第23話 『 そのつもりで求婚を受け入れましたし 』


 二人きりになった美月と慎。


「さてと、面倒な家主は消えたな」

「慎さん?」


 静まり返った部屋で慎が声音を落として、美月は怪訝に声を潜める。

 ゆっくりと振り返る慎に、美月は咄嗟に身構えると――


「あ、大丈夫だよ。襲うつもりなんて微塵もないから」


 両手を上げて無害をアピールする慎に、美月は安堵の息をついた。

 肩が上下する様子を見守りながら、慎はテーブルに肘を突くと、


「ちょっと美月ちゃんとは真面目な話をしたくてね。それで晴には席を外してもらったんだ」

「真面目な話、ですか?」


 朗らかで穏やかな顔になる慎に、美月も自然と居住まいを正した。

 ふふ、と慎は口角に弧を描くと、


「美月ちゃんは晴のどこが気に入ったの?」

「え、どこが、ですか?」

「そう。だって、出会ってすぐの男の求婚に応じるなんて、それ相応の理由がある訳でしょ?」


 言及されて否定できない。が、慎が求めるような答えは美月には出せなかった。


「晴さんの求婚に私が応じたのは、たまたまお互いの利害が一致したからです。まぁ、出会った当初は好印象でしたし、悪いようには扱われないだろうと思って承諾した、感じですかね」


 実際、同棲してから晴の美月への対応は素っ気ないが邪険にあしらわれていない。先程のやり取りで知った、気に入られているからなのかもしれないが。


 美月の言葉に、慎はふーん、と妙な吐息をこぼす。


「それなら、純粋に晴の要望に応えた、って感じか」

「そうなりますかね。晴さんが私に求めたのはこの家の家事なので、それ以外は特に何のお願いもされてません」

「晴は小説が全部だからなぁ」

「ふふ。そうなんですよね」


 見てるこっちが呆れるくらい、同時に感心するくらい、晴は執筆一筋だ。

 脳裏に過る晴に思わず微笑が零れれば、慎の双眸が細くなった。


「さっき晴には確認したけど、美月ちゃんの方はどう? 晴の事、気に入ってる?」


 静かな問いかけ。その真っ直ぐな瞳は、友の事を案じているのだとすぐに気づかされた。


 だからこれは、適当に流してはいけない返事だとも直感して、


「はい。晴さんの事は好き……とまではまだいきませんが、気に入ってますよ」

「執筆バカなのに?」


 くすり、と美月は笑みを溢しながら、


「執筆バカで自分の体調より原稿を優先する人ですけど、ちゃんと私のことは考えてくれているみたいです。部屋も用意してくれましたし、デリカシーはありませんけどよく気遣ってくれます」

「あの晴がねぇ」


 感慨深そうに吐息する慎。


「信じられませんか?」

「まぁね。あいつ、俺が部屋の掃除とか料理作っても何も言わないから。ありがとうも言わないんだよ? 信じられる?」

「晴さんですからわりと信じられます」

「もうだいぶ晴を知ってるみたいだね」


 晴の性格を熟知している訳ではないが、こういう人だ、というくらいには理解できた。


 少し粗暴で、言葉遣いは小説とは真反対で、頭の中は小説の事しか考えていない。


 そんな晴だけど、


「晴さんの真っ直ぐな姿勢は、私見ているの好きなんです。だから、でしょうか。この人を支えるのが楽しいと思えるんですよね」


 自分が役に立てていると、自分が彼の小説の手助けになれているのだと、勝手だがそう思えて嬉しくなる。


 小説家ハルを支えているのは、世界で自分一人だと思うと、ちょっと優越感にも浸れた。


 だから晴の傍にいるのは、美月の自己満足でもあるのだろう。


「美月ちゃんは良い子だね」

「いえ。要望されたことに答えてるだけですから」

「でも、それで晴が生活を続けてられるんだから、キミは俺にとっても女神だよ」


 慎にとっても、とはどういう事だろうか。

 眉根を寄せていると、まるで美月の胸裏を読み取ったかのように慎は言った。


「知ってると思うけど、美月ちゃんが来る前まで、晴の生活の面倒を見てたの俺なんだよね。汚部屋になっていくのが見ていられなくて」

「そんなに酷かったんですか?」

「やばいよ。服は脱ぎっぱなし、洗濯はたまにしかしない。床は埃だらけでシンクにはカップ麺の容器と弁当の空で散乱してた」

「うわぁぁぁ」


 聞いているだけでゾッとするのだから、その汚部屋を見ていた慎はさぞ戦慄しただろう。


「ご苦労様です」


 晴に代わって美月が頭を下げれば、慎は「ありがとうね」とくつくつと笑った。


「これは見ていられないなと思って、それから晴を定期的に世話しに来るようになったんだよ。でも、このままじゃ晴は変わらない、って思って、ちょっと強引に人と関わらせるようにしたんだよ」

「もしかして、それが晴さんが出会い系アプリを使った理由ですか」

「そう。俺が晴に無理矢理勧めたの」


 微笑を浮かべる晴。


「晴は、悪い奴じゃないんだ。顔もそれなりに整ってるし、性格もかなり淡泊だけどちゃんと気遣いは出来る。本気になれば恋人なんかすぐできるのに、でも晴は小説しか興味がないから誰とも恋愛なんてしてこなかった。それ以前に、誰かを好きになろうともしなかった」

「仕事を優先したい、とかではないんですか?」

「それもあると思う。晴は小説って仕事が好き、というよりもう病気なんだろうね。書かないと死ぬ生き物なんだよ、晴は」

「――――」

「書いてないと落ち着かない。考えられずにはいられないんだろうね。俺がどれだけ休め、って言っても、晴は休まない。気晴らしに外に出させてるけど、帰ったらすぐに執筆してるんだろうな。晴は休む事を寝ることだと思ってる。だから休んでるって答えるけど、あいつは息抜きしかしてない。本当は無茶してる事に自分で気付いてないんだよ」


 慎の言葉が、美月の胸に重く響く。


 慎の言葉は、全部晴に当てはまっている。


 晴は休まない。休んでいるように見えて、休んでいない。寝て、食べて、息抜きする事を休みだと勘違いしているのだ。


 気を休めたり、リラックスするのが『休む』という事なのに、晴はしてない。気づかないから、当然なのだろう。


 だからさ、と慎は美月の紫紺を見つめてきた。


「もし晴に恋人でもできれば、ちゃんと休んでくれるかも、と思ったんだよね。デートとかして、書く気がなくなればって。それが、俺が晴に無理矢理恋人を作らせようとした理由なんだ」

「そうだったんですね」


 慎が胸中を吐露してくれて、美月は淡い笑みを浮かべる。


 思いやりのある友人だ。


 晴の事を本気で心配しているから声音を真剣になるし、こうして婚約者である美月に秘密を打ち明けてくれたのだろう。


 友達想いの慎に、晴の婚約者である美月が誓えるのは一つしかない。


「任せてください、慎さん。晴さんの事は、私が責任を持って支えます」

「――――」


 目を大きく見開く慎に、美月は毅然とした面持ちで告げた。


「私も、晴さんが居なくなるのは困ります。倒れたら、たぶん晴さんの方が執筆できなくて困ると思うので、私がきちんと、晴さんを管理します」


 晴を慮る友人に心配かけさせまいと意気込めば、慎は呆けたように目を見開いたあと、やがて何かを堪え切れなかったように吹いた。


「あははっ。美月ちゃんて、本当に立派なお嫁さんだねぇ」

「まだ妻ではありません」

「まだ、ってことはちゃんと予定はあるんだ?」

「そのつもりで晴さんの求婚を受け入れましたし」

「……なるほど、見かけによらず大胆な子だ」


 驚愕する慎に、美月ははて、と小首を傾げたのだった。

 そんな美月に、慎は微笑みを浮かべると、


「キミが、晴の婚約者で良かったよ」

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