第39話 『 仕方ありません。今日だけは認めてあげます 』
――夕飯も食べ終わり、晴はソファーで読書していた。が、全然集中できていない。
「(好きって伝えるのは簡単だけどな)」
今更、好意を伝えることに躊躇いはない。恥じらいという感情が少ない、といえばそうなのだろう。今すぐ美月に「好きだ」と伝えるのに躊躇いはないが、なんかロマンも欠片ないのが晴を尻込みさせていた。
「(やっぱムードくらいはあった方がいいだろうか)」
そんな逡巡を繰り広げていると、ダイニングテーブルの方で勉強していた美月が見つめてきた。
「なんですか、さっきから人の顔をチラチラと」
と晴の視線に集中を妨げられた美月はほんのり苛立ちが見えた。
いや、と晴は慌てて言い訳を考える。
「今日はそこで勉強してるんだな、と」
下手な言い訳で自分でも何言ってるんだと呆れるも、美月は「そうですね」とシャーペンを顎に当てて答えた。
「自分の部屋でもできますけど、でも……」
と美月は途中で言うのを止めた。
そしてほんのりと頬が赤く染まると、コホンと何かを誤魔化すように咳払いして、
「気分を変える為に、今日はこっちで勉強してるんです。……晴さんが居るからとは言えないっ」
リビングで勉強している理由を教えてくれた。語尻に何かを付け加えたのは口の動きで分かったが、正確には聞き取れなかった。
追及する気もないので「そうかい」と淡泊に返せば、晴は本を閉じて美月が座るテーブルに向かっていく。
「どうして来るんですかっ⁉」
「いやべつにいいだろ。俺の家だし、何しようが俺の自由だ」
「それはそうですが……勉強に集中できなくなるので止めて欲しいです」
「前は普通に勉強してただろ」
この距離でお互いがお互いの作業に集中しているのはよくあった。しかし、美月は不満なようで、
「今と昔じゃ全然違います」
「何がだよ」
「それは……っ」
聞き出そうとすれば、美月はまた口を噤んだ。
それから、美月は晴に向かって溜息をこぼした。
「ホントに貴方という人は、妙なことは感覚が鋭いのに、普段は全然鈍いんですから」
「急に罵られたらどう反応すればいいのか困る」
「知りません。少しは反省して、考えてください」
今日はちゃんと美月の事を考えたのだが。
そして考えた上で美月に〝好き〟だと伝えようとしているのだが。
「お風呂に入ってくるので、晴さんは執筆やら読書やら好きにしていてください」
「あ、あぁ」
そそくさと教科書を閉じて、美月は自部屋に戻っていってしまった。そんな美月は、晴は呆然と見届けた。
そして、美月はリビングから出て行ってしまった。部屋には晴一人。
「……やっぱ現実は小説よりうまくいかないか」
少女に好意を伝える事すら難易度が高くて、晴は辟易とするのだった。
▼△▼△▼▼
――朝。
始めは面倒だった皿洗いも日を重ねるごとに慣れていき、今ではなんの感情もなく皿をピカピカに出来た。綺麗な物を見ると存外心地の良いもので、朝から少しだけ気分が良くなる。
キッチンに備えられたタオルで手を拭けば、そろそろ通学しようとした美月に近づく。
「な、なんですか」
昨日の夜――よりも遥かにそれ以前から様子がおかしい美月は、昨晩の出来事も含めて近づいた晴に警戒心を向けていた。
嫁に警戒されると中々心を抉る痛みがあるが、それでも晴は美月の傍に立つと、
「今日も頑張ってこい」
「は、はい」
淡泊だが美月に励ましを送れば、美月は困惑しつつも頷いた。
そして、晴はついでのようにさらりと告げた。
「あと、俺はお前のこと好きだからな」
直球だった。それも、ドストレートだ。
あれだけ慎と作戦会議にも関わらず好意をしれっと伝えれば、途端、美月が顔を真っ赤にした。
「ななななんですか急に⁉」
「壊れたロボットか……いや、いつまでも伝えないのはお前に申し訳ないと思って」
大仰に驚愕する美月に、晴は平然とした顔で続けた。
「俺はお前が好きだ。だから結婚した」
「そ、そうですか」
「以前、俺はお前に恋愛感情があるか分からないと言ったが、今はあると答えられる」
「…………」
美月は何も言わず、ただ紫紺の瞳が歓喜するように大きく揺れた。
数秒、美月を見つめ続ければ、晴の視線に耐え切れず俯いてしまって、
「なんで、よりによって今伝えるんですか」
「昨日言おうとしたのにお前が逃げたからだ」
「だからって、不意打ちにも程があります」
ぽふん、と美月が晴に頭突きしてきた。
「このタイミング逃したらまた夜になるし、お前が避けそうな気がしたからな」
「もうっ、本当に、晴さんは乙女心が分かりませんね」
「乙女心はそれなりに分かってるつもりだ。ただ、お前の考えてることはさっぱり分からない」
本当に美月の思考は読めないから、それを素直に伝えた。
すると美月は、
「それじゃあ、今私が何を思ってるのか教えてあげましょうか?」
「あぁ、教えてくれ」
その問いかけに、晴は片意地を張らずに頷けば、美月は隠していた顔を上げて、
「凄く嬉しいです」
破顔を魅せて想いを伝えてくれた。
そんな美月の顔に、晴は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「やっぱり女心分かってるだろ」
「むぅ……仕方ありません。今日だけは認めてあげます」
「これからも認めてもらうように努力するか」
「それは、私の身がもたなくなりそうなので遠慮してください」
甘い言葉に耐性はありそうな美月だが、そう懇願してきた。
そんな美月が可愛く見えて、つい悪戯したくなってしまった。
「よし、努力はしていく方向で進んでいこう。小説にも使えそうだからな」
「晴さんの意地悪⁉」
頬を膨らませる美月が抗議してくるも、晴は知らないフリを続けた。
そんな他愛もない時間は美月が登校するまで続き、晴はすっかり目的である〝キス〟する事を忘れてしまうのだった――。
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