第317話 『 ならもっと貴方を困らせてあげましょう 』
「そういえば、晴さんは毎年どんな風に年末年始を過ごしてたんですか?」
「興味あるのか?」
美月はこくりと頷く。
言わずとも概ね見当がついているとは思うものの、好奇心を宿す瞳に晴は一息ついて、
「毎年執筆してたら年越してた」
「想像通りと言うか……なんとも晴さんらしい年の越し方ですね」
苦笑と呆れ、両方を顔に浮かべる美月。
「年末年始くらいゆっくりすればいいのに」
「ゆっくりしようと思っても、体が勝手にパソコン開いて、気付けば書いてるんだよ」
「やっぱり執筆病」
「なんで書いちゃうんだろうなぁ」
晴にもそれは分からない。
休もうと思ってもつい執筆してしまうので、結局休むと言いながら休んでいないのだ。
体の慣れ、というのは恐ろしいもので、毎日執筆しても飽きが来なくなってしまうのだ。
「ま、今は休む時間をお前が作ってくれるから、その分遠慮なく書けてるわ」
「ふふ。私が貴方をしっかりと休ませますからね」
「その調子で頼む」
ぎゅっと抱きしめながら言えば、美月は可愛らしいドヤ顔で応えた。
晴の無茶のストッパーとして機能してくれる美月。こうしてまったりと過ごす妻との時間は、晴に安寧をくれる。
「やっぱりお前は抱き心地がいいな」
「あらあら。私ばかり甘えさせていると、エクレアが嫉妬しちゃいますよ?」
「後でエクレアも撫でておくよ」
我が家の飼い猫であるエクレアは、今夜も気持ちよさそうにコタツで眠っている。起きていたら確実に邪魔してくる光景なので、彼女のご主人様への愛情を逸らすコタツには感謝だ。
エクレアではなく妻を愛でていると、そんな妻はふふ、とたおやかに微笑んで、
「では、今はたっぷりと私を愛でてください」
「いつも愛でてるだろ」
「愛情に際限はありませんから」
「本当にお前はいつも可愛いこと言う」
「だって好きですから。貴方にこうして愛情を注がれるの」
何この可愛い生物。
美月ってこんなに可愛かったか、と悶絶していると、彼女は既に埋まっている距離を更に密着させてきて、
「不思議です。晴さんと一緒にいると、甘えたいという欲求が収まりません」
「好きなだけ甘えろ」
「そうやって受け止めてくれるから、私がブレーキ効かなくなるんですよ?」
「もう既に壊れてるだろそのブレーキ」
これだけ毎日傍にいて、お風呂も睡眠も一緒にとって、それでもまだ甘えたいという美月の欲望は底知れない。
応えても、応えても、美月は満足するばかりか要求が上がっていく気がする。
「貴方に触れる度に、触れられる度に、愛しいという気持ちが溢れて止まりません」
「奇遇だな。俺も同じだ」
美月の言葉に、晴は思わず苦笑。
「お前に触れる度に、愛しいという感情が湧いてくる」
「ふふ。すっかり私に夢中になってしまいましたね」
小説と美月。その優先順位は同列だし、どちらも晴には優劣など決められない程に大切だ。
美月は晴にとって〝小説〟がどれ程大切なものか知っている。だから、それと同等であることにもう嫉妬はしていない。
小説と同等、そのことに美月は喜びさえ覚えていて、
「小説は晴さんにとって全て。それと同等ということはつまり、私も晴さんの全てということでいいんですよね?」
「そうだな。お前は、俺にとってかけがえのない存在だ」
更に強く抱きしめて、その想いを伝えようとする。
伝われと、そんな願いを込めて。
そうすれば美月は満足げに微笑んで。
「愛されることがこんなに幸せとは思いませんでした」
「ならもっと幸せにしてやる」
「ふふ。それだと私は、貴方からの愛情で溺れてしまいますねぇ」
「一緒に溺れるんだろ?」
クリスマスの日。妻とそんな言葉を交わした。
お互い、愛し合って、底の知れない愛情に沈んでいく。どうせ浮上してもすぐに沈んでしまうなら、いっそのことずっと沈んでいればいい。
二人なら――否、夫婦なら、それはとても幸せなことだから。
晴の言葉に、美月は嬉しそうに唇に三日月を浮かび上がらせて、
「そうですね。夫婦で共に。だから――」
何かを訴えようと揺れる紫紺の瞳が見つめてくる。
夏休みほど長くないとはいえ、やはり長期の休みに入ると美月とそういうことをする回数は自然と増えるのだと改めて思い知る。
それに半年前に比べて、夫婦の仲も一層深くなった。
「一応、お前はまだ学生なんだよなぁ」
「でも、貴方の奥さんですよ」
「……積極的だな」
「せっかくの長期休みですから。これを利用しない手はありません」
「利用しなくても、それなりに睦まじい生活は送れていると思うんだが」
「むぅ。晴さんは私としたくないんですか?」
「めちゃめちゃしたいに決まってる」
堂々と答えれば、素直、と美月が苦笑い。
「こんな可愛くてスタイルもいい妻が毎晩のように誘ってくるんだ。なら男が我慢できる訳ないだろ」
「我慢しなくていいですよ」
抱かれる気満々な美月に、流石の晴も肩をすくめる。
やはり、積極的な美月は末恐ろしい。晴の自制心というものを、こうも容易く壊してくる。
「お前って、実は相当積極的だよな」
「安心してください。積極的になるのは、貴方だけですから」
特別ですよ、と小悪魔が微笑んで、そして唇を奪ってくる。
情熱的なキスとは違う、触れ合う程度の口づけ。
しかし、それでも晴の自制心を壊すには十分だった。
「よし決めた。抱く。後悔すんなよ?」
「しませんよ。私だって晴さんの体温が欲しいんですから」
上機嫌に声を弾ませる美月に、晴ははぁ、と大仰な息を吐く。
……本当にこの妻は。
「お前、可愛いが増してないか?」
「貴方にそう思われるように努力してますから」
「既に可愛いんだから、これ以上可愛くなると困るんだが」
「ふふ。ならもっと晴さんを困らせてあげましょう」
強気な美月に、晴はやれやれと肩を落とす。
挑発的な笑みを浮かべる美月。その頬に手を添えて、言う。
「遠慮しないからな?」
「思う存分。私を堪能してください」
もう、お手柔らかにお願いします、と蚊の鳴くような声で懇願していた美月はいない。
受け入れるどころか晴を飲み込もうとすらする美月の成長に舌を巻きながら、晴はその妻に向かって言った。
「ベッド行くぞ」
「我慢できないなら、ここでしてもいいんですよ?」
「エクレアが起きたらどうするんだ」
それもそうですね、と美月は笑う。
「夫婦の愛し合う時間は、誰にも、猫にだって邪魔されたくありませんから」
「~~っ。……ベッド着いたらもう止まらないからな」
「止まらなくていいですよ。もし途中でやめたら、その時は覚悟してくださいね」
「お、お手柔らかにお願いします」
ふふ、と小悪魔の笑みを浮かべる美月に、晴は頬を引きつらせる。
まさか自分がそれを言うとは思いもしなかった、と胸中で思いながら、晴は美月の手を引いてベッドに向かったのだった――。
―――――――
【あとがき】
半年前の美月はもういない。今いるのは、積極的に旦那を篭絡させようとする小悪魔な美月ちゃんなのだ。
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