第105話 『 私にも今年は慎くんがいるもん/一緒にプール楽しんで欲しいっす 』


 お昼ご飯の最中に決めた午後の予定通り、各ペアでプールを満喫していた。

 バイタリティ溢れる慎と詩織のカップルのプールデートは、なんともアグレッシブだった。


「慎くん! あれ! 次はあれやろうよ!」

「オッケー。じゃさっそく並ぼうか」


 このプールの水上遊戯を制覇するつもりの詩織に誘われれば、慎は嫌な顔一つせず頷いた。

 二人が並んだのは、テレビで取材されたこともある有名なウォータースライダー(垂直直下して滑走)だ。人気な遊戯であれば、遊ばねば損というものだろう。

 それに並ぶ最中、慎は嬉しそうに息を吐いた。


「いやー、今年は詩織ちゃんと一緒に来れて良かったな」

「楽しい?」

「めっちゃ楽しいよ」


 素直に感想を吐露すれば、詩織は「良かった」とはにかむ。

 それから、詩織は「まぁ」と嘆息すると、


「私は予定カツカツだけどね~」

「……夏コミの衣装、出来上がってるの?」

「ギリギリ!」

「なのにどうして楽しそうな顔してるのさ」


 未完成にも関わらず、詩織は何故か活き活きとしていた。

 頬を引きつらせていると、詩織は「だって」と楽しそうに口許を綻ばせた。


「私にも今年は慎くんがいるもん」

「…………」


 詩織の言葉に思わず胸が弾めば、年上のカノジョは小悪魔のように目を細くした。


「今日から家に帰ったら私の〝お世話〟よろしくね、シーンくん」

「はぁ。なんとなくそんな予感はしてたけど。やっぱり衣装が完成するまで詩織ちゃんの家の掃除とか料理担うのかぁ」

「ダメ?」


 その上目遣いは不覚にもグッと来てしまった。

 胸の高鳴りを隠すように視線を逸らせば、


「だ、ダメじゃないけど、俺にだって仕事があるし……」

「私の家で書けばいいじゃん」

「それはそうだけど……」


 もう何度か家にも泊まって執筆もしてるでしょ、と言及する詩織に慎は口ごもる。


「なに、不服?」

「全然! 同棲してるみたいで楽しいし、俺の手料理喜んでくれるのは嬉しいから。でもさ……」


 前のお世話係だった晴という男は何の感想もなしに食べてた事と比較すれば、詩織に手料理を振舞う方が百倍いい。

 けれど慎が中々首を縦に振らない理由は、詩織の性格にあった。


「詩織ちゃん。真の極限状態になると人使いめっちゃ荒くなるでしょ」


 普段は明るく優しい詩織も、切羽詰まると形相を変える。あれはまさに狂人だった。

 それが目に見えているから、慎は詩織のお願いに承諾できずにいた。そして、当の本人も自覚がある為「あはは……」と苦笑しかこぼせない。


「あの状態の詩織ちゃんはバーサーカーだから、俺としては非常に立場が狭くなるというか、若干家にいるのも気まずいというか」

「だ、だって仕方ないじゃん! 人間ギリギリの状況下だと後先考えられなくなるんだもん!」

「だとしても詩織ちゃんのストレスの矛先が俺に来るのが分かってるとやっぱりいい返事は難しいよね」

「慎くん、私を見捨てる気⁉」


 途端に手を掴んできて、潤んだ瞳を向けてくる詩織。

 うぐ、とたじろげば、詩織は「お願いっ」と懇願した。


「今回はちゃんと慎くんを蔑ろにはしないからっ。だからね、どうか私のコスプレ衣装が仕上がるまで家に居て!」

「……うぐぐ」

「コミケが終わったら慎くんが私に着せたい衣装もちゃんと着るし!」

「……ぐぐぐ!」


 心が揺れ動けば、詩織が「それに」と深い笑みを浮かべて耳元で囁いた。


「頑張ってくれたら、その分のご褒美だってあげるよ」

「――――っ」


 甘い囁き声。それに反射的に体が熱くなった。

 ふふふ、と悪女のような笑みを浮かべる詩織に、慎は赤くなった顔を隠しながら言った。


「詩織ちゃんのそういうところは本当にズルいと思う」

「慎くんはやっぱり受けだよねぇ」

「詩織ちゃんのせいでそうなったんだからね」


 出会った当初は年上で気が引けていたけれど、でも、恋人としての時間を過ごすうちに慎は年上の女性も存外悪いものではないと体感した。

 甘えてくるのも、そして甘えさせてもらう時の従僕感も、どちらも否定し難い背徳感のがあった。

 それを慎に教えたのは、眼前で悪戯な笑みを魅せるカノジョ。

 そんな笑顔を向けられてしまえば、男としての返事は一つしかない。


「約束してね。俺をぞんざいに扱わないって」

「それはスイッチ入った時の私に言って」

「それ絶対口答えするなってビンタされるやつじゃん⁉」


 あははっ、と快活に笑う詩織に、慎は辟易としつつも口許を緩める。


「よし、とりえあず今は、プールを楽しもっか」

「賛成! ささ、こうして話している間にも順番が近づいて参りましたな!」


 キラキラとした瞳は、あの天高く太陽にも負けない程に輝きを放っていた。


 △▼△▼△▼



「こ、こうですかね、ミケ先生」

「おっほ~。良いアングルっすね~。最高っすよ金城くん!」


 戸惑いながらもポーズを取ってくれている金城に親指を立てて、ミケはシャッターを押した。

 逆光の度合いや構図、それらを確認してミケは深く息を吐くと、


「ふぅ。ひとまず資料集めはこのくらいっすかね」


 満足のいく写真を眺めてスマホの電源を切れば、顔の前でぱちん、と手を叩いた。


「やや、本当に私の資料集めなんかに付き合ってくれてありがとうっす!」 

「そんな! 僕はただミケ先生のお役に立ちたかっただけなので」


 照れながら嬉しいことを言ってくれる金城。

 そんな心優しい少年にミケはなんだか申し訳なくなってしまった。


「いいんすか? せっかくプールに来たのに、美月ちゃんと遊ばなくて」

「え? どうしてですか?」

「なんすかその反応……」


 きょとん、とした顔にミケも豆鉄砲をくらったような顔になってしまった。


「私はてっきり、金城くんは美月ちゃんと遊びたいから来たのかなー、と」

「そそんな訳ないじゃないですか!」


 そう言えば、金城は顔を真っ赤にして全力で否定した。


「僕はただ、慎さんに遊びに行かないかと誘われたので来ただけです。ただ皆と楽しめればいいなと思って……」


 こうして大人数でプールに来た事がない、と答えた金城にミケも同感だと相槌を打った。


「それにほら、八雲さんはハル先生の奥さんですし」

「たしかにハル先生を差し置いて美月ちゃんと遊んだら、それは何かイケないことをしている気分になるっすね」


 思い当たる節があって神妙な顔で言えば、金城はその通りだと肯定した。


「僕が八雲さんと二人きりで遊ぶのもおこがましい気がしますし、そもそもハル先生と八雲さんはあの二人で完成している気がするんですよね」

「まぁ、凸凹に見えて息の合ってる夫婦っすよね」


 こくこくと金城が赤べこみたく首を振る。


 素っ気ない態度に見えて美月を常に視線の端に置いている晴。

 凛とした態度は崩さないものの晴に甘えたがりな美月。


 口や態度に顕れることは少ないが、雰囲気はまさしく理想の夫婦だった。

 二人きりの時はどうしているのだろう、と邪な心は引っ込めつつ、ミケは金城に振り向くと、


「キミはやっぱり優しい人っすね。周りをよく見てるし、思いやりに長けてる」

「そ、そんな! 過大評価ですよ」

「にゃはは。それこそ自分を過小評価してるっすよ」


 カラカラと笑って、それからミケは少しだけ声音を落とした。


「私は周りを見る、なんてことをしてこなかったので、キミみたいな人が少しだけ羨ましいっす」

「ミケ先生……」


 他人のことよりも絵を。

 自分のことよりも絵を。

 自分の想像する世界を描く事がこの世界で一番面白かったミケは、そうして大人になった。

 それで食べていけるから親は何も文句は言わなかったが、でも、少しだけ友達がいる人が羨ましく思えた。

 そんな生き方をしてみたかった、と思う日々もたまにある。


「僕はミケ先生が好きです!」

「ほえ⁉」


 そんな思考に耽っていると、唐突に金城から大胆な台詞を告げられた気がした。周りも目を剥いて二人に振り向いたので、たぶん聞き間違いではないのだろう。

 思わず顔を赤くすれば、金城は慌てて首を横に振った。


「ええとちがっ……今のはなんというか言葉の綾というやつでして! ……ああいやミケ先生が好きなことには変わりはないんですけど……でもそれはええと……」

「絵描きとして好き、ってことすか?」

「それですそれです!」


 何となく金城が言わんとしていることが分かって、必死に言葉を探す金城に手助けするように言えば彼はブンブンと首を縦に振った。


「僕はミケ先生の絵が好きです」

「――――」


 こうして面識を持った時から、その想いは何度も目で伝えられた。

 だからもう知ってる、そう思い口許を緩めれば、金城は「でも」と継いで、


「こうして本物のミケ先生とお話して、一緒に遊んだりして……絵描きとして僕が知っているミケ先生とは違う一面を知れて凄く嬉しくなれました!」

「金城くん」

「ぼぼ僕みたいなただ貢ぐことしかできない消費ブタ野郎が何言ってんだって話なんですけどね! ていうか、今更だけどミケ先生がこうして間近に居ること事体僕にとっては一生の運使い果たしてるのでは⁉」


 ぺこぺこと頭を下げたり、ガシガシと頭を掻いたり。自分でも混乱しているのに、金城はミケに全力で想いを伝えてくれた。

 それは、ファンレーターよりも嬉しいもので。

 気づけば、ミケは金城の手首を握っていた。

 狼狽する金城に向かって、ミケはニッと笑うと、


「そんなことを思ってくれただけで、私は死ぬほど嬉しいっすよ」

「――っ」


 こういう、絵以外で胸が高鳴る気持ちは初めてだった。

 伝えられた気持ち。伝えてくれた気持ち。その全部がこの鼓動を高鳴らせるから、ミケは金城との距離を縮めて手を伸ばした。


「こんなお姉さんでもよければ、一緒にプールを楽しんで欲しいっす」

「……っ‼ はいっ! 喜んでお供します、ミケ先生!」


 その手を握られることはなかったけれど、全身全霊で頭を下げて応じてくれた金城。

 そんな彼に、ミケは「ありがとう」と微笑みを魅せた――。

 

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