第29話 『 ご注文、お伺いしますね 』
本日は美月もバイトがあるという事で、晴は慎と一緒に喫茶店に来ていた……のだが。
「……あ」
「……お前」
適当に立ち寄った喫茶店で晴は美月とばったり遭遇してしまった。
お互いに驚きのあまり開いた口が塞がらず、その様子を慎が腹を抱えて笑っていた。
慎の耳を捻りながら晴は制服姿の美月を眺めると、
「お前、ここでバイトしてたのか」
「……はい。晴さんこそ、どうして【
「たまたま寄った」
ちょうど目についたのがこの喫茶店だから入った訳で、決して美月を付けてきた訳ではない。
しかし、美月はまだ晴と遭遇してしまった事に驚いている様子だった。
「と、とりあえず適当な席に着いてください」
「ん」
案内もぎこちなくなってしまっているが、晴はとくに気にすることなく二人席へ慎と向かう。
よ、と腰を降ろせば、笑いすぎて目尻に涙を溜めている慎がようやく口を開いた。
「いやー。まさか美月ちゃん、ここでバイトしてたとはね」
「俺も初めて知った」
と答えると、慎が頬を引きつらせた。
「なんで自分の婚約者のバイト先も知らないんだよ」
「聞いてないし、知る必要ないだろ」
淡泊に返せば、慎が呆れた風に肩を竦める。
「晴は思いやりがないなぁ。普通だったら、美月ちゃんがバイト終わったら迎えに行ったりするでしょ」
「なんでする必要があるんだ?」
心の底から不思議そうに首を傾げれば、慎が落胆したと首を落とす。
「淡泊すぎ。夜遅くまで外にいるんだから、心配になるでしょ」
「……あー」
指摘されて、ようやく晴は慎の言葉に納得する。
たしかに不安だ。痴漢や不良、変な輩はそこら中に蔓延っている。それでもし美月が絡まれて怪我でもしたら、と思うと胸がざわついた。
「やっと気が付いたかね執筆中毒者」
「でもわざわざ迎えに行こうとは思わない」
「冷酷野郎め」
慎が軽蔑の視線を送ってくる。
何が慎を不機嫌にさせているのかは理解できないが、晴はメニューを眺めながら呟いた。
「あいつはしっかりしてるし、防犯ブザー常備してるらしいから心配ない」
前に一度、美月が聞いてもないのに言ってきた事を思い出した。
『夜遅くまで外にいるなら防犯ブザーは絶対持つべきです。あと明るい道を歩いていれば大抵は絡まれません。それでも絡まれたら即叫んで助けを求めます。小説に使えますよ』
と語尻に晴の気を逸らす事を言ったのでよく覚えている。今のところヒロインが痴漢に襲われるシーンは書いてないので、是非参考にしようと思った。
とにかく美月に対して余計な心配は無用だ、と慎に伝えれば、嘆息が聞こえた。
「ある種の信頼関係がそうさせてるのかもしれないけど、お前の場合は淡泊なのか信頼してるのか分からない」
「あいつの事は基本信用してる」
端的に答えれば、慎は「晴にここまで言わせるとはねぇ」と感嘆していた。
晴の胸襟を知ったからか、慎はようやく棘のある空気を引っ込めると、
「その感じだと、美月ちゃんとはうまくいってるみたいだな」
「……どうだろうな」
「なにその含みのある言い方」
曖昧に返事すれば、慎は眉尻を下げた。
晴と美月は慎の思うような関係ではないし、彼が羨ましく思う程進展していない。
――『いつ終わりが来るかも分かりません』
あの言葉が、あの日からずっと脳裏に繰り返されていた。
無論、それで執筆に影響は出ていない。ただ、普通に過ごしているとふと思い出してしまって、むしゃくしゃしてしまうのだ。
美月は変わらず平然と接しているが、晴の方は美月を見る度に胸がざわついていた。
だから今日は気分転換と所用を済ませたのだが、まさか美月とばったり遭遇するとは想像もしていなかった。
ちらっ、と働いている美月は見れば、ばちっと目が合った。
「――――」
気まずそうに目を逸らせば、その一瞬を慎に見られていて、
「むふふ。仲睦まじいですなー」
「その顔やめろ腹立つ」
「うん……分かったから、足踏むのやめようか」
実力行使で慎のにやけ面を引き攣らせて、晴は嘆息した。
「何頼むか決めたか」
「んぁ? 晴と美月ちゃん見てたから決めてない」
「三秒で決めろ」
「鬼畜かっ……じゃとりあえずアイスコーヒーで」
「ん。じゃ注文頼むわ」
「なんで速攻決めさせといて俺にさせるんだ」
晴の傍若無人ぶりに慎が肩を落とした。
「店員を呼ぶのはお前の係だろうが」
「そんな係ないだろうが……」
仕方ない、とため息を吐きつつ慎は店員を呼んだ。
その声に反応してはい、と返事して二人の前に寄ってきたのは美月だった。
「やっほー、美月ちゃん」
「こんにちは、慎さん」
営業スマイルではない微笑みを慎に向ければ、美月はエプロンからメモ用紙とペンを取り出した。
「ご注文、お伺いしますね」
「アイスコーヒ一つと……」
「アイスカフェオレ一つ」
「畏まりました。以上でよろしいですか?」
「俺はいい。慎は?」
「俺もいいかな」
喫茶chiffonという通りメニューには豊富なケーキたちも記載されていたが、今日は気分ではないので遠慮すれば慎も首を横に振った。
美月が晴と慎のオーダーを復唱して、取り終えたメモを持ってキッチンへ向かっていく。
そんな後ろ姿を眺めていれば、慎が深々と吐息していた。
「いやー。それにしても美月ちゃん可愛いね」
制服めっちゃ似合う! と興奮するヲタクに晴は釘をさす。
「いかがわしい想像するなよ」
「それをそっくりそのままお返しするよ」
「俺がする訳ないだろ」
「そういえば美月ちゃんとはまだキスしてないの?」
頬杖をついて問いかけてくる慎を一瞥すれば、
「好きになったらするとは言った」
「てことはまだ好きではないんだ?」
「……分からない」
声音が落ちる。
本当に、自分でも美月に対するこの感情が分からなかった。
「晴はどうして小説であんなに恋する乙女の心理描写を書くのが上手いのに、現実じゃそんなに不器用なのさ?」
そんなの晴の方が知りたかった。
「小説と現実は違う。小説は登場人物の感情を想像すればこうかなって書けるけど、現実の感情は表現できないだろ」
小説は、俯瞰することができる。作者としての感情と、登場人物の感情を、それを擦り込み、混ぜ合わせ、そして文字として可視化させる。
けれど、現実で起きる晴への事象は主観で判断するしかない。俯瞰しても、客観的に捉えても、それは結局、八雲晴という個人から捉えた主観でしかない。
この名付け難い感情を知れば、もっと小説に活かせるだろうか。
それを知れば、美月に向ける感情の答えを出す事ができるのだろうか。
眉間に皺を寄せれば、そんな晴を慎は楽しそうに見つめながら、
「青春してるねぇ、晴くん」
とにやにやしながら呟くのだった。
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