第38話 『 頭おかしくなったかお前⁉ 』
悶々とする少女の違和感を、晴が気付かない訳がなかった。
「美月が最近変だ」
久しぶりに会った友人に相談すれば、こいつ何言ってんだみたいな顔された。
「その相談を受ける前に、キミには色々と話さなきゃいけないことが俺にあるんじゃない?」
「ん?」
一度相談を横に置かれて、慎の追求に晴は疑問符を浮かべる。
いったい何を話すんだ、と小首を傾げれば、慎は諦観して肩を落とした。
「まず怪我の具合はどう?」
「それに関してはもう完治してる。色々気遣ってくれて助かった」
怪我の事か、と納得すれば、晴は慎に感謝した。
救急車を呼んでくれたのも、出版社に迅速に報告してくれたのも全て慎だった。頭を下げれば、慎は「やめてくれ」と顔を上げさせた。
「あの時、俺もすぐ駆けつけてればもっと安全に対処できてたかもしれないし、それに美月ちゃんには結局怖い思いさせちゃったから」
だから感謝されるのは違う、と慎は晴の感謝を受け取ろうとはしなかった。
しかし、晴としては納得がいかない。
「お前がいなきゃ俺は死んでたかもしれない。だから礼はいわせろ」
「晴はそういうとこホント律儀だよね」
「人として当然のことだ」
そう言えば、慎は「晴らしい」と口許を緩めた。
「じゃあ、借り一ってことにしておく」
「そうしといてくれ」
素直に晴の感謝を受け取った慎は、ご機嫌に鼻を鳴らした。
「何お願いしよっかなー」
「何でもいいとは言ってないぞ。俺ができる範疇で頼む」
「晴が出来る範疇ってなに?」
「知らん」
ふんぞり返って答えれば、慎が「お前のことだろ」と呆れられた。
「ま、この借り返し券は必要になった時に使おう」
「肩たたき券みたいに言いうな。あとその顔もやめろ」
よからぬ事を企んでいる顔をする慎に、晴は感謝するんじゃなかったと後悔した。
それから、慎は次の話題に進めた。
「これが俺的には一番大事だと思うけど、晴、結婚おめでとう」
「ん」
友達から祝福されて、晴は淡泊にそれを受け取った。
「……本当に結婚した?」
「なんで疑うんだ。したぞ」
「いや、あまりにも晴が平然としてるから」
頷くも、慎は懐疑的な視線を送ってくる。
まぁいいか、と慎は疑惑の感情を咀嚼して飲み込んで続けた。
「どう? 新婚になった気分は?」
「べつに前と変わらん。これまで通りだ」
「つまんない男だなお前」
なんで罵倒されたのか分からない。
「べつに新婚だからって浮かれないだろ」
「そういうものなの?」
「世間一般は知らん。俺は例外な気がする」
「まぁ晴だしね」
その納得の仕方はなんだか腹が立った。なんだか美月みたいだ。
不服気な顔を気にもせず、慎は羨ましそうに吐息した。
「まさか晴のほうが先に結婚するとはね。一生恋人なんてできないと思ってたのに」
「それはお前が出会い系勧めたからだろ」
「そのおかげで今の奥さんと出会えたんだもんね。俺にちゃんと感謝してよ」
「ありがとう」
感謝しろと催促されたから礼を言ったのに、慎は「感謝が感じられない」と嘆いていた。
「もうちょっとこうさ、あるじゃん。晴は俺のおかげであんな可愛い奥さんと結婚できた訳じゃん」
「美月に会えたのは俺のプロフィールのおかげだ」
「あんなクソプロフィールでよく美月ちゃんと出会えたよ」
慎がわずかに嫉妬を込めて唾を吐いた。
そんな慎に、晴はふ、と苦笑を溢した。
「運が良いんだろうな」
それに関しては本当にそれに尽きる。理由はなんであれ、美月に出会えて、結婚まで出来てしまった訳だ。まぁ、相手はまだ未成年なのだが。
妙な感慨深さに浸っていると、慎が「でも」と声を上げた。
「なんで急に結婚したのさ?」
「あいつが結婚しようって言って聞かなかったから」
「へぇ、それは美月ちゃんらしくない」
「だよな」
慎も美月の大胆な行動には驚嘆しているらしい。
「晴はべつに、結婚するのは美月ちゃんが高校卒業してからでも良かったんだろ」
「あぁ。そのつもりで婚約指輪探してたしな」
婚約指輪を買うつもりが結婚指輪を買う羽目になってしまって、おかげでスケジュールが狂った。その分の原稿の進捗は入院中と退院後に取り戻してはいるが、ハードスケジュールが久しぶり過ぎて今は若干疲れている。
「入院してよく原稿を予定日にまで上げられるよ。担当者は事故のことがあるから発売日遅らせようって言ってくれたんだろ?」
「あぁ。でも遅らせる必要がないと思ったから書いただけだ」
おかげで無事脱稿できた。次の原稿が開始されるのは担当者と相談してからなので、今週は少しゆっくりできる。そして、その会議が一週間後にあるが、何故か担当者が晴の自宅へ直接赴くことになった。しかも休日に。
小説家といえど休日はやはり特別感があるので気が引けていると、前の方からは「相変わらず執筆バカだねぇ」と小馬鹿にされてさらに機嫌が滅入った。
「それで、その新妻ちゃんが最近どうしたのさ?」
「新妻言うな。美月って言え」
「はいはい」
ようやく本題に入れば、晴は重い溜息を吐く。
「あいつが何を考えてるのかさっぱり分からん」
「それで俺にも美月ちゃんが考えてること考えてくれって?」
「お前を今日呼び出したのはその為だ」
「晴の呼び出しはいつも美月ちゃんが絡むねぇ」
前は全然自分から呼び出す事なかったのに、と慎は呆れつつも嬉しそうな顔をした。
「面白そうだから聞いてあげるよ」
「上から目線なのが気に食わないが、聞いてくれ」
晴一人ではどうしもないので、ここは恥を忍んで慎に頭を下げた。
「最近のあいつ、俺が近づくと露骨に距離を置くんだ」
「なにもう離婚すんの」
けらけらと笑う慎に「する訳ねぇだろ殴るぞ」と強めに注意すれば、慎は頬を引き攣らせて口を閉じた。それから、コホンと咳払いすると、
「晴が知らない間に何かしたんじゃない」
「やっぱそうなのか。全然身に覚えがないんだが」
「よーく思い出してごらん」
慎にそう促されて記憶を辿ってみるも、やはりこれといった思い当たる節がない。
「俺としては普通にあいつに接していたつもりなんだが……」
「どんな感じで接してたの?」
「ゴミが付いてるから取ってやったり、学校に行く前に〝行ってこい〟と言ったり、たまにあいつの頬を抓んでみたり」
「なんで美月ちゃんの頬を抓んでるのさ」
「女子高生に触るのに慣れる為」
「晴、女子高生は触ったら一発アウトだと思い込んでない? 別に触るだけなら大丈夫だと思うけど」
「じゃあお前は女子高生触れるのかよ」
「……ごめん晴の言う通りだ」
数秒考えた末に、慎は苦虫を噛んだような形相で晴の行為を肯定した。ほらな、とふんぞり返れば、
「家に女子高生がいる恐ろしさがお前に分かるか」
「じゃあなんで結婚したんだよ」
「んなもん好きだからに決まってるだろ」
「…………」
淡泊かつ素直に答えれば、慎は呆気取られたように目を瞬かせた。
どうしたのか、と眉根を寄せると、慎は「まさか」と目を丸くしたまま、
「晴の口から好きっていう言葉が出るとは思わなかった」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
「小説しか頭にないラブコメ作家」
「その見解でおおよそ間違いはないが、そんな奴でも好きという感情は持ち合わせてるぞ」
失礼なやつめ、と不服気に鼻を鳴らせば、しかし慎は否定するように首を振った。
「それこそ驚いてるんだよ。晴が明確に誰かに好意があるってだけで」
「明確に好意を持って悪かったな」
「いやそれは良いことなんだけどさ、え、晴って本当に美月ちゃんのこと好きなの?」
「好きか嫌いかでいえば好きだ」
「それは恋愛感情ってことでオッケー?」
慎が興味深々に訊ねてきて、晴は腕を組んで考え込む。
これが恋愛感情か否かといえば、晴は――
「俺は美月が好きだ。だから結婚した」
「頭おかしくなったかお前⁉」
またまた失礼な発言を放つ慎に、晴は「なんでだよ」と顔を顰める。
そんな晴に慎は「いやいや!」と目を白黒とさせながら大声で言う。
「だってあの晴だぞ⁉ 年中小説のことで頭がいっぱいで、恋愛のことなんて小学生で止まってそうな奴だぞ……って痛い痛い⁉」
「小学生は失礼だろうが。こちとら人気ラブコメ作家様だぞ」
驚愕する慎が無遠慮に罵ってくるので晴は不快感を可視化させた。慎の手の甲を思いっ切り抓ればたちまち悲鳴を上げて、すぐに「調子に乗りました⁉」と白旗を挙げた。
まったく、と強く鼻息を吐けば、慎は赤くなった自分の手をいたわりながら、
「本当にどうしちゃったのさ、晴」
「なんで俺が誰かを好きになっただけでそんな珍獣でも見た反応するんだよ」
「そりゃ驚くって。晴だって自覚してるだろ。自分が誰かに好意を抱くなんて思いもしなかった、って」
そう指摘されば、確かに的を射ていた。
これが恋、という甘酸っぱい感情ではないとは分かっているが、けれど誰かを好きになるとは想像もしてなかった。
また、新しい自分に出会えた気がした。
「その気持ち、ちゃんと美月ちゃんには伝えたの?」
「やべ忘れてた」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
思い出せば、晴がクソデカため息を吐いた。こればかりは呆れられるのも仕方がない。
「いや、ほら色々あったから、つい忘れてたんだよ」
「まぁ、それは否定しないけど、でも、お前ってやつは……」
慌てて言い訳をすれば、慎は晴の事情を理解しつつも納得はしていない様子だった。
大怪我を負って入院して、退院後はすぐに締め切りに追われた挙句に結婚準備に奔走していた。まさしく目まぐるしい日々に、晴はすっかり、美月に『好きになったらキス』するという約束が頭から抜けていた。
やってしまった、と後悔していると、慎がジト目を送ってきて、
「そのせいじゃない? 美月ちゃんが晴から距離を取ってるの」
「やっぱそうかな?」
とようやく思い当たる節を見つけて、晴は顔を引き攣らせた。
晴と慎の思惑はまったくの見当違いなのだが、二人は少女の機嫌を取り戻す為に作戦を立てていくのだった。
「いい、晴。気持ちをちゃんと伝えないと美月ちゃんが他の人の所に行っちゃうかもしれないよ」
「それは困る。俺が死ぬ」
「もうちょっと自分に自信持とうよ……とにかく、晴の気持ちを伝えよう」
「了解した」
男二人の真面目な会議。それが裏目に出てしまうのは、また後の話――。
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