第19話 『 マッサージしてあげます 』
「マッサージしてあげます」
「絶対にやだ」
夜。寝間着に着替えた美月が突拍子もなくそう言いだして、晴は顔を顰める。
親でも殺されたような形相の晴に、美月はぷくぅ、と不服気に頬を膨らませた。
「どうしてですか」
「人に触られるのが嫌いだからだ」
信用していない相手に触られると、晴は怖気が奔ってしまう。
慎でさえもまともに触らせた事がないのに、まだ出会って間もない美月に触られたらそれこそどんな反応を起こすのか想像難い。
「自分からは触る癖に」
「は? 触ったことないだろ」
「この間頭を撫でられました」
「…………」
たしかにやった。
だが、
「自分から触るのと触られるのは大違いだ」
「やってみましょうよ」
「鬼かお前」
「鬼ではなくJKです」
「なおさら問題だわ」
「婚約者じゃないですか」
合意の上だから安心してください、と美月は言うが心情的に納得できない。
「マッサージなんかしなくていい」
「肩凝ってるでしょ」
「凝ってない」
「じゃあ確かめさせてください」
「どう足掻いても詰んでるじゃねえか」
何を言っても、どう反論しても、美月は一顧だにしない。
くねくね、と変態的な手つきで詰め寄ってくる美月に、晴は生唾を飲み込む。
「た、タンマだ」
「何秒ですか?」
「五秒」
「却下」
「なんでだっ」
「五秒あれば逃げられるじゃないですか」
美月が懐疑的な目を向けてくる。
晴は必死になって首を横に振った。
「逃げないから。覚悟をさせてくれ」
「マッサージに覚悟が要りますか? リラックスする為にするんですよ」
「俺の場合、マッサージが拷問になりかねないんだよ」
心外ですね、と美月が頬を膨らませる。
「頼む。五秒くれ」
「逃げませんか?」
「逃げない」
力強い目で答えれば、美月が渋々と納得してくれた。
「ごぉ……よーん……」
「おい数えるな。落ち着かない」
「さーん」
全然人の話を聞いてくれない。
葛藤している間にもカウントが進んで、そしてすぐにタイムアウトになる。
「それじゃあ、マッサージしますからね」
有無を言わず美月がソファーの背後に回る。
「くっそ。なんでJk如きに苦悶せさられるんだ」
「普通、女子高生がマッサージするといえば男性はご褒美だと思うのでは?」
「現実じゃ犯罪臭が凄いんだよ。されて喜ぶのは二次元の世界だ。あぁ、くそ、震えが止まらない」
今から触られるという恐怖と、脳内でサイレンが鳴り響いて止まない。
「では、マッサージしますね」
「お手柔らかに……本当にお手柔らかに頼むぞ」
罰ゲームでも始まるような苦渋の声に、美月が「はいはい」と適当に返事した。
深く、息を吐く。それとほぼ同時に、美月の小さな手が肩に触れた。
「おふっ」
「変な声出さないでください」
「触るなつってんのにお前が触るからだっ」
自分の声じゃないような奇声が零れて、それを美月に咎められる。
思った通り、体に怖気が奔った。今すぐにこの場から離れたい衝動に駆られるも、必死に耐える。
「んっ……んっ」
「お前こそ変な出してんじゃねぇよ」
「ただ息吐いてるだけですけど」
なら妙に艶めかしいのはなんでだよ、とツッコまずにはいられない。
「んっ……んしょっ……」
「くっ……拷問だぁ」
「ご褒美じゃないですか」
「お前は愉しそうでいいなっ」
「はい。楽しいですよ……んしょっ」
美月の艶めかしい声がいちいち耳朶に届いて震えが止まらない。
晴の苦悶など知らず、美月は小さい手で必死に晴の肩をほぐす。
「やっぱり肩、硬いですね」
「んぐっ……そりゃ、パソコンで作業してるからな」
「でも晴さん、指はすごく柔らかいですよね」
「なんで知ってる」
「よく指曲げてるじゃないですか」
そういえばよくやる。
「まぁ、指はマッサージしてるからな」
少しずつ体が美月の手に慣れ始めて、違和感は変わらないが美月の問いかけに応じるくらいの余裕はできた。
「あぁ、そういえば脱衣所でやってましたね。お湯溜めて何をやってるのかと思いましたが、あれ、指のマッサージだったんですね」
「痙攣の防止になるからな。お前も将来パソコン作業する職場で働くんだったら覚えて置いた方がいいぞ。指が痛くなくなるから」
「覚えておきますね」
私も始めようかな、と美月が小さく呟いた。
それから暫く、美月は吐息だけを溢して晴の肩を揉んでいた。
「……なんか、こうしてみるとあれだな、娘に肩もみされてる父親の気分を味わっているみたいだ」
「貴方は私の父親ではなく婚約者でしょう」
「そういう感覚だってこと」
「良かったですね。小説に使えますよ」
「……うーん」
美月の言葉に、晴は脳内で構想を練り始めた。
「使えなくはないが、だいぶ先の話になりそうだ」
「私思ったんですけど、晴さんの頭の中ってどうなってるんですか?」
数秒ほどで思考を纏めれば、美月が感服していた。
「なんでこの数秒で話を纏められるんですか?」
「慣れだろ」
「慣れで出来るものなんですか?」
「知らん」
淡泊に返せば、やれやれとため息が聞こえた。
「晴さんて、頭良いんですか?」
「なんでそう思う」
「小説の文章でなんとなく。時々難しい漢字使ってるじゃないですか。意味は同じでも違う漢字を使っていたりもしてますし」
美月の指摘に、晴はあぁ、と頷く。
「例えば、胸裏と胸中とかか」
「それです」と美月が肯定した。
「それ、どうやって使い分けてるんですか?」
「特別意識してる訳じゃないぞ。俺の場合、雰囲気で変えてるだけだ。シリアスな展開が続いている時は『胸裏』を使って、日常のシーンじゃ『胸中』って書く」
「凝ってるんですね」
「ほぼ感覚でやってるだけどな」
原稿が完成して一度読んで、改稿する為に読み返して、そして文庫本で確認してもこの表現はこっちで良かったと思う事が何度もある。
結局、小説に〝完璧〟なんてないのだ。
完璧だと自信を持っても、一日経てばすぐに修正する箇所が見つかってしまうし、表現を変えた方が面白く魅せられるのでは、と苦悩を重ねてしまう。
それは小説に限らず、どの仕事、どの業界でも同じ現象なのだろう。
この世界に、〝完璧〟なんてものは存在しない。
そんなものが実在しているならば、とっくに人間は神様になっているはずだ。
どこか欠点があって、一人では生きられなくて、誰かに縋ろうとするのが人だ。
いつも日常はどこか物足りないから、人はエンタメを求める。
「小説家の仕事は、文章で人を魅了させる事だからな。だから、文章に工夫を入れるのは普通だよ。プロだろうがアマだろうが関係ない。皆、自分の作品を少しでも面白くさせようと血反吐を吐いてる」
「皆、ですか」
「誰だって、石ころからダイヤになる素質はあるんだ。磨くのは自分で、それを発掘するのは読者と編集者だよ」
晴はたまたま、発掘される時期が早かっただけで、磨くのが上手かっただけ。
その事実が、どれ程幸運であるかは、周囲を見てれば否応なく気付かされる。
見て欲しくても、見られない奴らは大勢いる。
肩を揉む美月に振り返れば、晴は儚い笑みを浮かべて、
「お前も、何かしらの才能はある。見つけたら、絶対に捨てるな」
「――――」
返事はない。ただ、晴の言葉を真っ直ぐに聞いてくれていた。
「見つけた才能は、磨き続けろ。そうすればいつか必ず、見つけてくれる人がいるから」
磨き続ければ、凡人は天才になれる。
磨くのを止めてしまえば、天才は凡人に成り下がってしまうのだ。
人生の先輩として、晴は美月にそんなアドバイスを送った。
「見つけてくれる人、いますかね」
「あぁ、必ずいる」
「私の場合は、晴さんが見つけてくれるかもしれませんね」
「……面倒だな」
「貴方って、本当にそういう人ですよね」
晴の不真面目な返答で、真面目だった空気が霧散してしまった。それが不満な美月は大仰に嘆息すると、
「せっかくカッコよかったのに。台無しですよ」
「俺にそんなの求めんな」
「それもそうですね」
納得されるのも不服だった。
不機嫌に鼻を鳴らせば、美月がくすりと笑った気配がした。
美月の手の感触とこの近い距離感にもだいぶ慣れて、だから油断した。
ゆっくりと顔を近づけてくる美月に、息が耳朶に掛かるまでまったく気づかなかった。
油断した晴に、美月は微笑みを浮かべながら、
「――でも、今の晴さんは凄くカッコいいですよ」
「――ッ⁉」
ほぼゼロ距離で甘い囁き声が脳を犯して、晴は目を白黒させた。
慌てて美月から離れれば、顔を赤くして顔を腕で覆う。
「顔が赤いですよ、晴さん」
動揺しまくりの晴に、美月はにしし、と小悪魔な笑みを浮かべるのだった。
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