第27話 『 きょ、脅迫まがいとは 』


「どっか行くのか?」


 玄関前で靴を履いている美月を見かけると、晴はその後ろ姿に問いかけた。

 晴の声に美月は振り向くと、


「えぇ。今夜の夕飯の食材を買いに行ってきます。それと洗顔フォームと乳液を」


 答えた美月に、晴は「ふーん」と生返事。


「何か買ってきますか?」

「欲しいものは特にない……が」

「が?」


 はて、と小首を傾げる美月に、晴はふむと一考したあと、


「俺も行く」

「あら珍しい」


 驚いたように、美月は目を丸くする。それから、


「今まで一度も一緒行くなんて言わなかったのに、今日はどういう風の吹き回しですか?」

「お前、洗顔と乳液買いにいくんだろ」


 えぇ、と美月がぎこちなく頷く。


「俺もみたい」

「まさか晴さん、そういう趣味が……」

「な訳ねぇだろ。どんな勘違いだ」


 一人で変な妄想を膨らませて唖然とする美月に、晴は嘆息した。


「小説に使いたいから、資料として見ておきたいんだよ」

「まぁだいたいそんな事だろうと見当はついてましたけどね」

「じゃあ揶揄うな」


 睨めば、美月はちろりと舌を出す。それから、


「なら、今日は一緒に買い物に行きましょうか」

「あぁ、準備するから、ちょっと待ってろ」

「分かりました」


 相槌を打つ美月を尻目に、晴はリビングに財布とスホを取りに踵を返す。

 とたとたと歩く後ろから、上機嫌な鼻歌が聞こえていた。



 ▼△▼△▼▼



「なんで洗顔だけでこんなにあるんだ」

「普段使わない人の発言ですねぇ」


 晴のマンションから十五分ほどにあるデパートに赴けば、二人は化粧品コーナーにいた。


 周囲をぐるりと見渡せば、化粧品コーナーなのだから辺り前でだが至る所に乳液やら洗顔フォームやらリップが置かれている。


「あ、これネットで見たやつだ」

「まさか晴さん……っ⁉」

「そういう冗談やめろって言ってるだろ。……女子に変な目で見られてるだろうが」


 揶揄ってくる美月に声を潜めて威圧的に言えば、くすくすと悪戯に笑う。


「まぁ、女性ものの所に貴方のような人がいたら目立ちますよ」

「おい、なんで男性じゃなくて俺限定なんだ」


 納得がいかず口を尖らせれば、美月は「だって」と前置きすると、


「陽キャがカノジョの買い物に付き合う構図なら変に見られないんでしょうけど、その、ほら、晴さんて、言ってしまえば陰キャじゃないですか」


 陰キャという単語を口に出すのにかなり葛藤が垣間見えた。


「陰キャだけどお前が隣にいるだろうが」

「陰キャだけど私が隣に居ても違和感が凄いんですよ」


 口を尖らせながら返せば、美月に綺麗に言い返された。


「目つきが怖いし、それに負のオーラも漂って見えます」

「目つきが悪く見えるのは隈のせいだし負のオーラを放っているとは思ってない」

「主観的にはそうでしょうが、客観的にはそう見えますよ。背中から哀愁が滲みでてます」

「お前、最近俺に容赦ないよな」


 辛辣ぶりが出会った当初より格段に増していた。


 これも少し距離が縮まったから言える事なのだろうが、晴としては意外と言葉のナイフが胸に刺さるので遠慮してほしい。


 そうでしょうか、ととぼける美月に、晴はこくりと頷く。


「前より可愛げがなくなった。前のお前はもっと淑女だったぞ」

「晴さんにはガツガツ言わないと効き目がないから、自然と強く出てしまうんですよね」


 家事だけでなく、最近では仕事のストッパーにもなり始めた美月が苦労を吐息に乗せた。


「私から可愛げを奪ったのは晴さんということで。ちゃんと責任取ってくださいね」

「そういうところも可愛げがない」

「可愛さよりも貴方の健康優先です。遠慮して止められないくらいなら、強く言って止めた方がよっぽどマシですから」


 もはや彼女というよりすっかり妻の意識である。

 そんな美月の変化にわずかに驚かされながら、晴は淡く微笑むと、


「ま、俺としてはどっちでもいい。お前のいう事は大抵正論だ」

「晴さんて、意外と器が大きいですよね」

「意外とってなんだ意外とって」


 ジト目を向ければ、美月は「だって」と前置きすると、


「見た目的にもっと頑固な人かと思えば、ちゃんと人の意見を聞きますし、高圧的な態度も取らないじゃないですか」

「人の意見を聞くのは小説家なんだから当たり前だ」

「そういうものですか?」

「そういうものだ」


 眉根を寄せる美月に、晴は静かに肯定する。

 晴はそうだな、と思案すると、


「意見が食い違って駄々をこねる作家と、意見が食い違って互いの落としどころを探す作家、お前ならどっちを取る?」

「私なら後者を取ります!」

「そういう事だ」


 美月が感慨深そうに頷いた。


「俺の話じゃなくて慎の話になるけど、あいつ、自分の小説が受賞した時かなり担当者と揉めたんだよ」

「なんでですか?」


 興味深そうに促してくる美月を一瞥してから、晴は答えた。


「『タイトル』だ」

「……タイトル、ですか」


 美月が理解していないように声を小さくした。

 そんな美月に、晴は目の前の洗顔フォームを見つめながら言った。


「この業界じゃよくある事だ。受賞した作品が、出版される時に『タイトル』が変更されるのは。今はそうでもないけど、デビュー前の慎は相当自分の作品を誇示してた。だから『タイトル』もこれじゃなきゃ嫌だって相当揉めたらしい」

「想像できませんね」


 以前、直接話した慎と今の話を重ねているのだろう。美月が眉間に皺を寄せる。


「結局、タイトルは出版社の方が脅迫まがいの説得して慎が折れたらしい」

「きょ、脅迫まがいとは?」


 ぎこちなく先を促す美月に晴は「そんな身構えなくていい」と肩の力を抜かせると、


「簡単だよ。このままじゃお前の小説出版できなくるぞ、って言われたんだと」

「……うわ」


 美月が戦慄した。


「それ、脅迫まがい、ではなくただの脅しでは?」

「いや、実際の言い方は違うと思うぞ。もっと迂遠な言い回しで……「あー、このままじゃ発売するスケジュールが伸びちゃうなー。これだと色々とマズいなー。せっかくの大賞受賞作品が金賞より後に出るのはな出版社うちらとしても面子がなー」みたいな感じでそれとなく慎の危機感を煽ったと思う」

「なんか現場見てたような言い方ですね」


 居合わせてたんですか、と問われれば「んな訳あるか」と返した。

 それから晴は「でも」と継ぐと、


「俺の前の担当者が現場に居合わせてたんだ。その人、編集者歴長いし頼りになるから、慎の担当者に慎の説得してくれって頼まれたらしい。だけど「お前が担当者なんだから、お前がちゃんと説得しろ⁉」って逆にお説教を食らわせたらしい。ただいつまで経っても話が進まないのもマズいから、その人も付き添いで二人の口論の決着がつくのを見守ってたらしいんだよ」

「壮絶ですね」

「編集者と作家はバトルする事が多いからな」


 そうなんですか、と問い掛ける美月に晴は「俺は違うけどな」と淡泊に返す。


「まぁ、晴さんは聞き分けはいいですもんね」

「聞き分けはってなんだ聞き分けはって」

「そのままの意味です」


 睨めば、美月は知らんぷりと視線を洗顔フォームに移した。露骨に視線を逸らした美月に若干腹が立ちつつも、晴は話を纏める。


「色々と話が逸れたが、俺が人の意見を聞く人間なのはそっちの方が楽だからだ。喧嘩とか死ぬほどめんどう」

「晴さんは小説以外に時間割く労力を使いませんからねぇ」

「今はお前と買い物来てるだろうが」

「それも資料作りの為でしょうが」

「なんでちょっと俺の口調を真似た」


 語勢に勢いはないが晴の真似事をする美月に眉間に皺を寄せた。

 すると美月はえへへと笑って、


「ノリでつい」

「どんなノリだ」

「リズムが良かったので」

「ラッパーかお前は」

「いえただのJKですけど」

「そこはマジレスすんな」


 淡々と返した美月に晴は辟易としてしまう。


「もういいから、買う物決めたら買ってこいよ」

「もう最初から買う物決まってたんですけどね」

「じゃあなんで他の見てたんだよ」

「晴さんと話すのが楽しくてつい」


 柔らかい微笑みを浮かべて言った美月に、晴は目を見開いた。

 数秒。美月の言葉にどう返せばいいのか戸惑いが生じれば、ふ、と口許を緩めて、


「そうかよ。こんな話でいいなら、いくらでもしてやる」


 今の話の何が楽しかったのは分からないけれど、それでも美月が喜んでくれたのならまた話してもいいと思った。


 それを素直に吐露すれば、美月は「はい」と頷く。


「今日はもっと聞かせてください。買い物はまだまだ続きますから」

「……若干疲れたな」

「なら夕飯抜きでも?」

「それは困る」

「でしたら引き続き、買い物に付き合ってくださいね」

「へいへい」


 適当に返事すれば、美月は「よろしい」と微笑みを浮かべる。


「では、これ買ってきちゃいます」

「ああ、行ってこい」


 ひらひらと手で行けとジェスチャをすれば、美月がレジへ向かっていく。

 その後ろ姿を眺めながら、晴はふと物思いに耽る。


「……俺とお前は違うから……か」


 いつか慎が晴に向かって吐いた、羨望と嫉妬の混じった言葉。


 晴と慎は同じ出版社で本を出すいわゆる同業者だが、デビューの方法が違う。


 慎は新人賞で。

 晴はオファーで。


 ネット小説として相当の人気を誇っていた晴の作品は、オファーされてからその作品のタイトルが変更されずそのまま出版された。


 どうしてなのか。それは晴の作品が人気だったからだ。


 出版社が欲しているのは、天才でも努力家でも将来性のある作家でもない――『話題性のある者とその作品』だ。


 ネット小説の構造をピラミッドに例えるならば、晴の作品は頂点に位置していた。


 故に話題性があり、故に出版社の目に止まり、故に障害なく『本』になった。


 天才も努力家も将来性も、小説家には無意味なのだ。その全ては埋もれる可能性があり、そして全ては結果に後に付随する。


 小説家は、皆もがき苦しんでいる。


 慎も、晴だって、藻掻いて足掻いて小説を書き続けているのだ。

 なら、


「少しくらい、休む時間があってもいいか」


 そんな苦しい時間の中に、美月がくれる穏やかな時間に肩の力を抜いてもいいかなと思ってしまった。

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