第146話 『 どうですか、年下の女の子に篭絡された気分は? 』


「悪い美月。土曜の夜予定入った」

「珍しい」

「珍しくて悪かったな」


 リビングでくつろいでいた美月に、唐突に予定が入った事を伝えれば、彼女は目を瞬かせた。


 バツが悪い顔で晴もソファーに座れば、距離を詰めた美月が顔を覗き込んでくる。


「その予定、とやらを聞いていいですか?」

「飲み会」

「珍しい。外に出たがらない貴方が飲み会に行くなんて」

「家が一番くつろげるからな」


 外出が嫌いな事を肯定すれば美月に「本当に貴方は」と呆れられた。


「飲み会に行くのは構いませんけど、でも誰と?」

「慎とサトル」

「……サトルさんに会うんですね」


 答えれば美月が目を丸くして、それから紫紺の双眸が細くなった。

 美月は既にサトルを既知している。というより会っていた。


「前々から会おうとは思ってたんだがな、ただ、中々予定が合わなくて」

「大丈夫。私は知ってますから」

「ありがとな」


 言い訳、ではないがぎこちなく言えば、美月は穏やかな笑みを浮かべると晴を抱きしめた。


 晴の胸裏を、美月は優しい温もりで落ち着かせていく。

 彼女の優しさに甘えながら、晴は数十分ほど前に慎から貰ったメールを思い出す。


 ――【久しぶりに飲み会開かない? サトル来るよ】


 これはまたとない機会チャンスだと瞬時悟って、晴は慎の誘いを承諾した。


「晴さんが重い腰を上げる理由は分かりました。楽しんできてください」

「ん。なんか悪いな。休日なのに一人にさせて」

「そこまで寂しがり屋じゃありません」


 背中に回していた手がゆっくりと離れれば、美月はむっ、と頬を膨らませた。

 それから、美月はでも、と脱力すると苦笑を浮かべた。


「何だかんだで、休日はずっと一緒にいますよね、私たち」

「俺が出掛けるの嫌いだからな」

「ふふ。執筆優先ですもんね」

「最近はお前のこともちゃんと慮ってるだろ」


 そうですね、と美月がたおやかに口許を綻ばせる。


 それから、美月がその笑みを浮かべたまま手を伸ばして、晴の手の甲に触れた。その華奢な手を握り返せば、紫紺の瞳に慈愛が籠って。


「こうして、手を繋ぐのも日常的になりましたね」

「だな」

「前は背中がそわそわするって、ずっと言ってましたよね」


 述懐する美月に、晴はバツが悪そうに口を尖らせる。


「今はどうですか?」

「なんとも思わないな。慣れたんだろ」


 こうして手を握っていると、今は背中の怖気よりも胸に安堵が広がる。

 それほど美月との信頼度が高まったのだと思うと、なんだか感慨深くなった。


「お前といるとやっぱり落ち着くな」

「もっと褒めてください」

「好きだぞ」

「はい。知ってます」


 照れもなく、美月は晴の愛情を受け止めた。


 たおやかな笑みを浮かべる美月。その紫紺の瞳に宿る慈愛に、晴は美月には敵わないなと諦観する。


「まだ高校生なのに、本当に立派だなお前は」

「貴方と一緒にいると否応なく成長させられますから」

「悪かったな。世話の焼ける旦那で」

「大丈夫。たしかに世話は焼けますが、貴方の面倒を見るのは新鮮で楽しいです」


 そう言ってくれると、少しは晴の留飲も下る。


「いつもお前にはお世話されてるから、たまにはお礼したいんだがな」

「お礼ならいつも貰ってますよ」


 その言葉に眉根を寄せれば、美月は目を閉じた。

 一瞬戸惑ったが、すぐに美月が何を求めているのか理解して。


「「んっ」」


 美月の懇願に応じるように、晴は口づけを交わした。

 ゆっくりと唇を離していけば、ゆっくりと開いていく紫紺の瞳が晴を見つめる。


「こうやって、お礼は愛情としてもらってます」

「キスくらいならいつでもしてやる」

「キスにも慣れてしまって」


 晴さんが大人になってしまった、とまだ子どもの美月が嘆く。


 たしかに最初はぎこちなかったと自覚しているが、こうしてキスやハグ……スキンシップに慣れさせたのは眼前で嘆く少女――もとい妻だ。


「お前が散々キスやハグをしろと要求してきたんだろ」

「そんな我儘みたく言ってません。もっと可愛くおねだりしてます」


 むっ、と美月が頬を膨らませる。


「それに、晴さんからだってキスとかエッチを要求してきたでしょう」

「男だからな」

「開き直らないでください」


 澄ました顔で肯定すれば、美月は呆れた風に嘆息した。


「私自身も変わった自覚はありますけど、一番変わったのは晴さんの方だと思いますよ」

「言うな。自覚してる」


 ジト目で追及されて、晴はふいっと視線を逸らした。


 以前は恋愛なんてものに興味なんてなかった。けれど、今ではすっかり美月に懐柔されて、あまつさえ虜になってしまっている。


 年下の女性に甘えているなんて、数年前の自分は想像もしていなかっただろう。

 そんな晴の胸裏を見透かしたように、美月はニヤニヤと小悪魔な笑みを浮かべていて。


「どうですか、年下の女の子に篭絡された気分は?」

「最悪だ」

「最悪⁉」


 意趣返しのつもりで答えれば、美月が愕然とする。

 しゅん、と項垂れる美月に、晴は口許を綻ばせると、


「嘘だよ。まあ複雑ではあるが――悪い気はしない」

「――ぁ。……そこは口にキスしてくださいよ」


 唇――ではなく白い額に唇を押し当てれば、美月は不服そうに口を尖らせる。


「今日は、もうこれ以上スキンシップは取らない」

「えー、どうしてですか?」

「男にだって色々あるんだ」


 そうやってその気なく甘えられてしまっては、晴としても男心が擽られて悶々としてしまう。


 これはただのスキンシップ。と思うが、美月の小悪魔的な笑みが晴に懐疑心を抱かせる。


「……少なくともあと一年は自制しないとな」

「何のですか?」

「お前に愛情注ぐこと」

「えー、もっとしてくれてもいいのに」

「ダメだ」


 不満そうに口を尖らせる美月に、晴はキッパリと言い切る。

 だけど夫婦の時間は計画的に。そう決めているから、平日の夜は我慢している。

 美月を愛したい欲求はあれど、今夜は別の形でそれを解消しよう。


「今日は一緒に寝るか」

「いいですよ。ぐっすり寝かせてあげますからね――貴方」


 ふふ、と悪戯な笑みを浮かべながら、美月は晴の唇に指を押し当てた。

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