素っ気ないというか、よそよそしい……って感じがするんだ」

「……それは、冬真くんといる時だけ?」


 核心めいた何かに触れながら促せば、冬真の瞳が一瞬揺らぐ。

 動揺。その色を窺わせながら、冬真は静かに頷いた。


「……うん。前は楽しくお話できてたけど、最近は会話が途切れることがよくあるんだ。それに、今日は早く帰った方がいいじゃないかって言われることもあって」


 僕何かしちゃったのかなぁ、と明らかに落ち込んでいる様子の冬真。

 その隣で、美月はミケの冬真に対する態度に確信を得ていた。


「(ミケさんが冬真くんに素っ気ないのは、やっぱり千鶴が関係してるかも)」


 冬真と千鶴が一緒にお出掛けたした日。その時にミケが冬真を尾行していた時点でなんとなくではあるが嫌な予感はしていた。


 初めは、興味や懸念といった感情が強く働いていたのだろう。尾行に罪悪感こそあれど楽しんでいるように見えた。けれど、千鶴を一目見た瞬間から、ミケの表情や雰囲気が余裕がなくなったことは明瞭だった。それを感じ取ったのは美月だけでなく、晴もだ。


 二人が楽しく買い物をしている光景。それを見れば見ていくほど、ミケの表情には笑みが消えて苦しそうに見えた。


 だからあの時、晴は無理矢理ミケを冬真から引き剥がしたのだ。


 これ以上はミケと冬真の関係に影響が出るかもしれない、きっと晴はそう直感したのだろう


 流石はラブコメ作家と言えばいいのか、彼の予感は見事に的中していた。


「(たぶん、ミケさんは冬真くんとどうやって接すればいいのか迷ってるんだろうな)」


 ミケが恋愛に疎いことは、美月も知っている。そういう話を、以前詩織の家で開いた女子会で聞いたことがある。


 きっとミケは、自分が冬真に抱く感情を理解していない。


 冬真に寄せる感情が〝恋〟なのか〝友情〟なのか、あるいは〝信頼〟か。


 本人がずっと無意識に避けていた感情が、最悪の形で牙を剥いたのだ。


「(当事者じゃない私が下手に口だしはできないな)」


 美月にはどうすることもできない状況だ。いっそミケの苦悩を美月が代わって全てを教えてしまえばいいのだろうが、それは悪手でミケへの冒涜だ。ミケの代弁者になったつもりも、なるつもりも美月には一切ない。


〝恋〟と〝友情〟の境界線は、難しいからこそ己で線を引かなければいけない気がする。


 それは、ミケでだけではなく冬真も同じなのだろう。


「冬真くんはやっぱり、ミケさんと楽しく過ごしていたいの?」


 静かな声音でそう問えば、下がっていた肩がグッと上がった。


「勿論だよ! 僕はミケ先生と一緒にいる時間が一番楽しいんだから! ……たしかに僕なんてただのアシスタントだし、ミケ先生はヲタクからすれば神様みたいな人だけど、それでもあの人と一緒にいたいんだ!」

「ならそれが答えなんじゃないかな」


 自分の想いを熱く語る冬真に、美月は思わず微笑みがこぼれる。

 けれど、冬真は意味が分からずに困惑していた。


「ど、どういう意味?」

「深く考えなくていい、ってこと。無理に悩まず、その想いをミケさんに伝えればいいんだよ」

「でも、ミケ先生は僕と話したくないから距離を置いてる訳で……」

「そんなことはないよ」

「――っ」


 強く言い切れば、冬真は目を瞠る。

 硬直する頬に、美月は真剣な眼差しと柔らかな笑みを浮かべながら言った。


「ミケ先生だって冬真くんと同じ気持ちだよ。一緒にお話するのは楽しいって思ってるはず。……でも、たぶん今は自分がどうしたらいいか迷ってるんだと思う」

「迷う? いったい何を」

「色々だよ。だから、冬真くんの方から手を差し伸べてあげて――キミは、ミケさんのアシスタントなんでしょ?」

「――っ」


 ぎゅっ、と強く拳が握られた。


 二人の間に冷たい風が通りすぎた後、冬真は覚悟を決めたような熱い眼差しを美月に向けていて。


「分かったよ。一回、ミケ先生とちゃんと話してみる」

「うん。それがいいと思う」


 悩むよりも行動することを決めた友人に、美月は「がんばれ」と背中を押すのだった。

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