第40話 『 旦那の生態調査――① 』
同棲して一カ月。結婚して二週目を迎えて、美月は晴の生態について整理していた。ちなみに、今は思いっ切り授業中である。
「(晴さんは基本なんでも食べる)」
授業のノートとは別に、小さなメモ用紙にすらすらと晴という人間を書き纏めていく。
晴は基本、好き嫌いはない……というより少ない。あまり好きじゃない食べ物も「べつに食える」という理由で食べるが、あまり美味しそうな顔をしない。なので、すぐに好物じゃないと分かる。
「(飲み物で好きなのはカフェオレ。炭酸はサイダー系が好き。お酒は飲まないし、たばこも吸わない)」
晴は飲酒・喫煙をしない。それだけみれば傍からは健康を意識している人なのだが、理由を知っている美月としては素直に喜べない。その理由というのも、お酒を飲むと酔って正常に小説が書けなくなる可能性を懸念しているからで、たばこを吸わないのはそもそも吸う意味が分からないからだそうだ。煙吸う事の何がいいんだ、と難色を示していた。
全ての喫煙者を敵に回しそうな晴の発言はさておき、
「(食べ物で一番好きなのはやっぱお肉なんだよね。鶏肉)」
晴は牛ではなく鶏が好きだ。焼き鳥や、唐揚げを夕食に出すとご機嫌になる。
晴も男なので肉好きといえば当然なのだが、わりと健康志向である。サラダも出せば食べる。出さなきゃ食べもしないが。
「(ご飯はよく食べるほう)」
成人男性にしては痩せ気味の晴だが、どうやらそれは体質のようだ。夕飯はいつも白米をおかわりするし、おかずも結構食べている。たぶん、平日のお昼をあまり取っていないのだろう。美月がいない平日は、ご飯より執筆を優先している気がする。
理由はなんであれ、太らないのは少し羨ましかった。乙女にとってボディラインは意識せざるを得ないもの。当然、運動やストレッチは欠かしていない。
いつかは晴とそういう事をする日が来る……という意識が今は強いからこそ体型維持に余計気合を入れているが。
「(まだ先の話だから!)」
ぶんぶん、と頭を振って煩悩を払えば、美月は再び晴の生態観察調査に集中する。
「(好き嫌いがないのはありがたいけど、好みを把握するのはちょっと大変なんだよなー)」
おかげで、いつも晴の顔色を窺う日々を送っている。それが嫌という訳ではないし、美味しそうに食べる顔は作る側としても気分がいいが、少しはらはらさせられる。
晴には健康でいて、そして長生きしてほしい。これからは一緒に生きていくわけだし、あの男は放っておくとすぐに死んでしまいそうだ。
晴の延命措置は美月の手腕に掛かっているとして、次だ。
「(晴さんは基本、用事がない限り家から出ようとしない)」
用事、といっても誰かに呼ばれる(それも大抵は友人である慎なのだが)以外は外出しない。
本人曰く「家のほうが結局落ち着く。あとすぐに執筆できるし」との事。本当に頭は小説の事で埋め尽くされている発言で、執筆中毒者という言葉がよく似合う。決して悪口ではない。
ただ、最近は美月のバイト先でもあるchiffonに足を運んでいるようだが、マスター曰く「ここねぇ、凄く執筆が捗るらしいよ。常連さんが増えて私は嬉しいねぇ」と結局は執筆する為らしい。本当に小説以外の頭がない執筆バカだ。
「(晴さんの友達は慎さん以外には会ったことないな。というか他にいるの?)」
晴に失礼だが、そう思わずにはいられないほど、美月は晴と慎のセットしか見ていない。
おそらくいるのだろうが、滅法連絡を取らないのだろう。晴はプロ作家としてデビューしてから他の出版社に移動していないはず。となると現在の出版社には結構長く居座っているのでそれなりに人脈は築いているように思えるが、美月が晴の同業者に遭った事があるのは慎くらいだ。また慎か。
「(慎さんは晴さんと凄く仲が良い……)」
女の人よりも慎の方を警戒すべきか、とありえないが否定し難い可能性が脳裏に過ると、握るシャーペンがミシッ、と音を立てた。
いけない、と気を取り直して美月は晴の生体観察調査を再開した。
「(晴さんは小説以外は大抵面倒くさがり。でも最近はたまに掃除をしてくれる)」
小説に関しては美月が呆れるくらい真面目だが、そこに極振りし過ぎたせいでそれ以外は非常にだらしなくなる。今は注意しているそうだが、美月と過ごす前は服を床に脱ぎ捨てるのは日常茶飯事だったらしい。慎から得た情報なので、信憑性は抜群だ。
服の件はさておき、それ以外でも晴の面倒くさがりは美月に影響を及ぼしている。例えば、変に鋭い時があったり、鈍い時がある時だ。成人だと嘘を吐いていた美月を一発で看破したり、華の心情を読み取ったり、神掛かった慧眼を魅せることがあるが、逆に普段は美月の気持ちなどお構いなしに歯に浮いた台詞を吐く。例えば、今朝の『好きだ』という発言――
「ボフンっ⁉」
「瀬戸さん⁉」
今朝の出来事を思い出した瞬間、顔が一気に真っ赤になった。そんな美月にクラスメイトは目を剥いてふり向いて、教科担当の先生は驚愕した。
「な、なんでもないです。すいません」
慌てて平然を装えば、先生は「そ、そう?」と美月の様子に怪訝な顔をしながらも授業を再開した。
「はぁ」
晴が今朝からあんな飛び上がる程嬉しい言葉をくれたせいで、今日はおかげで全然授業に集中できない。今朝も、思わずステップを踏んで登校してしまう程舞い上がっていた。
――こんなに幸せな日々があっていいのだろうか。
好きな人の妻になれる事が、こんなに嬉しいとは想像もしなかった。否、以前までの美月だったら、晴と結婚してもこんなに浮かれなかったと思う。変わったのは、晴を本当に好きになってからだ。あの日以降、美月は晴の事で頭が一杯になっている。
好きだから柄でもない生態調査なんかしてしまうし、もっと好みを知りたいと思ってしまう。小説しか頭にない晴に尽くしたくなる。
「(好きって分かってから晴さんが三割増しでカッコよく見える。美化フィルターが掛かってる。……旦那しか勝たん)」
恋愛漫画なんかでよくあるエフェクトが、美月にも掛かっていた。最近、いつも晴がキラキラとして見えるのだ。あの死んだ目が輝いて見えるのは重症だと理解しているが、それで尚心臓の鼓動が高鳴って止まない。
「(私って、こんなに誰かを好きになったことがあるっけ)」
それなりに異性と付き合って、そして抱き合ったりもした――でも、こんなに高揚した事は、一度だってない。ただの一度たりとも。
今だって時々、告白されたりする。けれど、この鼓動はこんなに高鳴りはしなかった。
なのに、今は晴の事を思うだけで、胸がドキドキしてしまう。
「(あー、早く会いたいな……)」
晴の生態を纏めたメモ用紙に、晴の似顔絵を描く。
「……晴さん」
そんな似顔絵に向かって、美月は儚い息を吐くのだった。
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おまけ 【 ちょっとエッチな妄想 】
おまけ【ちょっとエッチな妄想】
「(そういえば、晴さんはどういう下着が好きなんだろう)」
来るべき日に備えるのは、乙女というか女としては当然の配慮だ。
美月は何度か経験した事があるが、その時は相手の好みはどうでもよかった。
しかし、晴の事が好きな美月としては、晴の好みは知っておきたかった。
「(晴さんには喜んで欲しいな)」
好きな人には自分で興奮して欲しいと思った。なので、準備は抜かりないようにしなければならない。
「(やっぱり大人っぽい下着のほうがいいよね)」
晴は成人男性なので、可愛らしい下着より色気の多い下着がいいかもしれない。
脱がすなら一緒だろ、と言いそうな男ではあるが、そこはラブコメ作家らしい感想を期待しておく。
「(晴さん、どういう風にしてくれるんだろうか)」
ふと、初めての夜を想像してしまった。
童貞だし恋愛経験ゼロだから絶対にぎこちないとは思うものの、存外妙なテクニックは持っているかもしれない。
もしかしたらこれまでの性欲が爆発して美月を無我夢中で貪るかも――
「ボフンボフンっ!」
「美月さ――んっ⁉」
そんなエッチな妄想が止まらず、ついに頭が爆発した瞬間。先生が聞いたこともない絶叫を上げた。
慌てて、美月は頭を下げる。
「な、なんでもないです」
「そ、それならいいけど……もし体調が悪かったら保健室に行ってね?」
「はい。ありがとうございます」
頬を赤くしながら、深く頷く。
「だ、大丈夫美月ちゃん? 顔凄く赤いけど……」
「大丈夫だよ。心配くれてありがとう」
友達にまで心配をかけては面目が立たない。
なんとか作った笑みで誤魔化すと、美月は教科書に視線を落として、
「(これじゃあ、私がエッチな子みたい⁉)」
と段々自分が自分でなくなっていく気がして戦慄するのだった。
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