第102話 『 どうですか、私の水着は? 』
長い移動も終えて、晴たち一向はついにプールに到着した。
「「着いた~~~~っ‼」」
両手を掲げながら歓喜する慎と詩織のカップル。
はしゃいでんな、と呆れながら晴は頬に垂れる汗を拭うと。
「……帰りたい」
「まったくもう。本当に貴方という人は」
「にゃはは。ハル先生暑いの嫌いっすもんね」
「暑いのも寒いのも嫌いですよ。俺変温動物なんで」
「何言ってるんですか。人間皆、恒温動物ですよ」
「俺は例外だから」
「はいはい」
晴の話など心底どうでもいいように美月が軽くあしらう。
ミケも暑いのは大キライなはずだが、やはり、今日はやたらとテンションが高い。
「俺としてはミケさんがこのクソ猛暑なのに楽しそうにしてるほうが不思議ですよ」
「気の合う同士見つけたからっすかね。あと、単純に皆とお出かけなんて普通にテンション上がるじゃないっすか。うちらの業界、インドアの人が多いし」
「アグレッシブに活動するのはヲタ活の時くらいですもんね」
「「それな」」
晴の言葉に、ミケ、詩織、金城が同感だと深く頷く。
以心伝心するヲタク達がハイタッチしている様を尻目に、晴は帽子越しから昇る太陽を睨んだ。
「アイス食いてぇ」
「この暑さじゃアイスすぐ溶けちゃいますよ。はい、それより水分補給」
「お前どんだけ俺に水分補給推奨してくんだよ。何も食べてないのに腹膨れてきたぞ」
「熱中症対策とバテないように」
晴のバッグに手を突っ込んだ美月は、そのままスポーツドリンクを渡してくる。
忠告通りに飲んでいれば、慎が「はーい」と手を叩いた。
「それじゃあ、事前に買っておいたチケット渡すから全員集まって」
「ホント首尾がいいなお前」
「事前にチケット買っておいた方が混まずに済むだろ」
「仰る通りで」
ぺらぺらとチケットを振りながら言う慎に晴はこくこくと頷く。やはり、何事もスムーズに進んだ方が効率がいい。
「あ、ちゃんと後で請求書渡すからね」
「奢れよ。印税入ったんだから」
「それを言うならお前もな。俺より売り上げが良いハル先生はきっちり妻の分も払うよな?」
「それはべつに構わん」
曖昧な表情を浮かべながらチケットを二枚奪えば、隣で美月がくすくすと笑っていた。
「相変わらず。懐は大きいんですね」
「懐は、って強調すんな。事実金だけはある」
「晴はラノベ作家じゃ稼いでるほうだからな。まぁ……」
慎が語尻を濁して視線だけを移動させると、晴もその視線を追う。そして、その視線の意味を即座に理解する。
「(この中でぶっちぎりで稼いでんのはミケさんだもんな)」
慎の目が何を言いたいのか、晴、そして詩織も察した。
慎がそこそこ稼ぎがあり、晴は十二分な稼ぎがあるとすれば、美月よりも幼く見える女性は晴たちの倍以上は稼いでいる。財力ならおそらくミケがトップに君臨しているだろう。
「……この話は横に置いておいとくか」
「それがいいね」
んんっ、とミケに心情を悟られぬうちに話題を切り替えようと咳払いすれば、晴は慎の手から二枚チケットをかっさらう。
「美月の分の請求は俺でいい」
「あ、私も金城くんの分の請求書くださいっす」
「――っ‼」
しれっと手を上げたミケに、金城が慌てて抗議した。
「みみミケさんっ。じ、自分の分は自分で払いますよ!」
「気にしないでくださいな。こういうのは大人が払うべきだし、何よりキミと話す時間は想像以上に楽しかったすから。なので、これはそのお礼として受け取ってもらえると嬉しいっす」
にゃはは、と笑いながら男前なことを言ったミケに、金城はおろか晴たちも胸を打たれた。
「何今の。すげえラブコメみたいな台詞だった。今すぐ書きたいんだけど」
「落ち着いて下さい晴さん。たしかに今の台詞は女の私でもときめいてしまいましたけど、でも書くのだけは違います。この執筆ばか」
「俺もいつかあんなこと素面で言ってみたいな」
「慎くんはいつもカッコつける為に言ってるもんね」
しれっと旦那を貶す妻と、けらけらとカレシに辛辣なことを言うカノジョ。
男二人が顔をしかめている傍らで、ミケから感謝を言い渡された金城くんはというと、
「――マジ神やぁ」
天にも昇るような顔をしながら、尊敬してやまない神絵師に向かってそう呟いた。
そんな金城を晴たちは微笑ましそうに見届けながら、慎は手を叩くと、
「さ、この炎天下の下にいると本当に晴がぶっ倒れかねないから、そろそろゲート潜ろうか!」
「「はーい!」」
全員が元気な返事して歩き出していく一方、晴はだけは不機嫌な顔をしていて。
「おい、なんで俺を出汁に使った? 異議ありだ」
「何言ってんの。この中で一番そうなる可能性が高いのお前だろ」
「そうなる可能性が高いだけでわざわざ言う必要ないだろ。これはいじめに値するぞ」
「はいはい。お前の文句は後で適当に聞いてあげるから、さっさと行くぞー」
「後でじゃなくて今聞けよ。あと真剣に訊け。おい、聞いてるのか」
「聞いてませーん」
愚痴をこぼす晴を、慎は面倒くさそうにあしらい続けるのだった。
▼△▼△▼▼
場所も既に確保していた慎にはつくづく感服しつつ、晴たち男子組は現在、更衣室にて着替えの最中だった。
まぁ、男子の着替えなんて服を脱いで水着を着るだけなので、時間など掛からないが。
早々に準備を終えて女子組を待っていると、慎が眉尻を下げた。
「あれ、晴痩せた?」
「むしろ太った」
「幸せ太りってやつだ」
「まあ、美月のメシは美味いからな」
「お前はラブコメ作家なのになんで作者はその波動を出さないんだ」
慎の言葉を照れもせずに肯定すればなぜか嘆息された。
心外だと鼻を鳴らせば、慎の視線は晴のお腹に注がれた。
「なんか……前よりも引き締まってみえるのは気のせい?」
「筋トレした」
「晴が?」
珍しい、と目を丸くする慎。
「ようやく運動の良さに気付いたのか」
「ハッ。運動なんて大嫌いだ」
「お前、元運動部だろ」
「何年前の話だ」
中学の頃はバレー部だったが、それも八年くらい前だ。
現在はすっかりもやし男に成り果ててしまったが、先月からダイエットと件の筋トレを頑張った効果が表れたのか栄養価の高そうなもやしくらいには成長した。依然としてもやしであることには変わらないが。
「金城くんは……うん。想像通りって感じだ」
「あはは。僕、運動は苦手で」
視線を移した慎は、金城の体躯を見ると複雑な表情を浮かべた。
苦笑する金城に、晴は「なら」と訊ねた。
「プール来て大丈夫だったの?」
「あ、はい。泳ぐのはできます」
「二十五メートル泳げる?」
「一応。でもすごく遅いです」
「晴と競争してみれば」
「やめろ負けるだろ」
「なんでお前が負け確なんだよ……」
身長以外は殆ど変わらない体格だが、体力はおそらく晴の方が劣っている。たぶん圧倒的に。
「相手は現役高校生だぞ。体育でそれなりに体力はついてるだろ」
「僕、体育嫌いです」
「奇遇だね。俺も嫌いだった」
同士ッ、と腕を組んでいると慎が肩を落とした。
「お前はちっともブレないな」
「中学の頃は好きだったぞ。小説書き始めてから大嫌いになった。運動すると疲れて執筆する気が失せるからな。成績もたしか【2】だった気がする」
「お前の根幹一切揺らがないな⁉」
そうやって外で騒いでいると「おーい」と、こちらに向かって手を振る女性陣を視界の端で捉えた。
その声に瞬時したのは、やはりカレシである慎だった。
「詩織ちゃーん」
「お待たせ慎くーん」
きゃっきゃと声を弾ませながら駆け足でやって来た詩織。その後に続くように、二人も晴たちの元へやってくる。
「お待たせっす」
「お、お待たせしました」
やや緊張した面持ちと声音で美月が晴のすぐ傍まで来た。
わずかに身構える美月。そんな彼女の肩に腕を回したのは詩織で、
「さぁさぁ、男性諸君! 私たちの水着姿はどうかなぁ~?」
によによ、と心底楽しげに口角を上げる詩織が、挑発的に聞いてきた。
「(ふむ)」
晴は感想を言う前に、一度美月たちの水着を眺める。
初めに詩織だが、彼女は年齢的にも絶妙にマッチした〝タイダイ柄のバンドゥ水着〟をチョイスしたそうだ。注目のポイントは胸元のリボンで、大人びた印象よりも可愛さを優先したように思える。あるいは慎の好みで決めたか。
「(詩織さんはまぁ、イメージ通りって感じ)」
そして次にミケだが、彼女はイエローのワンピース水着をチョイスしたよう。
ワンピースといっても分割式の水着で、露出面積は少ないが侮るなかれ。チラチラと覗く真っ白なお腹が破壊力抜群だった。
「(この間少し調べたが、ワンピースタイプの水着って人気なんだよな。気にしてる部分隠せるし、異性の視線も気にならないそうだから着る人多いらしい)」
さっと辺りを見渡せば、ミケと同じようにワンピース水着を着ている女性も少なからずいた。
ミケは確実に日焼け対策と体型カバーなのだろうが、普段拝めないミケの水着姿は妙な感慨深さがあった。なんとなく、夏限定で排出される水着キャラを引きたい理由が分かった気がした。
詩織とミケの水着姿にどう感想を伝えるか逡巡していると、先に感想を伝えたのは慎だった。
「凄く似合ってる!」
「でっしょー!」
なんとも小説家らしからず語彙の乏しい感想だが、けれど詩織は満足そうに白い歯を魅せていた。直球、というのも案外悪くないのかもしれない。
「ミケ先生の水着姿ッ! 眼福過ぎてもう思い残すことはありませんっ」
「大袈裟っすね金城くん」
尊敬してやまないイラストレーターの水着姿を拝んだ金城は、鼻血を流しながら親指を立てて昇天した。
もうこんな光景にも慣れってしまったな、と自分自身に苦笑をこぼせば、晴に熱い視線を送ってくる一人の少女に気付いた。
「どうですか、私の水着は?」
頬を蒸気させて、上目遣いで聞いてくるのは美月。
そんな美月を、詩織やミケはニヤニヤと邪な笑み笑みを浮かべながら感想を促してくる。
「どうですかハル先生~。貴方の愛しの奥さんの水着姿は」
「どうなの旦那さ~ん」
「どうなんすか旦那さーん」
取りあえず横やりを入れてきた慎だけは沈めつつ、晴は水着姿の妻を凝視した。
「……ふむ」
美月の水着は、ネイビーカラーのフリル水着だった。
女子高校生らしく、しかし大人びて見えるのは、美月が晴の妻だからそう認識するのか。それとも、彼女の立派な胸がそう錯覚させるのか。
何はともかく、晴はたじろぐ美月にぐいっと顔を近づけると、
「イマドキのJKはこういうのが好みなのか。なかなか大胆だな。でもこのフリルめっちゃ可愛いしデザインもいいな。今度のメインヒロインのプール回は是非これでいこう」
と妻の期待を裏切って小説の事ばかり考えていた。
そんな晴に一同は大仰に呆れて、
「はぁ。お前ってやつは本当にブレないな」
「あははっ。ハル先生って年中小説のこと考えてるんですね! オモシロ!」
「やー、こればかりは美月ちゃんも浮かばれないっすねぇ」
落胆する慎たちに、晴はどうしてそんな顔を向けられるのか理解できずに小首を傾げる。
「本当に貴方という人は……」
当然美月も呆れていたが、その顔はどこか嬉しそうに唇を綻ばせていて。
「どうしようもない執筆ばかなんですから」
ある意味では期待通りでしたよ、と苦笑を浮かべたのだった。
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