第20話 『 どうだ、婚約者ちゃんの手料理は美味しいかね? 』


 美月と同棲して、それなりに時間が経過した。


「それでどうかな。JKとの同棲生活は?」


 にまにま、と実に不快な笑みを向けてくる慎に、晴は殴りたくなる衝動を堪えながら答えた。


「別にどうも」

「何も無い訳はないだろ。キスした?」

「質問が中学生だな」


 はぁ、と嘆息すれば、慎はつまらなそうな顔をした。


「マジで何もないの?」

「俺に何を期待してるんだお前は」

「ラブコメみたいな展開」

「ハッ」


 強く鼻で笑った。


「二次元の展開を三次元に持ってくるな。ラノベかアニメの見過ぎで頭おかしくなったか」

「辛辣過ぎて若干涙目になりそうなんだけど……まぁそれなりに両方見てるけどさ」


 お前も人の事いえないだろ、と反論をくらえば、その通りで口をつぐむしかない。

 資料の為に、他の作品を見るのは当然だ。自分の作品を売らせたいのなら尚更。


 期せずして他作品と同じ展開、同じ構造になってしまえば、盗作と揶揄される危惧もある。それを避けるためにも、作品はなるべく多く見た方がいい。


 んんっ、と咳払いすれば、晴はテーブルに肘をついて言う。


「お前が思ってるほど、俺とあいつは睦まじい関係ではないぞ」

「そうかぁ?」

「なんだその顔は?」


 晴の言葉に慎が双眸を細めた。

 眉根を寄せる晴に、慎は仏頂面な顔を覗き込みながら口角を釣り上げた。


「最近の晴、なんか顔色が良くなってる」

「そうか? 鏡で見ても変わったという印象はなかったが」

「そりゃ自分じゃ気付きにくいだろうよ。でも、前よりだいぶ元気な顔してる。目の下のクマは相変わらずだけどな」


 慎はそう言いうが、晴はピンとこない。

 生活リズムが変わった訳でもないし、健康の為に運動を始めたわけではない。

 生活で変わった事があるといえば、一つだけ。


「……あぁ、メシか」


 思い当たる節が浮かんで、それが声に出た。


「なるほど、ご飯か」


 慎が納得したように頷いた。

 それから、にまにまと邪な笑みを浮かべながら、


「どうだ、婚約者ちゃんの手料理は美味しいかね?」

「美味い」

「おっと意外な返答だ」


 素直に肯定すれば、慎が目を丸くした。


「なんでだ?」

「いや、お前の口から称賛が出るとは思ってなくて。てっきり「普通だ」って答えると思ったからさ」

「実際美味いから、美味いって答えただけだ。不味かったらそう答える」

「へぇ。どうやら相当気に入ってるみたいだな、婚約者ちゃんのこと」

「今の答えでどうしてそんな発想に繋がるんだ?」


 疑問を浮かべれば、慎は「だってさ」と前置きして、


「晴の性格だったら、興味ない相手には絶対何も言わないじゃん。褒める事も、怒る事も。でも、婚約者の事はちゃんと褒めてるし、評価しようとしてる」

「婚約者なんだから当たり前だろ」

「その考えが既に晴らしくないんだよ」

「なんでだよ」


 懐疑的な視線を送れば、慎はコーヒーカップに口を付けながら言った。


「婚約者であっても、晴にとっては所詮、赤の他人だろ」

「――うぐ」


 痛い所を突かれて、思わず口ごもる。

 カップを受け皿に置いた慎が続けた。


「晴は、誰であっても距離を縮める事ないだろ。今の担当者にも、俺にも」

「苦手なんだよ、人に、自分の事を知られるの」


 苦渋に満ちた声で答えれば、慎は知ってると笑った。


「それは悪い事じゃないと思うよ。相手に自分の懐に潜り込まれるの嫌いなタイプは晴以外にもたくさんいるし。だから晴は一定の距離感を保つんだろ。俺もそれでいいと思ってるし、この距離感は悪くないから」

「―――――」

「だから、そんな自分と深く関わらせないようにしてる晴が、婚約者の事を考えてる時点で相当気に入ってるのが分かる」


 慎の言葉に、晴はどんな反応をすればいいか戸惑った。


 慎の言及は、自分でも理解できない感情を当てられたみたいでむず痒くなった。


 その一方で、自分が美月に抱く心情がそれであると知って不快感が無くなった気もした。


 なんとなく、自分が美月に抱くこの感情が分かった気がして。


 口の中に、ほろ苦くて甘い味が広がった。


「お前の言う通り、俺はあいつの事を気に入ってるのかもな」


 微笑を浮かべて答えれば、慎は「ははっ」と破顔した。


「晴の口からそんな答えが出た時点で、もう確定だよ」


 晴の予想外の回答に、慎はまたまた驚くのだった。


▼ △▼△▼▼



 会計を終えてカフェから離れれば、本が欲しくなった晴は書店に向かった。


「そもそも晴って、人の作ったもの食べられなくなかったけ?」


 着いてきた慎が、新刊を眺めながら先程の話題を掘り返す。

 晴は本を吟味しながら慎を一瞥して、


「お前が作ったメシは食ってるだろ」

「嫌々って感じだけどな」

「そうか?」


 心当たりがない晴に、慎は「そうだよ」と念押しする。


「晴は人見知りというか人嫌いだからな~。最初は俺が作ったご飯一口でギブアップしたじゃん」

「覚えてない」

「俺はちゃんと覚えてるぞ~」


 それはいつの日だったろうか。


 記憶を呼び起こそうとしても靄が掛かったように思い出せない。


 んー、と呻っていると慎が「無理に思い出さなくていいから」と気を遣ってくれた。


「そんな人の作ったものが食べられない晴が、婚約者ちゃんの作った料理は食べられるとはどういう心境の変化? まだ出会って一カ月も経ってないんだろ?」

「う~ん。俺もよく分からん」


 改めて考えてみると、どうして自分の胃が美月の手料理だけは受け付けるのかは晴も謎だった。


 カフェで美月の事は気に入ってると自覚したが、だからといって美月に対して全幅の信頼を置いている訳でもない。ただ、晴にとって害のない相手だとは分かる。あの小動物めいた女子高生に怯えているのは、むしろ成人している晴の方だ。


 理由を考えても、分からなかった。


 これはきっと、心理的問題なのだろう。


「考えても分からないが、きっとあいつと相性が良いって事なんだろ」

「なんだ。食の話から急にエロい話か?」

「思考がピンクなのはお前だけだ。普通に性格的相性が良いって話だろうが」


 蔑んだ視線で慎を睨めば、冗談だよと頬を引きつらせた。

 それから慎は、視線を本へ戻せば感心したような息を吐いた。


「まさか晴に性格的相性が良いって言わせるとは。どんな子なの?」

「気になるのか」

「めっちゃ気になる」


 まさか寝取る気か、と一瞬邪な思考が過った。


「(まぁ、コイツに至ってそれはありえないか)」


 その思考を即座に切り返せば、晴は頭に美月を思い浮かべながら答えた。


「家事が出来る」

「それで探してたんだから当たり前だろ」


 そういえば晴のプロフィールは慎が監修していた。

 慎が呆れながら質問を続けた。


「可愛いの? それとも美人?」

「どっちかと言えば、可愛い方か?」」

「なんで疑問形?」

「どっちとも捉えられるなと思って。……でも、やっぱり可愛い方だ」


 まだ子どもの幼さが残る顔立ちなので、可愛いという印象が正しいだろう。


「お前が女の子に可愛いって言うとはねぇ」

「事実だ」

「そういう所は大胆だし素直だよな。そこは照れると思うけど」

「照れる必要がない」


 凄いなお前、と慎が何故か感嘆していた。


「髪色は?」

「黒」

「長さは? ロング? ショート?」

「ロング」

「ロングいいよな。俺はショート派だけど」


 そんな情報は要らないし求めてもなかった。


「晴は黒髪ロング好きだよな」

「あぁ。清楚な感じがして好きだ」

「分かる。黒髪女子って清楚な印象強いよな」


 二次元でも、黒髪ロングで快活な女の子はあまり見ない印象だ。


 明るい性格の子は、それが投影されてか髪色も『茶色や赤』といった暖色系で設定されている事が多い。逆に、大人しい子は『黒や青』といった寒色系が多い。


 キャラクターの構想を練る時も、髪色から性格が自然と定まっていく作家は多いのではないのだろうか。


 これは固定されてしまった倫理観なのだろうが、『赤髪の女の子=性格が明るい子』や『青い髪=落ち着いた子』と設定が既に多くの人の中で根付いてしまった影響なのだろう。


 なので、髪色が他者に与える影響は強い。その髪色でこのキャラクターがどんな性格をしてるのか、ある程度読者に印象を与えることが出来る。


 故に、ラノベの表紙はメインヒロイン一人が立っている構図が多いのだ。異世界やファンタージでは最初から大勢のキャラクターが載っている作品が多いが、ラブコメでは前者の割合が高い。晴の作品も全巻の表紙はヒロイン一人で描かれている。


 だから、慎の『黒髪女子=清楚』という印象もクリエイターとしては根付いてしまった意識なのだろう。


 そして実際、美月は清楚な子だ。


「性格は?」

「大人しいやつだよ。でも、時々俺を弄ってくる」

「晴を弄れるってだけですごい度胸の持ち主だな」

「お前だって弄ってくるだろうが」

「それはそれなりに仲が良いからだろ。女の子じゃお前を揶揄おうとは思わないわ」


 それほど絡みづらいだろうか、とは思ったものの、表情をあまり表に出さないので慎の言う通りか、と納得してしまった。


「今晴から聞いた感じだと、なんか気に入るのも頷けるな。家事が出来て黒髪ロングで大人しい……お前好みの女の子じゃん」

「言われてみればそうだな」


 慎に指摘されて気付かされた。


 晴自身も驚いたが、まさかここまで好みのタイプと一致するともはや運命的な何かを感じるよりも恐怖心が勝る。神様なんてものは小学生から信じなくなったが、本当は実在しているのかもと懐疑心と興味が湧いた。ちょうど眼下に『神様に好かれてしまった少年。異世界召喚されるってマ⁉』というタイトルが目に入った。


 思わず手に取って凝視していると、隣から不穏な言葉が聞こえた。


「……気になるなぁ」


 視線を本から逸らせば、


「まさかとは思うが、家に来るなよ?」


 視線と圧の籠った声音で牽制すれば、慎はへらへらと笑った。


「行かないって」

「信じられないな」

「友の言葉を信じろよ」


 それが既に嘘に聞こえてしまう。


「絶対に家には来させないからな」

「はいはい。買うなら早く買ってこいよ」

「お前は買わないのか?」

「うん。今日は買わない」


 なんだか誘導されてみたいで不快だったが、慎の言う通り気になった作品を数冊持ってレジに向かった。


「……今日はな」


 と愉し気に呟いた慎の言葉は、会計する晴の耳には届かなかった。

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