第103話 『 迷子センターはあっちですよ 』


「皆、準備運動はしっかりね。特に晴」

「なんで俺だけ名指しなんだよ」

「だって足吊りそうじゃん」

「しねぇよ。全力で泳がないし、浅瀬でぷかぷか浮いてる」

「いや遊べよ!」

「俺はクラゲになる」


 体力使いたくない、と言えば慎が落胆した。

 ただ準備運動に関しては慎の意見が正しいので、明日以降の為にも念入りに関節を伸ばす。

 そんな準備運動の最中。


「……やっぱ目立つよなー」

「んあ――あぁ、だろうな」


 慎の言葉に怪訝に顔をしかめる晴。どういう意味なのかと周囲を見れば、その視線がチラチラと晴たちを覗いていた。晴たち、とういより美月たちか。


「詩織ちゃんは言わずもがなだけど、美月ちゃんもミケさんも可愛いしね」

「だな。全員、顔面偏差値高いよな」

「美人揃いでよかったな晴」

「そうだな」


 淡泊に返して、晴は慎と金城には気付かれないように双眸を細めて覗いた。


「(男のレベルも高いと思うけどな)」


 慎は見た目からして陽キャだし、金城も顔立ちは整っているほうだ。今みたく眼鏡を外してコンタクトで過ごせば、女子からの好感は上がるくらいには端整な顔立ちだ。

 この中で一番パッとしないのは自分だな、と悟りつつも心底どうでもいいので、晴はとりあえず美月を厭らしい目で見ている男どもだけは睨んで牽制しておいた。

 準備運動も十分に済ませて、いよいよ一同は水の中へ入ろうとする。


「いよ~し、そろそろ飛び込もうか!」

「飛び込み禁止だよ詩織ちゃん」

「分かってますって~」


 朝からずっとハイテンションな詩織は、波打つ水を目にして更に高揚していた。

 慎には忠告は正しいが、ここは浅瀬なのでいきなり溺れるような心配はないだろう。


「うおお! 数年ぶりのプールっす!」

「ミケ先生! 足元に気を付けてくださいね⁉」


詩織だけでなくミケも興奮して、キラキラと光を反射させる水面に我慢し切れずに突撃していた。その後ろを慌てて金城が付いて行き、二人は詩織と慎よりも早く水中へ足を踏み入れた。


「あ、ミケさんズルい! 私が一番が良かったのに!」

「じゃ、俺たちも行こうか」

「よっしゃ行こう!」


 詩織が慎の手を引いて、ミケと金城の元まで水を蹴りながら進んでいく。


「……全員元気だなー」


 ぽつんと、一人置いてけぼりをくらったような感覚に耽りながら苦笑すれば、その隣でくすくすと笑う声が聞こえた。


「本当にその通りですね」

「お前も行ってこい」

「何さらりと引き返そうとしてるんですか」

「俺は水を見てるだけでわりと満足してるから」


 冷たいにはちょっと抵抗があった。

 なので気付かれない内に日陰に避難しようとしたが、そんな晴を妻は許すはずもなく、


「ほら、皆のところに行きますよ」

 ガシッと腕を掴んできた。


 それから晴は美月の言葉に促されるように顔を慎たちへ向ければ、


「おーい、そこの夫婦。早く来なよー!」

「美月ちゃーん。ハル先生逃がしたらダメだからね。ちゃんと連行してねー」

「ハルせんせーい! 水気持ちいっすよ! 絶対楽しむべきっす! 日向ぼっこなんて勿体ないっすよー!」

「八雲さーん! ハル先生! 皆待ってますー!」


 皆が晴と美月に手を振っていて。

 その光景を見届けている美月は、愛し気に細めた双眸を晴に魅せた。


「ほら、皆待ってます。行きましょう――貴方」

「はいはい。行くから手を離してくれ」

「ダメです。皆のところに行くまで逃がしませんからね」


 イジワルに言って、悪戯に微笑む美月。

 それが罰としてでも、連行する為でもなく、ただ少し晴と手を握っていたいのだと分かった。

 どうしてそれが分ったのかは不思議だが、もしかしたら握られる手の温もりからそれを感じ得たのかもしれない。

 ゆっくりと、妻に手を引かれながら晴は歩いていく。

 波打つ水に、足先が触れた。

 冷たい。そんな感覚が足先から全身に伝わって、体がぶるりと震えた。


「おお。冷たい」

「なに当たり前の感想言ってるんですか」

「あ、でも少し慣れたかも」

「ふふ。良かったですね」


 初めは水に抵抗があった体も、少しずつ慣れていく。

 こんな感覚も悪くない、そんな感慨深さに浸りながら――


「なんかあれだな。構図だけ見ればカップルに見えるのに、俺視点だとどうしてもお姉さんに引っ張られる迷子の子どもに見えるな」

「迷子センターはあっちですよ」

「バカにすんな。携帯あんだろ。てか迷子になる前提で話進めんな」

「貴方は小説以外だと抜けてるところがありますからねぇ」

「小説とお前のこと以外はどうでもいいからな」

「今それはズルい⁉」


 顔を真っ赤にする美月に連れ出されながら、晴は自分たちを待つ友達の元へ向かったのだった――。


「めいっぱい楽しみましょうね。貴方」

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