第25話 『 それだけで、私は今日も頑張ろうと思えます 』
美月と同棲を始めて、晴の生活が少しずつ変わり始めていく。
「はよ」
「おはようございます」
挨拶を交わしたのは、平日。
一見普通のように思えるが、晴にとっては珍しい。
時刻は現在、七時半。以前までの晴ならば、この時間はまだぐっすり眠っている頃だ。
無理に起きている訳ではなく、しっかりとセットしたアラーム通りに起床している。
そもそもなぜこんな早起きが出来るのかといえば当然、就寝時間が早まったからである。
美月との生活を重ねていくうちに、晴は深夜に執筆をする事が減った。無くなった訳ではないが、格段に作業をしなくなった。
「顔洗ってきてください。ご飯、用意してますから」
「ん」
嫁、というより母親感が強い美月に晴は適当に返事して洗面所に向かう。
就寝時間は遅くても深夜一時には眠るようになったし、原稿も確認程度に済ませて翌日に体力を温存するようになった。……たまに少し執筆したりもするが。
シャワーもお風呂に代わって、時間は以前からさほど変わらないが湯船に浸かるようにもなった。
服も部屋着のまま一日を過ごす事が多かったが、今は軽装だが着替えるようになった。
「コーヒーでいいですよね」
「ん。頼むわ」
「もう準備してますから、すぐに持っていきますね」
後ろで束ねられた黒髪が躍るのを眺めながら、椅子に腰を下ろす。
すぐに湯気が立つコーヒーが食卓に揃えられて、美月もエプロン姿のまま晴の前に座った。
「……それじゃあ、頂きます」
「頂きます」
そういえば、食材に向かって手を合わせる回数も増えた。
テーブルに並べられた朝食を口に運べば、
「んま」
と声が零れる。
そんな晴の様子を、美月は嬉しそうに眺めていた。
「晴さんて、ホントに美味しそうに食べてくれますよね」
「実際美味いからな」
「褒めてくれるのは嬉しいですけど、わりとどの家庭でも出される簡単なものですよ?」
「俺にとっては珍しいんだよ」
美月と暮らす前までは、朝食は抜く事が頻繁だったし総菜パンが多かった。
だから、朝食にこんな豪勢な料理が並ぶのは晴にとって新鮮だった。
朝に目玉焼きを食べるのは何年振りだろうか。
「お前ってなんで忙しいのに朝メシまで作ってくれんの?」
学生の朝も社会人と変わらず多忙なはずだ。なのに、美月はわざわざ晴の分までご飯を用意してくれる。それが晴には疑問だった。
晴の問いかけに、美月はサラダを咀嚼してから「ふむ」と一考した。
たっぷり数秒かけてから美月は答えた。
「朝から誰かと食べたほうが元気が出るから、ですかね」
「なんだそれ?」
晴が疑問符を浮かべれば、美月は口角を上げて言った。
「朝って、絶対に憂鬱じゃないですか。これから学校に行かなきゃー、って」
「あぁ、なんとなく分かる」
学生だった頃の気持ちを思い出せば、美月の言葉に共感できた。
「でも、そんな憂鬱も、朝人と話すだけで少し気楽になるんですよね。よし、今日も一日頑張ろう、って思えるんです」
「――――」
「だから、私は貴方の分のご飯を作るんです。それに、どうせバタバタするなら、少しでも楽しい方がいいじゃないですか」
美月が教えてくれた理由に、晴は目を瞬かせたあと、ハッ、と鼻で笑った。
「俺がお前に朝の気楽を提供できてるとは思えないな」
「ふふ。ちゃんと貴方は私にくれてますよ」
と美月は言ってくれるがやはり納得いかない。
眉根を寄せる晴に美月はくすっ、と微笑みを浮かべて、
「一緒に食べて、少し話してくれる。それだけで、私は今日も頑張ろうと思えます」
「そうか。……そんくらいでいいなら、一緒に朝食取るくらいは続けるか」
「あら優しい」
「優しくはねぇだろ」
おどける美月に苦笑。
いつも家事を任せっぱなしだし、なんだかんだで美月にはお世話してもらってる。なら、朝の一時くらい、美月に自分の時間をあげてもいいと思った。
「皿も洗ってやるから、登校前くらいはゆっくりしていけ」
「どういう風の吹き回しですか?」
「なんで俺が皿を洗うと言い出しただけで不思議そうな目を向けるんだ」
「貴方が皿を洗い出すという時点で驚きですよ。めんどくさ、とか言いそうなのに」
「朝食作ったのがお前なんだから洗うのは俺だろ。労いくらい俺でも出来るわ」
「それが出来ない夫婦は結構いるそうですよ」
「じゃあ俺たちはやればいい」
「できますかねぇ。貴方は執筆病ですから」
「努力だけはできる」
「やる気も継続してくださいね」
「善処するよ」
美月と苦笑を交わした。
誰かと朝食を摂って、益体の無い会話を弾ませる。こんな穏やかな朝は本当に久しぶりな気がした。
胸に広がる安寧に、晴の食力も進んでいく。
そんな晴の様子を、慈母のごとく柔和な笑みを浮かべながら美月は眺めている。
「そうだ。食器洗うのはいいですけど、割らないでくださいね」
「バカにすんな。皿洗いくらいできるわ」
揶揄ってくる美月にそう言い返せば、「本当ですかねぇ」とくつくつ笑われた。
それから、また美月と静かに話を弾ませていく。
こんな穏やかな朝も悪くないなと、晴は胸中で呟くのだった。
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