第5話 『 なぁ、お前。俺と結婚しないか 』


「……何言ってるんですか」

「キミ、二十歳はたちじゃないでしょ」


 立ち止まり、明らかに語調を落とした美月に晴は容赦なく指摘した。

 3秒ほど時が経って、帰ろうとしたミツキが踵を返せば、可愛い顔が剣幕に満ちていた。

 やっぱりか、とミツキの顔を見て晴は悟る


「未成年がこんな事をするのは止めた方がいい」

「お説教ですか……私が本当に未成年だと、どうして言い切れるんです?」


 挑発するように問われて、晴はやれやれと後頭部を掻いた。


「顔と体躯」

「は?」


 一瞬何を言われたか理解できず呆ける彼女に、晴はそれに構わず続けた。


「だから、顔と体躯だよ。二十歳以上の女性はデートに行くなら化粧に力を入れると思うけど、キミはそういうのには無関心か余程自分の顔に自信があるのかな。メイクは必要最低限で済ませて、リップも光沢感があるものよりも保湿性が高いものを選んでる。しかも、どうみても童顔だ」

「童顔なんて、世の中には沢山いるでしょう」

「当たり前だ。ただ、キミの顔の輪郭はまだ子どものそれだ。メイクで若干大人びて見せてるようだけど、まだ幼さの方が目立つ」

「……っ」


 ミツキが息を呑んだが、構わず続けた。


「それと体格な。もう少しまともに服で誤魔化せよ。お前、まだ完全に子どもの体つきだろ」

「は、はぁ⁉ それって完全にセクハラですよ⁉」


 今度は顔を真っ赤にしてミツキが吠えた。しかし、晴はそれすらも気にも留めず、


「ヒール履いてるからざっとだけど、お前の身長は160㎝前後ってところか。ええと、女子の平均身長が二十歳で157㎝前後だったな。成長期は中学生頃から始まって高校に入る前には終わる。だから女子高生から身長は殆ど変わらないはずだな。ただ、肩回りや腰が明らかにまだ成長期を迎えて間もない形してる」

「な、なんでそんな事知ってるんですかっ」


 ミツキが羞恥で己の体を抱いて、訴えるような視線を送ってくる。

 甚だ遺憾だが、晴は腰に手を置いて告げてやった。


「言ったろ。俺、小説家だから。調べてなんぼの世界だから」


 小説家、その一言で簡潔させるのもなんか嫌だなと思って、


「ラブコメ作

 と一言付け加えた。

 呆気に取られるミツキに、晴は首を傾ければ、


「これが俺の、お前が二十歳はたちじゃない事の見解だ。正解は?」

「――――」


 答えを促せば、ミツキは顔を俯かせて黙った。

 まあ、答えたくなければそれで構わないし、これ以上ミツキと関わる事はないだろう。もう暫く待ってそれでも口を開かなければ帰るか、そう思案した時だった。


「……そうです。私は、二十歳はたちじゃないです」


 と観念したように答えた。

 晴はふぅ、と吐息すると、


「実年齢は?」

「……16です」


 ミツキは女性――ではなく少女だった。やはり、晴の目に狂いはなかった。


「16となると高校一年生か。いや、時期とこういう事に好奇心的な欲求に促されたと考えれば高校二年生が妥当か」

「流石は小説家ですね」


 否定しない、という事は高校二年生で間違いないのだろう。なるほど、それくらいの年ならばこういう、年上との恋愛模様に憧れる年頃ではあるか、と納得した。


 だが、


「感心はしないぞ。さっきも言ったが、困るのはお前自身とそして相手だ。お前、今日の相手が俺だからよかったけど、最悪の場合を考えろ。そのままラブホに直行、なんてザラにあるからな」


 ミツキが「らぶっ⁉」と咽て顔を赤くするも、これは大人として子どもに対しての全うな注意だ。


 大人は面倒くさいしがらみがない分、いつだって言動や一つの失態で人生が詰みかけるリスキーな生活を送っているのだ。晴は自分がまともな大人ではないと自覚しているが、そういう危険な行為はしっかりと弁えている常識者であるつもりではいる。


 だからこそ、ミツキのように遊び半分で年齢を偽って、いつの間にか相手を破滅させる未成年が最も危険かつ厄介なのだ。


 どれだけ注意しても、自覚していなければ注意なんて無意味なのだから。


「お前のやった行為は、最悪相手を社会的に殺すことになる。お前自身の為にも、絶対にやめろ」

「――ごめんなさい」


 未成年に叱咤するのも心苦しいが、大人しての立場上しない訳にはいかない。

 努めて圧を殺してそう諭せば、ミツキも反省したのかぺこりと頭を下げた。


 おそらくこれで、ミツキはもう恋愛アプリを利用する事はないだろう。今度使用する時は、せめて対象年齢になってからにして欲しいものだ。


 そんな事を胸中で思惟すれば、たった数分間にも掛かわらず溜まった疲労が重い溜息と共にこぼれた。


「……で、なんでまた年齢なんか偽って恋愛しようと思ったんだよ。おっさんでよければ相談に乗るぞ……少しだけな」

「おっさんと呼ぶには若い気がしますが」

「じゃあお兄さんでも……なんでもいいや」


 呼び名なんてどうでもよかったし、いちいち考えるのも疲れて面倒くさくなった。

 先程の大人としての威厳みたいな空気を引っ込めれば、晴の砕けた雰囲気にミツキの表情がいくらか柔らかくなる。


「理由なんてたいしてないです。強いて言えば、ただ年上の男の人と少し関係を持ってみたかった、からですかね」

「なるほど。つまり、同級生との恋愛はつまらないと」

「そういう訳ではありませんけど……でも、今の私の言葉ならその見解が正しいですかね」


 年上に憧れる気持ちなんて一ミリも理解できないのは、たぶん晴が恋愛経験ゼロで恋愛なんて眼中になかったからだろう。


 ただそういう年頃の子が年上に憧れるのはネットやSNSを見れば意外と多いのは知っていた。おそらく、ミツキも彼女らと同じ思考なのだろう。


 このご時世。片手で意中の相手を探せる時代だ。好奇心に手が操られるのも分からなくはなかった。


「俺が言うのもなんだけど、男なんて歳を取ろうと中身は変わらないぞ。思春期を過ぎて二十歳はたち過ぎても、大抵の男の頭は性欲か肉かゲームだ。あと酒」


 晴だって性欲が全くない訳ではないので、一応男には当てはまる。肉も好きだし、ゲームもそれなりする。

 ちゃんと自分も男だな、と謎の確認はさて置き、


「だから、俺からお前に言える事は一だ」

「なんですか?」


 一つ指を立てて、告げる。


「男には期待するな」

「――――」


 禄でもない男からの禄でもないアドバイス。それに、ミツキは目をぱちぱちと瞬かせると、


「ふふ。貴方って、本当に可笑しな人ですね」


 と笑みを咲かせた。


「(――?)」


 その笑みを見て、胸に違和感が生まれる。およそ初めて――いや、何度か覚えのある感情に眉根を寄せれば、ミツキが口を動かしていて慌てて意識を向ける。


「とりあえず、貴方の言う通り男には期待しませんし、ちゃんと自分で責任が持てるまで出会い系アプリは使いません。色々、ご指導ありがとうございました」


 もう一度、今度は感謝を示して頭を下げるミツキに、晴は「お、おう」とぎこちなく応じた。

 頭を上げたミツキは、夜に染まる街並みに褪せない程の美しい微笑みを浮かべて、


「今日が楽しかったことに変わりはありませんし。相談に乗ってくれたことも嬉しかったです。おかげで、少しだけもやもやが晴れた気がしました」


 律儀な子だな、と晴はミツキという少女に感心させられた。

 叱られて、気分なんて最悪なはずだ。今日の楽しい思いではきっと水泡に帰している。それにも関わらず、晴の注意を反芻してお礼まで述べた。   


 およそ16歳には思えない達観した性格のミツキに、晴の方が身習うべきだと感化されてしまった。


 ……ふむ。


「それでは。今度こそお別れ、ですかね」

「…………」

「今日のお出かけの相手がハルさんで良かったです。では、またどこかで」

「…………」


 ミツキの言葉に何の反応もみせず、晴は沈黙していた。

 その様子を不機嫌にさせたとでも思ったのだろうか。ミツキが眉尻を下げて、寂しそうに紫紺の瞳を細くする。

 そして、ポーチをきゅ、と握り締めて帰ろうとして――


「ちょっと待った」


 呼び止めれば、ミツキが何事かと紫紺の瞳を大きく見開いた。


「確認したいことがある」

「まだ何か?」


 僅かにミツキの声に怪訝な気配が立ち込めるも、晴は全く気にしなかった。


「お前、年上がタイプか?」

「い、いえ。そういう訳ではないです」


 有無を言わさない視線で質問すれば、ミツキが躊躇いがちに答えた。

 それから晴は間髪入れず次の質問をした。


「恋愛に興味はあるんだよな」

「興味があるというより……良い相手が見つかればいいなと思ってただけで」

「なるほど。つまり恋愛感情はあまり強くないが恋ができる相手は欲しい、と」

「あ、あの。これ何の確認ですか?」


 疑問をぶつけられるも、晴は応えなかった。

 ミツキの疑問や視懐疑的な視線には目もくれず、晴はポケットからスマホを取り出せば、出会い系アプリを立ち上げて素早くミツキのプロフィールを広げて画面を向けた。


「お前、このプロフィールに料理と家事が出来るって書いてあったけど、それは本当か?」

「え、えぇ……というか私の質問は⁉」


 質問攻めばかりされて流石に腹が立ったのか、ミツキが騒いでいるがやはり晴はそれに構うことはない。

 それよりも、優先すべき確認事項があったからだ。

 カチャカチャ、と頭の中でミツキという少女について整理する。


 恋愛にはそれなりに興味があって、相手もどうやら拘りはない。

 料理と家事が出来るのは本当で、性格もお淑やかで律儀で16歳とは思えないほどの達観した人格者だ。


 さらには今日のお出かけが存外楽しめた。という事は、晴に少なからず好印象は抱いているのは間違いないだろう。


 この情報を整理した時間はおよそ三秒ほど。


 ――ありだな。


 思案をまとめると、晴は一人頷いた。


 小説家とはずる賢いもので、それが、ましてやかつて小説投稿サイトのランキングトップともなれば、そのずる賢さは周囲よりも頭一つ抜けていて。


 ――決めた。


 ふわっ、と夜風が二人の間を通り抜ける。

 ミツキの髪が薙がれて。晴の前髪が揺れた。


「なぁ、お前――」

「――――」


 潤んだ紫紺の瞳がジッと晴を見つめていて、何を言われるのかただ息を飲んで待っていた。


 息の飲むほどに可憐な少女。そんな子に見つめられているというのに、この鼓動は弾むことはない。きっと、晴は彼女に恋をしていないのだろう。


 それでも、晴にとってミツキが手放しがたい存在だと思った。


 だから、晴は少女の瞳を真っ直ぐに見つめ返して――


「なぁ、お前。俺と結婚しないか」

 

 出会って一日。それも未成年の少女に、晴はプロポーズした。

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