第24話 『 尽くしますよ。だって婚約者ですから 』


「今日はまたなんだ」


 慎が乱入した夜。夕食後に執筆する前に少し休憩していると、早々に食器を洗い終えた美月がいつかの日のように晴を凝視してきた。


「晴さんを監視です」

「なんで」

「…………」


 答えない美月に、晴はやれやれとため息を吐く。


「慎に何か言われたのか?」

「――――」


 分かりやすく視線を逸らしてくれたので、晴はやはりかと呆れる。


「どうせ、俺が仕事し過ぎだとか面倒見てくれとか言われたんだろ」

「友達の想いを筒抜けにするのは良くありませんよ」

「お前らが単純なんだよ」


 ジト目を向けて抗議してくる美月に、晴は肩を落とす。


「あいつが俺をわざわざ家から追い出したんだ。絶対お前に何か仕込むと思った」

「貴方は洞察力というか推察力が鋭過ぎませんか?」

「少し頭を捻ればすぐに辿り着く推測だろ」

「頭の回転が速いんでしょうね」

「ま、小説家だから他の連中よりは思考してると思うぞ」


 小説家は考える事が多い。設定を練ったり、伏線を入れたり、調べたものを作品に落とし込む為の枠組みをしたり――小説家の頭は年中フル稼働だ。


「そんな貴方にはやっぱり休みが必要だと思います」


 美月が少しだけ怒っているような口調で言った。なんで機嫌が悪いのかは分からなくて、晴は首を捻る。


「ちゃんと休んでるだろ」

「休息は取ってますが、休日は取ってませんよね」

「…………」


 的を射た美月の指摘に、晴はたじろぐ。

 たしかに、ここ数年一日をしっかり休んだ覚えがない。


「無理はさせないと、私言ったでしょう?」

「言ったか?」

「言いました。貴方が倒れた時に」

「あれは足がもつれただけだろ」

「同じですよ。私に支えられたんですから」


 晴の苦しい言い訳を悉く美月は正論で返す。


「貴方は時々、自分で気付かない無茶をします。なので、私は心配で放って置けません」

「自分の体調くらい、自分で管理できてる」

「それが出来てないから慎さんが心配してるんですよ」

「……うぐ」


 友達の名前を挙げられれば流石の晴も口を噤まずにはいられない。


 慎にはいつも淡泊な態度を取っているが、気に掛けてもらってる恩は感じている。それを口にするのも態度に現すのも苦手なだけだ。


「慎さんに心配されて、私にも心配されて、そこまでして晴さんは小説が書きたいんですか?」

「――――」


 揺れる紫紺の瞳に、晴は戸惑った。

 即座に肯定すればいいのに、それが出来ない自分に驚愕したのだ。


「(俺、なんの為に小説書いてるんだ?)」


 無茶をしているという自覚はない。だが、指摘されて思惟すればそんな疑問が湧く。


 小説家ハルとして小説を書くのは、作品を楽しみにしてくれる読者の為。期待してくれる関係者の為。自分の作品の子を幸せにする為。


 なら、八雲晴は何のために生きているのだろうか。


 美月に訴えられて、もう何年も忘れていた感覚を浮上させられる。


 小説家ハルは八雲晴であり、八雲晴は小説家ハルだ。


 けれど、自分でも知らぬ間に――八雲晴は死んでいた。小説家ハルに殺されていたのだ。


「……お前は、俺に何をして欲しいんだ?」

「まずは晴さんが考えてみては?」


 ぽつりと、問いかければ美月は答えずに晴の回答を望んだ。

 数秒、数十秒。考えても分からない。


「俺は、やりたい事が小説以外にない。……たぶん、全部忘れたんだと思う」


 それを悲しいとは思わないし、不満も感じていない。でも少しだけ、胸にぽっかり穴が開いたみたいに虚しさを覚えることがある。


 自分のやりたい事を必要な事。それを晴は忘れてしまって、分からなくなってしまった。だから、


「お前が教えてくれ。俺は、何をしたらいいんだ?」


 懇願するように、縋るように問いかければ、美月は淡い笑みを浮かべる。


 それから、美月の指が晴の手に触れた。


 少しだけ、触れられた事への抵抗はあった。でも体は美月を拒むことはなくて。


 その優しい温もりと慈愛の籠る瞳に、晴の胸の虚無感が溶かされていくように感じた。


「それじゃあ、今夜は私と映画をみませんか?」

「ん。分かった」


 美月の問いかけに、晴は静かに頷く。


「まったりして、リラックスしましょう。二人で」

「あぁ、今日は、お前のいう事を聞くよ」


 どうしてか、美月のいう事は素直に頷けた。なんでかは、分からない。


 でも、美月のいう事は正論だと思えるから、分からなくても良かった。


 たまに正論を暴論でねじ伏せる事があるが、今はしなくていいと感じた。


 だから美月に委ねれば、彼女は上機嫌に指示してきて。


「それじゃあ、今日はシャワーじゃなくてお風呂に入ってください。ちゃんと湯船につかること、約束ですよ?」

「あんまり長くは入れないと思う」

「それならお湯の温度を調整すればいいです。二十……十五分くらいは最低限使ってください。入浴剤も買ってあります。森林浴の香りなので気分が落ち着きますよ。リラックスできます」

「至れり尽くせり、って感じだな」

「えぇ。尽くしますよ。だって、私は貴方の婚約者ですから」


 夫婦は支え合っていくもの。でも美月は違った。


「私が貴方を支えます。小説家ハルを、八雲晴を」


 紫紺の瞳は強く、優しい熱を灯して、


「だから晴さんは、安心して小説を書いてください」


 そう、八雲晴に誓ってくれたのだった――。

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