第145話 『 これからも私がちゃーんと支えてあげますからね 』
九月上旬。
美月たち学生には、この時期には避けては通れないものがある。
それは――進路希望調査だ。
「うーん」
「…………」
「うーん」
「その明らかに悩んでるんですよねオーラ出すの止めろ」
コーヒーを飲みながら呆れる晴に、美月は「気づくのが遅い」と叱責した。
理不尽だ、と顔をしかめたあと、晴は視線だけ美月にくれると、
「で、何に悩んでるわけ?」
「さて私は何に悩んでるでしょうか?」
「進路希望だろ。気づいてないとでも思ったか」
「分かってるなら質問しないでくださいよ」
淡泊に答えた晴に、美月は不服気に口を尖らせた。
「進路希望……か。そういえば何も聞いてないが、お前はどうするつもりなんだ?」
「それを悩んでるんです」
そうですか、と晴は素っ気なく返した。
既に美月は八雲晴と結婚して、女の幸せとは言っていいのか不明瞭だが永久就職を果たしてしまっている。先生からも「お前どうすんの?」と困惑ぎみに訊かれたが、それは美月自身も分からなかった。
だからこうして進路希望調票を持ち帰って逡巡しているわけだが。
「一応、貴方からは進学する可能性も含めてお金は貯めとけ、と言われてますけど」
「そういえば言ったな」
「忘れてたんですか?」
「小説以外のことは基本一カ月で記憶から消えるように設定してある」
「……執筆ばか」
「今更だ」
晴の記憶媒体はやはり小説以外は優先的に排除されているようで、美月はそれが才能なのか怠惰なのか分からないと頭を抱える。
開き直る夫に呆れながら、美月はふと以前交わした会話を思い出す。
――『進学なり就職なりするにしろ、金があることに越したことはない。だから今後もお前から生活費を受け取るつもりはない』
結婚したから美月のお金も夫婦の共有財産にしよう、とその時は思っていたが、晴からそう言い切られたので、美月は今もアルバイトで得た収入を全額自分の口座に貯めている。
せめて食費ぐらい、と意見を述べたが、それも晴からは『いらん。俺の収入で足りてる』と突っ張られてしまった。
「あまり晴さんを頼り切りにするのも良くないと思うんですけどね。私だってそれなりにお金は稼いでますし。まぁ、貴方とは流石に天と地ほどの差がありますけど」
「お前はお前の事だけを考えてればいい。お前はまだ高校生で、進学も就職もそれこそ可能性は無限にあるんだから」
高校生の時から【小説家】という仕事に就いてた晴からすれば、今のように将来に悩む、というのはもしかしたら羨ましい事なのかもしれないと思った。
「晴さんは高校生の時、進路希望はどう答えてたんですか?」
「聞く必要あるか」
「一応、参考程度に」
答えは分かっているが、それでも聞いておきたかった。
そう懇願すれば、晴は頬杖を突きながら答えたくれた。
「想像通りだよ。一年生から三年生までずっと進路は【小説家】だった。教師からも文句なかったからな。自分の小説押し付けたから」
「おおぅ。流石は人気ラブコメ作家」
不遜なく答える晴に、美月は苦笑をこぼした。
晴のように自分の将来を証明する物があるって強いな、と感服してしまった。美月にはそれが一つもないから余計に。
少しだけ自分に嫌悪感を抱くと、美月は弱々しく呟いた。
「高校生の時に晴さんみたいな人と同じクラスだったら、私ももう少し自信を持てたでしょうか」
「自信なんて持とうと思えばいつでも持てる。勇気とかやる気なんてものは、結局本人の意思次第だ」
「何この人カッコいい」
「当然のことを言ったまでだろ」
ぱちぱちと拍手を送れば、晴は照れもなく毅然とした顔のままだった。
こういう所は見習わなきゃな、とまた一つ晴への好感度が上がると、そんな旦那はいつかのように思い悩む学生に向けてアドバイスを送った。
「お前がやりたい事があるならやればいい。俺は好きにやってくれて構わないし、華さんだって応援してくれると思うぞ」
「ふふ、優しい人」
「元々、お前から結婚する条件として出されたのは〝衣食住付きでいつでも一人立ちできる環境が欲しい〟だったからな」
そんな事も言ったな、とそう思える程に今となっては懐かしい話だ。
「(あの時は、早く一人立ちしたくて晴さんの提案を受け入れたんだっけ)」
自身がない自分を少しでも変えるために、美月は華の下から離れたがっていた。一人になれば何かが変わるだろう、そんな曖昧な未来に羨望していたのだ。
けれど、それは晴と出会って間違いだと気付かされた。
美月は、晴と出会ったから変われたのだ。一人ではなく二人で。喧嘩したり、イチャイチャしたり、愛し合いあって――そうやって紡いでいった絆が、美月に教えてくれた。
人と繋がる絆こそ、自分自身を成長させるのだと。
「前はいつ別れても平気だと思っていましたけど、今はもう別れるつもりないですよ」
「なんだ急に」
「ふふ、妻から夫への愛情表現です」
胸に感謝を込めながら微笑みを浮かべれば、晴は懐疑心を向けてきた。
どうやら唐突に愛情を伝えた妻に裏があるのでは、と探っているようで美月としては甚だ心外だが、夫が恋愛経験値の乏しいラブコメ作家という事は既知しているので、
「ね、晴さん」
「なんだ?」
名前を呼べば、晴は眉根を寄せる。
そんな顔に少し距離を詰めて、美月は親愛を瞳に込めて想いを吐露した。
「大好きですよ」
「……そうか」
好意を伝えれば、晴は素っ気なく返す。やっぱり顔色に変化は起きないか――と思ったが、晴の顔は少しだけ照れが見えていて。
「(何この人めっちゃ可愛い)」
思わずきゅんっ、としてしまった。
照れ隠しにそっぽを向いた晴に、美月は足をぱたぱたさせながら微笑みを向けた。
「可愛い旦那さん。これからも、私がちゃーんと支えてあげますからね」
「男に可愛さ求めんな。……ま、支えてくれるのはありがたいな。これからもよしく頼むわ」
「ふふ。頼まれてあげます」
微笑めば、晴も口許を緩める。
将来のこと。それに思い悩むも、やはり美月の一番やりたい事は揺るがなくて。
――夫を生涯かけて支えていきたいと、改めてそう強く思うのだった。
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