第104話 『 小説家も夏休みあるんですね 』


「バレーしようぜ!」

「ネットねえだろ」


 体を慣らす為にと十五分ほど水中に浸かったところで、慎が詩織の持つスイカのビーチボールを指さしてそんな提案を出した。

 海にならビーチバレー用のネットがあるかもしれないが、ここにはネットはない。

 そうツッコめば慎は「ちっち」と指を振って、


「バレーっていうか、ボール送りだな。六人いるしさ、三人一組のチームに分かれてやろうよ」

「いいね! 凄く面白そうじゃん!」

「なんすかその陰キャ運動音痴を殺す遊び。陽キャは徹底的に陰キャをぶちのめさないと気が済まないんすか」

「僕も運動は苦手なんですけど……」


 賛成と手を上げる詩織とは対照的に、ミケと金城は難色を示した。ちなみに晴はどちらかといえばミケたちの意見に同意だった。


「四対ニということで浅川慎氏の申請は否決となりました。よーし、クラゲごっこでもするかー……ぐへっ」

「まぁまぁ、陽キャはちゃんと陰キャのことも配慮してるから安心しなよ」


 退散しようとすれば慎の腕が首に回ってきて、晴の足を止めさせた。


「そんなガチのやつじゃないからさ。ぽーんてボール渡すだけのシンプルなゲームだよ」


 ゲーム、という言葉にミケと金城の耳がぴくぴくと動いた。


「ミケさんも金城くんもゲームは好きでしょ」

「好きですけどガチ勢ではないっすよ。私はどちらかと言えば課金勢っす」

「ぼ、僕もカジュアル勢なんですけど……」

「心配ないって。ボール送り合うだけでの簡単なゲームだよ。誰でもできる」

「お前が言うと悪徳商法感が凄まじいな」


 道化師と呟けば慎が「褒めてないだろ!」と叫んだ。実際褒めてない。

 気を取り直すようにコホン、と咳払いのあと、慎は晴を意図的に無視して言った。


「詩織ちゃんと俺は運動能力的にも他の皆をカバーできるし、それに晴は元バレー部だから。こういうのは得意分野だと思う」

「ハル先生、男バレに入ってたんすか⁉」

「中学の頃の話ですよ」

「エースだったらしいよ」

「話を盛るなっ」


 たしかに活躍している記憶はあったが、自分がエースはおこがまし過ぎる。

 それから慎は抗議する晴を無視してチームを組み始めてしまった。


「チームは俺と詩織ちゃん。あと金城くんでいいかな」


 そうなると残りは自然と【晴・美月・ミケ】のチームになる。


「おい、バランス悪すぎだろ」

「何言ってんのさ元バレー部」

「バレー部だがこのルールだとあんま関係ないだろ」


 交互にボールを送り合うゲームなので、晴の能力はあまり当てにならない。それに、バレーボールの感覚もすっかり忘れてしまったのでもう初心者に近かった。

 晴の猛抗議など意に返さず、慎はにこにこと笑いながら指笛を鳴らすと、


「それじゃあ、さっそくレクリエーション開始~っ!」

「「お~~~~っ!」」

「お、おー……」


 そんな高らかな声音に嘆息すれば、視界の端に一人、複雑な表情を浮かべる少女を捉えた。


「?」


 どうして美月がそんな顔をしていたのかは、数分後に思い知らされるのだった。


 △▼△▼△▼



 ルールは簡単。

 五ポイント制で、ボールを交互に渡し合う。チームの誰かがボールを落としたら、相手側のチームに得点が入る。

 運動が苦手なメンバーが多いため、晴と慎だけ自分のターン以外にもボールに触れるが、一プレイで一度だけしか触れない。

 ざっとルール説明をしたところで、いよいよゲームスタートだ。


「あ、そういえば負けたチームの男子は今日のお昼おごりだから。それじゃあスタート!」

「それ先に言えや!」


 ボールを投げたと同時に、慎がそんな事を言い放って、晴は強く舌打ちした。

 さっそくボールが高く上がると、まずはミケがボールを返した。


「ほいっす!」

「ミケさん上手~」

「ミケさんナイスです!」

「やー、案外上手くいくもんすね!」


 ぽ~ん、と上がったボールを、今度はミケを褒めた金城が返す。


「は、はいっ!」

「おぉ、金城くんも上手いね」

「あ、ありがとうございます!」


 ――なんだ、この部活みたいな雰囲気は。

 そう胸中で思いつつ、晴も難なくボールをアンダートスで詩織へ返す。


「ほい」

「腕二本で返すのカッコいい!」

「こっちのが楽ですよ、慣れれば。……動かなくて済むし」

「私もやってみよー」


 慎に運動能力が高い、と称賛されるだけあって、詩織も晴の見様見真似でボールを高く上げた。

 綺麗に上がったボールは、滑らかな弧を描きながら美月の元へ落ちていく。


「い、行きます……っ」


 ごくりと生唾を飲み込む美月は、険しい顔で落下するボールを睨む。


「ほりゃ!」

「「ほりゃ?」」


 伸ばした指がしっかりボールを掴もうとした、その瞬間だった。

 スポーン、という効果音がよく似合う程に、ボールが美月の指の隙間を縫って落ちた。


「「…………」」


 確かに取れていたよな、と全員思わず目を瞬かせる。


「あ、あはは。ちょっと失敗しちゃいました」

「そうか。まぁ、失敗は誰にでもあるよな」


 初めだから緊張しているのだろう。苦笑する美月に晴も戸惑いながらフォローに入った。

 なんだか物凄く不穏な予感がするも、気を取り直して二ターン目。


「ほい」

「はいっす」

「は、はい!」

「うい」

「ていや!」


 全員綺麗にボールを返して、また美月の元にボールが返ってくる。

 さすがは詩織だ。先程と同じく綺麗に弧を描くビーチボール。これなら誰もが取れるであろうボールを――


「てい!」


 美月はまた綺麗に水面に落下させた。

ポチャン、となんともこの場の空気に絶妙にマッチした効果音が聞こえた。


「「…………」」


 慎たちだけでなく、今度は美月までもいたたまれない空気を醸し出す。

 全員、なんとなく言いたいことが分かって、そして沈黙している。

 そんな中で、晴だけは平然としていて、


「お前運動音痴だったのか」

「「この男嫁に容赦ねえ(っす)⁉」」


 淡泊に指摘した晴に、慎たちが大仰に目を剥く。

 そして、衝撃の事実を暴露された美月本人はというと、羞恥心で体をぷるぷる震わせていた。

 やがて席を切らしたように美月が吠えた。


「そ、そうですよ! 運動音痴ですよ! 何か悪いですか!」

「開き直んな。べつに何も悪くない」

「ならそんな目で見ないでくださいよ⁉」


 顔を真っ赤にして泣き叫ぶ美月に、晴は澄ました顔で言い返した。

 たしかに家事万能で勉強もできるから、おのずと運動神経も良いのだろうと勝手に解釈していたが、やはり神様はフィクションのように完璧なメインヒロインは作らないようだ。

 美月も完璧超人ではなく普通の女の子なんだと分かれば、むしろ安堵の方が強くて。


「うぅ。今までずっとバレないように隠してたのに」

「安心しろ」


 しょんぼりとする美月の頭に手を置いて、晴は紫紺の瞳を見つめると、


「お前がへたっぴなのは理解した。なら、それを俺がカバーすればいいだけの話だ」

「――っ」


 晴としては当たり前の事を言っただけなのだが、全方向からの歓声が凄い。

 特にヲタク女子二人。


「なんすか今の⁉ 胸がきゅんきゅんしたっす! 言われてみてぇ!」

「流石は人気ラブコメ作家! 現実でそんな台詞言えるのハル先生だけです!」


 尊てぇ! と二人が悶え狂っていた。

 何しているんだと呆れつつも視線を美月に戻せば、俯いていた顔がようやく上がって、


「それじゃあ、宜しくお願いします」


 と頬を朱に染めながら晴を頼ってくれた。


「おう。期待は半分くらい掛けておけ」

「そこは全部と言うべきでは?」

「流石にブランクあるから自信ない」

「ふふ。頼りないですけど、頼りにしてますね」


 どっちなんだと思いながらも、そんな風に信頼の眼差しを向けられては晴も頑張らざるを得なくなってしまった。


「(ま、たまには旦那としていい所見せないとな。……たぶん午前中で体力全部使うけど)」


 お互いの欠点を補うのが夫婦。いつもは晴の方が美月に補ってもらってばかりだから、こういう時くらいは補うべきだと思う。

 午後はくらげごっこが確定したが、晴は珍しく、小説以外でやる気を出したのだった。


 △▼△▼△▼



「まぁ、先に二点先取された時点で結果は見えてたな」

「お、なんだ晴。負け惜しみか?」

「な訳ねえだろ」


 ラーメンを啜りながら、口を尖らせる晴に慎はケラケラと笑っていた。

 結局バレー対決は慎たちが勝って、敗者の代表としてお昼を奢る事になってしまった。


「すいません晴さん。私のせいで」

「気にすんな。たしかに人の金で食うメシほど美味い物はないが、それなりに充実したレクリエーションだった。そのお代として払うには丁度良い」

「なんで負けたのに上から目線なんだよ」

「褒めて遣わすぞ」


 晴と慎のくだらない即興劇に、詩織たちがくすくすと笑った。

 気負う美月を気遣った、という訳ではないが、せっかくの良い天気と楽しい時間だ。辛気臭い空気は早々に退散してもらいたい。


「ほれ、お前もさっさとメシ食って遊ぶぞ」


 はい、とわずかに元気を取り戻した美月がサンドイッチを頬張った。


「晴の口から遊ぶなんて珍しいなぁ」

「何言ってんだ。俺はお昼食べたら昼寝する」

「せっかく皆で遊びに来たのに、なんで家族サービスに徹したお父さんみたいなことしてんだ」

「メシ食った後の昼寝は最高だぞ」

「それは納得できるけど、プールに来たんだから遊ばなきゃ損だろ」


 正論は左から右へ流す。


「水の中に入るはいいけど、あんまガッツリ遊びたくねぇな」

「貴方プールに何しに来たんですか」

「小説に使えるものを探しにきた」


 当然のように言えば、美月と慎が大仰にため息を吐く。

 しかし、そんな晴の言葉を肯定したのは神――ではなくミケだ。


「二人が呆れるのも理解はできるっすけど、でもハル先生の意見は至極真っ当だと思うっすよ。うちらいつも頭で妄想してばっかだし、こうして現場に足を運んで資料を手に入れるのは貴重なんすよ」

「でも、アニメーターさんは作画資料を撮りによく現地に行ったりしますよね?」

「そうっすね。でも、イラストレーターとか小説家が描写の為だけに現地に行くのは滅多にないっす。最近はストリートビューの技術も進歩してるし、現地に行かなくともある程度は風景見れるっすからね」


 でもやっぱ生で見る方がいいっす、とミケは言った。

 ミケの言葉に深々と頷きつつ、晴は「よし」と息を吐くと、


「美月。ご飯食べて休憩したらウォータースライダやりに行くぞ」

「え、急にどうしたんですか」

「やっぱ生が一番だ」


 べつに他意はないが美月がほんのりと頬を朱に染めてしまった。

 コホンッ、と美月は咳払いしてから微笑すると、


「それだけで足りますか?」

「どうせなら色々体験したい」

「はいはい。貴方の小説作りに付き合いますよ。でも、ちゃんと私にも構ってくださいね?」

「ん」


 淡泊に返せば、美月は呆れながらも承諾してくれた。


「私もせっかくだし色んな構図の写真欲しっすねぇ」

「それじゃあ僕お供しますよミケ先生!」

「マジっすか! 心強いっす金城くん!」

「ミケ先生のお役に立てるなら何処へでも付いて行きます!」


 とあちらでも午後の行動を共にするペアが出来ていた。

 それに一人、不満そうに口を尖らせるのは慎だった。


「えー、せっかく皆で来たのになんか別行動になり始めてない?」

「あはは。まあいいんじゃない。慎くんも必要な事に変わりはないんでしょ?」

「少しだけね。でも俺、晴と違って現実ものじゃないからなぁ」


 眉間に皺を寄せて小難しい顔をする慎に、詩織は「なら」と肩を叩くと、


「それじゃあ私との〝プールデート〟を作品に使えばいいじゃん。何か閃くかもよ?」

「よし皆! 午後はそれぞれのペアで好きに行動しよう!」

「下心が丸見えだぞピンク野郎」

「さて何のことか僕はさっぱり分からないな~」


 ジト目を向ければ、下心丸出し野郎は露骨に視線を逸らした。

 そんな訳で昼食後の予定も決まり、それから晴たちは賑やかな食事の時間を過ごすのだが、


「そういえば晴、今年は夏休み取るの?」


 休暇の話題を振られて、晴は怪訝な顔をした。

 まだ麺を咀嚼中の晴。それに代わって美月はおずおずと手を上げると、


「ええと、慎さん。夏休みって、ひょっとして夏休暇のことですか」

「そうそう。詩織ちゃん達みたいな一般企業に勤める社会人だって盆休みくらいあるように、俺たち小説家にも盆休みくらいはあるよ。まぁ、全部スケジュール決めて休み取ってるんだけどね」

「小説家にも夏休みあるんですね」


 それを聞いた瞬間、美月の鋭い視線が晴を睨んできた。

 ふいっと視線を逸らせば、慎が「お前ぇ」と肩を落としていた。


「今年は美月ちゃんがいるんだから、連休くらいは入れろよ」

「最近は休んでる」

「一日休みじゃなくて連休を入れろって言ってるの」


 としっかり叱られれば、詩織に笑われた。


「あはは。慎くん、なんだかハル先生のお母さんみたい」

「こんな執筆バカ息子嫌だわ」

「俺だってこんなガミガミ口煩い母親願い下げだね」


 互いに睨み合えば、美月が「はぁ」と嘆息していた。


「私、てっきり小説家の人たちは盆休みとかないとか思ってました」

「普通にあるよ。休み利用して旅行に行く人だって多いんだから」

「ちなみに私もコミケが終わったら流石に二日くらいダラけるつもりっす」


 まさかのミケも連休を取る予定だった。

 それを聞いて、美月の視線がより一層鋭さを増した。


「晴さん、家に帰ったら話があります」


 これは家に帰ったらお説教される流れだと察すれば、晴は口を尖らせて、


「俺は絶対連休は取るつもりないからな」


 と先んじて妻に抵抗しておくのだった。


 ――――――――――

【あとがき】

みんなー? 今年の夏休みはどう過ごすのかなぁ~? カノジョとか嫁と一緒に過ごすとか感想で書いたらたきっと作者は悶え苦しむことになるけど、逆に自分と同じくボッチですとコメントしてくれたら作者更新ペース増やすかもっ。応援など読者様の反応お待ちしております。はぁ、今年の夏も独り身か……。

 


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