第241話 『 私の悩みなんて分からないんすよ! 』


 同時刻。


 晴はとある人物からの連絡により、おそば屋さんに赴いていた。


 その人物とは、


「珍しいですね。ミケさんが緊急要請じゃなく、普通に食事に誘って来るの」

「たまには、っす」


 歯切れ悪く答えたミケ。


「何かありました?」

「にゃはは。ハル先生鋭い……って、流石に無理があるっすよね」

「顔見ればすぐに分かります」


 力のない笑みに淡泊に答えれば、ミケは「そうっすよね」と唇を結ぶ。


「相談、乗りますよ。その為に一緒にお昼食べてるんですし」

「本当にありがたいっす。持つべきはやっぱり盟友っす!」

「俺はいつもミケさんの味方ですからね」


「ハル先生と一緒に仕事できて光栄っす⁉ なんすか、ハル先生は美月ちゃんがいるのに、そうやって甘い言葉を使ってハーレム作ろうとしてるんすか⁉」

「ミケさん。日本は一夫多妻制が禁じられてますよ」


 ミケの軽口に、晴は苦笑を交えながら一蹴する。

 雑談のおかげか重い空気はいくらか緩和されて、ミケはニヤニヤしながら言った。


「いやぁ、ハル先生ならアリなんじゃないっすか。ほら、顔には出ないけど、なんやかんやで相手にはめっちゃ尽くしてくれる人じゃないっすか」

「男性にはそれほど。でも、女性には礼儀を尽くすのが男の常だと思ってるので」

「何この人めっちゃ紳士……はぁ、ハル先生と結婚できた美月ちゃんが羨ましいっす」


 ぐったりとテーブルに崩れるミケに、晴は水を一口飲みながら訪ねた。


「ミケ先生も結婚したいとか思ってるんですか?」

「結婚はべつに。でも、誰かと付き合ってみたいとは最近思うようになったっす」

「…………」


 肯定したミケに、晴は目を見開いた。


 ミケにそんな想いが芽生え始めたのは、晴に感化されたのではなく、やはり冬真と過ごしたことが影響しているのだろう。


 ならば尚更、


「金城くんと付き合えばいいんじゃないですか?」


 そう言えば、ミケは視線だけを晴にくれて、失笑した。


「なにバカなこと言ってるんすか。相手はただのアシスタントっすよ」

「アシスタントと恋をすることは悪いことでもないでしょ」


 淡々と返せば、ミケがうめく。


「現実はどっかのラブコメ作家とJKみたくうまくできてないんすよ。私が冬真くんを襲ったら捕まるじゃないっすか。嫌っすよ、刑務所で絵を描くなんて」

「襲う前提で話してないですから。付き合うくらいなら、成人も未成年も関係ないと思いますよ」

「にゃはは。流石はJKと結婚した男は言うことが違いますね」


 棘のある言い方をするミケ。けれど晴はそれに腹を立てる事はなかった。 


 どうしてミケがこんな口調なのかは、言わずとも分かるからだ。


 きっとミケは、晴に嫉妬しているのだろう。成人と未成年。社会人と学生という垣根を越えて結婚したことに。それと同時に、自分を袋小路に立たせる現実に腹が立っている。


 だからこれは、ミケの八つ当たりだ。


 そうやってミケが八つ当たりできる人は晴しかいないと分かっているから、晴は彼女の気が済むまで付き合うのだ。


 八つ当たりも愚痴も、何度も聞いてあげたからこんなのは今更だ。


「お待たせしました~。天ぷらそばとかけうどんです」

「あ、私が天ぷらそばっす」

「俺がかけうどんで」


 注文した品も運ばれて、二人は「いただきます」と食べ始めながら話を再開させる。


「そもそも、ミケさんが誰かと付き合いたいって思うようになったきっかけは、もう自分で気付いてるんじゃないんですか? 俺と美月を見てたからじゃなく」


 うどんを啜りながら言えば、そばを啜りながらミケは「うぐっ」とうめいた。


「いつも美味しいご飯が食べられる幸せってなかなか味わえないですもんね。特に誰かの手料理なんかは」

「その何もかも知ったような発言、ムカつくっす」

「何もかもは知りませんけど、ミケさんのことならある程度は知ってるつもりですよ。弱音も愚痴も、良い事も悪い事も聞いてきたので」

「くう⁉ なんすかその元カレみたいな発言! 付き合ってことなんて一度もないのに、あれ、私ハル先生と付き合ったことあるっけ? って勘違いしちゃったじゃないっすか⁉」

「俺とミケさんは一度も交際したことないですよ。ただ、ご飯とアキバにはよく行きましたけど」


 そうすっね! とミケが癇癪を起しながらそばを啜った。


「ハル先生には私の悩みなんて分からないんすよ!」

「そんなもん打ち明けられてないんだから知りませんよ。ミケさんが何に躊躇ってるかも知りません。でも、何を考えてるかは分かります」

「――っ」


 友達だから、分かる。


 一つの作品を共に創り上げてきた戦友だから、波長が合うから、ミケを見てきたから、晴は分かる。知っている。


 それを視線で訴えれば、ミケは箸を止めて、ぽつりと呟くように吐露した。


「……大人の私が、子どもの青春の邪魔しちゃダメじゃないっすか」


 それが、ミケがずっと抱え込んでいた苦悩なのだろう。

 ようやく吐露された苦悩に、晴はうどんを啜りながら答えた。


「それを言ったら、俺は美月の青春を奪ったことになりますね」

「それは……っ」

「美月が送れたかもしれない青春を、俺は自分の私利私欲の為に奪ってしまった」

「でも、二人は好き合ってるじゃないっすか」

「今はそうですけどね」


 でも、出会った当初は違う。

 晴も美月も、互いの利害の為にお互いを利用した。


「俺が美月と結婚したのは、端的にいえば大人としての立場を守るためですよ。付き合って面倒ごとに発展するのが嫌だっただけ。だから結婚したんです」

「なんすかその最低な理由は」


 たしかにクズだ。否定しようもない。

 けれど。


「ミケさんがドン引きするのも納得しますし、その侮蔑な視線も受け入れます。俺の考えが大人のエゴだったのも認めます」


 大人のエゴに美月を巻き込んでしまった。


「だからこそ、俺は大人としての責務を果たすと決めたんですよ」

「――――」


 晴は箸を止めずに続けた。


「俺は美月を自分の事情に巻き込んでしまいましたが、今のところ微塵も後悔してません。美月からは「結婚してよかった」と言われてますし、その言葉が嘘ではないことも分かってます」

「どうして分かるんすか?」


 縋るように答えを求めるミケに、晴は「簡単です」と苦笑する。


「嫌いなやつと結婚なんかしないでしょ?」


 美月が晴のことを嫌っているなら、手を握ったりしない。甘えてくることもない。身体を重ねることもない。


 美月が目的の為なら自分を偽れるような器用な人間ではないことは、共に過ごしていれば分かる。


 晴の妻は、意外と顔に出やすくて、そしてすごく甘えん坊なのだ。


「たしかに美月の青春を奪ってしまいましたが、だからこそ俺は美月を幸せにさせる努力をしてます」


 それが大変なのは重々承知の上だ。でも、美月が幸せになれるなら自分の時間を捧げても構わない。小説の時間はなるべく削りたくはないけれど。


 けれどそれ以外だったら、全てを美月に捧げていいと思っている。


「ミケさんも、少しくらい自分のエゴを通してもいいんじゃないんですか」

「でも、冬真くんには冬真くんの幸せが……」

「それはミケさんが決めることじゃなく、金城くんが決めるものでしょ?」

「――っ」


 きゅっ、と箸を握る手に力が込められた。

 奥歯を噛むミケに、晴は穏やかな声音で言う。


「ミケさんの考えは立派ですよ。金城くんに選択肢をあげてる」

「当然っす」

「そうですね。相手のことを想うからこその考えだ」


 だからこそ。


「よく考えてください。たった一人の大切なアシスタントの背中を見送って、その後に残るものを」


 ミケの傍には、誰かがいて欲しかった。


 それが晴のエゴでしかないことは分かっている。


 けれど、ミケ自身が望む幸せを、どうか手放さず、掴んでほしかった――。

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