第28話 『 罰として、手を繋いでください 』
――夕飯の買い出しも済んで、二人は帰路に着いていた。
「今日は晴さんもいてくれたので、たくさん買えました」
「それはようござんしたな」
ご満悦な美月の隣で、晴は肩に掛けたエコバッグの重さにため息をこぼしていた。
「重いなら持ちましょうか?」
「女に持ってもらうほど男はすたれちゃいない」
「でも家までまだ距離ありますよ?」
「なめるな」
根性、という言葉は好みではないがどうにか気合で耐える。それに美月も晴ほどではないが荷物を持っている。その華奢な腕でこれを持てばぽっきり折れてしまいそうなので、やはり晴がパンパンになったエコバッグを持った方がいい。
ぜぇぜぇ、と荒い息遣いが聞こえてきそうな晴に、美月は苦笑を浮かべると、
「負けず嫌いですねぇ」
「こういうのは男が担うものだろ」
「私のほうが力あると思いますよ」
「なんで非力だと思われてんだ。それなりに力あるわ」
「でも、貴方の体型はどうみても鍛えてないじゃないですか」
「鍛えてなくてもお前よりある。絶対ある」
意固地になって口を尖らせれば、美月は「分かりましたよ」と適当に流した。
女性と男性とでは当然筋肉量が違う。しかも晴の方が年上なので、それはさらに顕著になるだろう。
それに、
「俺が晩飯をリクエストしたんだ。このくらいさせろ」
「何が食べたいか聞いたのは私ですけどね」
「でも唐揚げが食べたいと言ったのは俺だ。だからやらせろ」
はいはい、と美月は頑固な晴に呆れたように返事した。
夕飯の買い出しの時に美月に献立は何がいいかと質問されて、それに晴はちょうど目についた鶏肉を見てそう言った。
「そういえば、まだ晴さんに唐揚げは作ったことありませんでしたね」
「揚げ物もできるとかお前最強かよ」
「油入れて揚げるだけなのでわりと簡単ですよ?」
「簡単かもしれないけどそれまでの行程が面倒だろ」
「言うと思った」
晴の回答を見越したように美月はくすくすと笑った。
「ホント、貴方は執筆バカですね」
「執筆バカでも生活できてる」
「私がいるからでしょう?」
「ふっ。そうだな」
美月がいなければ慎に見放されていたので、またいつかの汚部屋ライフに戻っていただろう。そういう意味では本当に、美月との出会いは運命かもしれない。
微笑をこぼせば、そのついでに美月に言った。
「美味い唐揚げ期待してる」
「ふふ。任せてください」
なんとも頼もしい返事だった。
それから美月は「あ」と声を上げると、
「どうせなら一緒に作りましょうよ」
「俺にでもできるのか?」
「なんでそんな躊躇ってるんですか」
「いや、俺が油もの使うと爆発するぞ、って前に慎に言われたから」
「慎さんは過保護ですね」
慎さんにどれだけ大切にされているのか分かりました、と美月は嘆息した。
「そもそも、晴さんの家のキッチンはIHでしょう。なら爆発なんてしませんよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんです」
美月が言うなら杞憂なのだろう。
爆発の懸念は除去されて晴は美月の提案に一考した。
「はたして俺が作っても美味しい唐揚げが作れるだろうか」
「逆に唐揚げをマズく作れたら天才ですよ」
「そんな簡単なのか?」
簡単です、と美月が力強く顎を引く。
「しおこしょうに醤油にみりん、しょうがとにんにく、入れる分量さえ間違いなければ誰でも美味しい唐揚げを作れますよ」
「それは一人暮らしの時に知りたかったな」
「知ってもめんどくせぇ、って言って作らないのが目に見えますよ」
「よく分かってるな俺のこと」
「もう一カ月も一緒に住んでますからね」
晴の内面を熟知しつつあることを知れば、なんだかむず痒くなった。おまけに顔まで真似されているのでバツが悪い。
「そうだ。なら今度、一人でキッチンに立たせてみましょうかね、一品私に作ってみてください」
「言っとくけど、するのが面倒なだけ料理はできるからな?」
「それも含めてチェックさせてもらいます」
まるで料理の家庭教師とで言うような美月の態度に、晴は口をへの字に曲げた。
それなりに一人暮らし生活も長かったしどうしても調理シーンが必要な時はキッチンに立っていたのだが、美月は一度も見ていなので信用していない様子である。
「それでどうしますか? 今日は一緒に、料理してみますか?」
少し声音が弾んでいるのは、一緒にやりたいという気持ちの表れなのだろうか。
揺れる紫紺の瞳に覗き込まれれば、拒否し難くなってしまう。
はぁ、と長い溜息をこぼせば、
「分かったよ。一緒にやればいいんだろ」
仕方なく承諾すれば、美月がやった、と破顔する。こういう所は年相応で、それに可愛くも見えた。
「ただし、片栗粉ぶちまけても文句言うなよ」
「今の一言でキッチンに立たせたくなくなりましたね」
最後に料理したのはいつだったか覚えていないので美月に忠告すれば、先程の笑顔が一気に引き攣った。
「晴さんはもう少し、デリカシーを身に着けたほうがいいと思いますよ。いい雰囲気が台無しです」
「事件を未然に防ぐことは大事だろうが。起きてからじゃ遅いだろ」
「それはそうですけど……私の高揚を返してください」
ぺし、と腕を叩かれた。
それから美月は拗ねた顔を晴に向けると、
「罰として、今から手を繋いでください」
「なんだそれ」
「デリカシーの欠けた貴方に女心の勉強をさせてあげます」
「ラブコメ作家だから女心はそれなりに理解してるぞ」
「小説と現実は、違うでしょう?」
そう言うと、美月ははい、と手を指し伸ばした。
「女子高生と手を繋ぐ成人男性……色々とマズいのでは?」
脳内でサイレンが鳴り響けば、
「婚約者なので安心してください。ちゃんと合法です。ほら、ごちゃごちゃ言ってないで、早く手を繋ぎましょう」
美月がはよしろや、と顔で急かしてくる。
これは断ったほうが険悪になるなと即座に理解して、晴はゆっくり――ではなくおそるおそる手に触れていく。
「はい。捕まえました」
「あ、まだ人が心の準備をしてるってのに」
「なんで手を繋ぐのに準備がいるんですか、初心ですか」
「こちとら人と手を繋ぐの久しぶりなんだよ。……ぞわぞわする」
がっちり美月に手を握られて、別ベクトルで心臓の鼓動が激しくなる。
ひんやりと、触れた瞬間は冷たかった美月の手は、晴の熱に惹かれるように温かくなっていく。
柔らかくて、小さな手の感触に浸っていると、美月が顔を見つめてきた。
「晴さんはもう少し対人関係を改善したほうがいいですね」
「なんで通知表のコメントみたいに言うんだ」
「学生ですから」
「学生だったな」
美月の真っ当な返しに、晴は嘆息した。
「これ、俺たちは周りからどう見えてるんだろうか?」
「さぁ。ちゃんと恋人に見えてるんじゃないですか?」
「どうだろうな。兄妹に見えてるかもしれないぞ」
「じゃあ晴さんはお兄ちゃんですね」
「やめろゾっとしたわ」
お兄さんなら百歩譲って、婚約者から『お兄ちゃん』と呼ばれるのはぞくぞくと背中に悪寒が走った。
本気で嫌そうな顔をすれば、美月は余計な事いわないでください、とぴしゃりと晴を叱ってから、
「大丈夫だと思います。ちゃんと、私たちは恋人に見えてると思います」
ほんのりと、美月は頬を朱に染めて呟いた。
「夫婦ではないのか」
「夫婦には見えないと思いますよ。私が若いので」
「俺がおっさんみたいに言うな」
晴はまだ二十四だ。それに、
「俺くらいの歳で結婚してる奴らは意外と多いけどな」
「だとしても恋人という認識のほうが強いと思いますよ。婚約指輪をしてるならまだしも、私たちしてませんからね」
「やべ、忘れてた」
「減点です最低ですクズです」
美月がこれまでで一番の鋭い視線を送って来た。しかも声の圧も凄まじい。
晴は慌てて言い訳する。
「いや、ほら色々と急だったろ。まさかお前も承諾するとは思ってなかったし、すぐに同居し始めたし……」
「貴方は執筆優先ですもんねっ」
「……悪い」
ふんっ、と初めて怒りを顔に出した美月に晴は返す言葉もなく素直に謝罪した。
申し訳なさそうに顔を俯かせていると、美月はふふっ、と小さく笑った。
「忘れた事に腹は立っていますが、怒ってはいませんよ」
淡く微笑む美月は、目を瞬かせる晴を見つめて続けた。
「私たちの関係は複雑ですからね。ちゃんと籍を入れてからでもいいと思います」
「それでいいのか、お前は」
「お互いの利害関係が一致しているから同棲しているのであって、まだお互いを好き合ってはいませんからね」
淡々と言う美月に、晴はその言葉を否定したくなった。
好き合ってはいない。それは事実だ。でも、晴は美月に好意は抱いている。それが恋愛感情によるものかはまだ自分でも分からないけれど、でも、美月に好意を抱いているのは嘘じゃない。
その気持ちを伝えなければいけないと思って、晴は美月の手をわずかに強く握った。
「前にも言ったが、俺はお前が好きだ……と思う」
「そこは断定しましょうよ」
「じゃあお前はどうなんだよ」
「私は晴さんのこと好きですよ」
それは異性としてだろうか。異性に好きだと伝えるには、美月の声音はあまりにも平然としていた。
そういうものなのだろうか、と晴の胸裏に逡巡が生まれる。
誰かに好きだと好意を伝えるのは、心臓は高鳴りもしないものなのか。
あるいは、美月の好意も、晴と同じまだ未完成の感情だからか。
それでも、互いが好意を寄せているのは事実だから、
「なら今度買いにいくか、結婚指輪」
「決断するの早くないですか?」
問いかければ、美月は眉根を寄せた。
「欲しくないのか?」
「欲しいか欲しくないかで言われれば……どっちでも?」
「じゃあ買わん」
そこは欲しいと頷いてほしかった。
今度は晴の方が拗ねれば、美月は儚い顔をして言った。
「私たちの関係は複雑ですから。いつ終わりが来るかも分かりません。なら、指輪なんて、なくてもいいと思います」
「……そういうものか」
その切ない声音が、無性に晴の胸をざわつかせるのだった――。
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