第88話 『 今夜は監視が必要ですかね 』
その後はミケの即興絵描きやどこから持ってきたのか謎の詩織こと【しお☆りん】によるコスプレショーがあったりして、パーティーは大いに盛り上がっていた。
「……はぁ」
徒労感を覚えれば、さすがに一息吐きたくてソファーにドカッと腰を落とす。
疲労は感じるものの、不思議と不快感はない。
「ふふ。疲れちゃいましたか、晴さん」
休憩中の晴の目の前に、髪を束ねた少女――ではなく妻の美月が歩み寄ってきた。
たおやかに微笑む美月に、晴は己の肩を叩きながら肯定した。
「そらこんだけ騒いでたらな」
「貴方はあまり騒いでないでしょう」
「慎とゲームやってただろ」
「それだけでお疲れですか」
相変わらず体力ありませんね、と痛いところを突く美月に晴は口をへの字に曲げる。
それから、美月は空になったコップに視線を落とすと、
「飲み物、持ってきましょうか?」
「ん。頼むわ」
「何がいいですか」
「オレンジジュースかお茶」
「本当にお酒飲みませんね。私に気を遣ってるなら無用ですよ」
「んな訳あるか。単純に飲む気がないのと、酔ったら正常に執筆できなくなるからだ」
そう答えると、美月はもうっ、と頬を膨らませた。
「せっかくパーティーなのに、もしかして終わったら書く気なんですか?」
「可能性は捨てきれない」
「それなら今夜は監視が必要ですかね」
「監視て……何するつもりだ」
「さぁ。それは今夜のお楽しみですよ」
怪訝な顔をして窺えば、美月はくすくすと悪戯に笑って答えを隠した。
指を口に充てながら振り向いた美月に、晴は呆気取られながら肩を竦めれば、今度は慎が晴の隣へやって来た。
「夫婦でなにイチャイチャしてるのさ」
「イチャイチャ言うな。普通に話してただけだ」
「パーティー終わった後の夜の話?」
「お前の思ってるようなことはしない」
神経を逆撫でる笑みを浮かべる慎の頭をはたいた。
いてっ、と呻く慎は「でも」と前置きして、
「晴、美月ちゃんと仲良くなったでしょ」
「前よりはな」
恥じらいもなく肯定すれば、慎は「そっちじゃなくて」と手を振った。
「晴、美月ちゃんとヤッたでしょ」
周囲に聞こえないよう、静かに訊く慎。それに晴は声を低くして問い返した。
「……なんでだ?」
「なんとなく。晴が美月ちゃんを見る目がなんとなくいつもと違うなと思って」
優しい目で見てる、と答えた慎に、晴は鋭いなコイツとうなった。
「(コイツも洞察力エグイよな)」
小説家って生き物はつくづく怖い。
晴も洞察力は優れていると思ったが、慎だって相当洞察力が鋭い。
感嘆としていると、慎は一瞥をくれて促す。
「で、実際どうなのさ」
「まぁ、夫婦だからな」
「なんで恥じらいなく頷けるんだお前は」
肯定すれば何故か慎が唖然とする。
「べつに恥じらう必要なんてないだろ。子どもじゃあるまいし」
「それはそうだけどお前、ちょっと前まで階段上ってなかっただろ」
言葉巧みに使いながら、慎は周囲に晴と美月がアレをした事実を悟らせないように会話を続ける。ミケや詩織なんかは〝童貞〟という単語が聞こえた瞬間に反応するので、迂遠な言い回しは必須だった。
「もうちょっとこうさ、ないの」
「なにが?」
「卒業した感想」
「…………」
「晴?」
なんと答えればいいのか、逡巡が生まれた。
気持ち良かったと答えればいいのか。それとも具体的に答えればいいのか。
美月と初めて一夜を共にした記憶を振り返れば、晴は愛し気に双眸を細めた。
「人を愛するって、こういうことなんだと思った」
「――――」
すっと、そんな言葉が声に出れば、慎は目を瞬かせた。
戸惑い。それに似た感情を宿す慎に、晴は空になったコップを見つめながら続けた。
「俺は、誰かを愛するなんて思いもしなかった。小説だけ書いてれば満足だったからな」
「実際、そんな人生を送ってたわけだしね」
自覚してる、と苦笑しながら返す。それから、晴は「でも」と継ぐと、
「今は違う。誰かを――美月を愛せてよかったと思える」
他の誰でもなく、美月だから心を許せた。
降り積もった雪を、彼女は優しい陽だまりのように溶かしてくれた。
好きとか、愛してるとか、そんな感情がどういう定義で名付けられるのかはやはりまだ分からない。
でも、きっと誰かを愛するとはこういう事かもしれないと曖昧だが理解できた。
それは、きっと無意識に抱きしめたくなるという感情なのだろう。
それならば、晴は美月を愛していると断言できた。
そんな晴の感想に、慎は「ふはっ」と可笑しそうに口許を緩めた。
「……前までチェリーだったくせに、いっちょ前に愛を語るなよ」
「ラブコメ作家だからな」
穏やかな声音に、淡泊に返す。
慎は背もたれに体重をかけると、感慨深そうに吐息した。
「俺なんて初めてした時、そんなこと思いもしなかったよ」
「だからミケさんにナルシストだのヤリチン野郎だの言われるんだろ」
「痛いところを突くなよ」
うぐ、と慎がうめく。
晴は初めてを好きな人に捧げたいとか、この貞操は守り抜く! なんてカッコいい意思なんてものはなかったが、図らずも晴の童貞は愛したい者へと捧げられた。
それは奇跡なんだろうなと思っていると、
「晴の結婚相手が美月ちゃんでよかった」
「それな」
「あの子じゃなきゃ、とっくに呆れられてたと思うぞお前」
「言うな自覚してる」
互いに、苦笑を交わす。
「美月ちゃんのこと、ちゃんと大切にしろよ」
「当たり前だ。アイツが俺に呆れるまでお世話してもらうつもりだし、それに……」
「それに?」
「美月が、俺に愛想を尽かさないように努力していきたいと思ってる」
わずかな恥じらいを含んで言えば、慎は目を大きく見開いて、それから堪え切れずに吹いた。
「あはは! まさか、晴からそんな言葉が出るなんて思いもしなかったなぁ」
「んだよ、悪いか」
口を尖らせれば、慎は「いや」とゆるゆると首を横に振って、
「成長したね、晴」
と嬉しそうに言ったのだった。
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