最終章 【 夫婦。寄り添い、愛し合って 】

第347話 『 小説家だって羽を伸ばすのは大事だ 』


 ――三月中旬。


 新幹線に乗って約一時間。一月から立てた予定通りに、晴と美月は一泊二日の旅の地である熱海に着いた。


「んっん~……東京から熱海って意外と早く着くもんだな」

「ですね。本音を言えばもう少し電車の旅を満喫したかったですが」

「電車ならわりと乗ってるだろ」

「むぅ。それとこれとは違うでしょう」

「へいへい。デートと旅行じゃ雰囲気が違うって言いたいんだろ」

「分かってるならよろしい」


 面倒くさそうに答えれば、美月は満足げに口許を緩める。


 愛いやつ、とその気持ちを伝えるように黒髪にぽん、と手を置いて撫でれば、


「お前と初めての旅行だ。この機会を設けてくれた華さんに感謝しつつ、楽しむか」

「まさかあの晴さんが遠出を楽しむようになるとは」


 成長しましたねぇ、と感動する美月に、晴は「たまにはいいだろ」と素っ気なく返す。


「小説家だって羽を伸ばすのは大事だ」

「貴方からそんな言葉が出るなんて意外ですね」

「意外で悪かったな。多忙続きだと自ずと休みたくなるもんだ」

「新作に『ビネキミ』の次巻の原稿と、たしかにハードでしたもんね」

「ま結局『終末人形』は再来月に延期になったがな」

「それは言わないのが優しさですよ」


 それもそうだな、と頷きながら、晴はここ数か月の出来事を思い返す。


 晴の待望の新作【破滅に誘う終末人形ヴァリキュリードール】はミケの体調不良により発売予定から一か月延期となった。退院したミケから改めて謝罪(全力土下座)を受けたが、晴も担当編集者の文佳も別段怒っている訳もなく、今後は体調管理を怠らないようにと軽い注意だけに終わった。


 そして【微熱に浮かされるキミと】は、いよいよ来月に発売される巻が最終章全前編、そして遂に次巻に完結を迎える。


 発売予定では十月頃なのだが、その原稿を既に完成させてしまったというのだから我ながらに驚きだ。まぁ、完成といってもまだ完璧ではなく、150Pページある文章をこれから改稿しなければならないのだが。


 兎にも角にも、だ。


「執筆部屋に籠る時間が多かったせいで、あまりお前に構ってあげられなかったからな。今日と明日、この旅行はそれを埋めるためにはもってこいだろ」

「べ、別に寂しいなんて思ってませんでしたよっ」

「ツンデレヒロインみたいに言うな」


 ふん、と黒髪を揺らしながらそっぽを向く美月。なんとも分かりやすい妻の態度に晴は苦笑しながら手を握れば、


「二人で初めての旅行だ。満喫しなきゃ損だろ?」

「――ふふ。そうですね。晴さんと行きたい所も見たい所もたくさんありますから」


 ぎゅっと手を握り返しながら答える美月。

 互いの手が解けぬよう固く握りしめながら、二人は改札口から離れていく。


「せっかくの楽しい旅行なんですから、迷子にならないでくださいね」

「俺は小学生か。安心しろ。迷子になってもスマホがあるからどうにかなる」

「はしゃぎすぎてはぐれないか心配ですねぇ」

「お前はなんでデートすると俺の保護者目線になるの? 別に方向音痴ではないだろ」

「それはそうですけど、でもなんというか、晴さんを一人にすると不安でたまらなくなるんですよね」

「……そういえば俺、あんまり一人で外を歩くことがない気がするな。お前と結婚する前は慎と出かけることが殆どだったし」

「やっぱり慎さんも晴さんを一人で外出させる不安だったんですねぇ」

「どんだけ過保護なんだお前らは」

「それだけ大切にされてるということで」

「なんか無理やりまとめられた感じがして釈然とせん」


 そんな他愛もない会話を続けながら構内を出れば、外は旅行日和の晴天に包まれていた。


 ふと見上げた空の、まだ東に位置する太陽は、まるで今日という日を祝福してくれているように見えて。


「絶好の旅行日和ですね」

「あぁ。気温も少しずつ暖かくなってきたし、これでやっと動く気にもなれるってもんだ」

「冬は外に連れ出すの苦労しましたからねぇ」

「言うなよ。寒いのも暑いのも苦手なんだ。好きな季節は秋。春はまだ寒い日があるからあんまし好きじゃない」

「そんなのとっくの昔に知ってますよ。本当に捻くれてるんですから」

「捻くれてない。仕事をするのにモチベを維持できないから嫌いなだけだ」

「……執筆ばか」

「自覚済みだ」


 やれやれ、と美月が大仰にため息を吐く。そんな顔ももう見慣れてしまって、後ろめいた感情よりも有難さを覚える。


 呆れても、美月は傍にいてくれると知っている。だから安心できるのだ。


 今日はそんな妻を労う為の旅行――ではなく、そんな妻と自分の羽を伸ばす旅行だ。


 ▼△▼△▼▼



「すげぇな。駅を出て足湯に浸かれる所がある」


 観光名所ならではの工夫だ、と驚嘆したのも束の間、


「ただ流石の休日だな」

「えぇ。人がいっぱいで、とても入れそうではありませんね」

「残念だが、帰りに浸かれればいいだろ」

「そうですね。他にも足湯を体験できそうな施設はいくらかあるそうですし」


 夫婦共々そう割り切り、早速バスに乗る準備をするが、


「バスが来るまでまだ少し時間あるし、どうするか。カフェでも行くか?」

「休憩早くないですか?」

「朝ごはん食べてないし、腹減った」


 そう言えば、美月は「そうでしたね」と何か思い出したようにくすくすと笑った。


「旅行先で美味しいものいっぱい食べたいからって、朝ご飯抜きにしたんでしたっけ」

「熱海に来るのにコンビニで朝食済ませるなんて勿体ないだろ。それに、お前だって調べてた時に「このカフェ行ってみたい」って呟いてただろ」

「しっかり聞いてたんですね」


 恥ずかしそうに頬を朱に染める美月に、晴は「当たり前だ」と鼻を鳴らしながら答える。


「この近くに人気のベーカリー店があるんだろ」

「行きたいんですか?」

「美月さんは行きたくないですか?」


 挑発的な笑みに全く同じ笑みで返せば、美月は諦観したように吐息して、


「私もお腹空いたので、行きたいです」

「ん。じゃ行くか」


 素直になった美月からの了承も得て、晴はその手を繋ぎながら気になっていたベーカリー店へ向かおうと歩き出す――が、


「晴さん。ちょっとこっち向いてください」

「あ? なんだよ……」


 怪訝な顔をして振り返った瞬間。カシャッ、とシャッター音が聞こえた。

 何事かと目を瞬かせれば、美月はスマホで口許を隠しながら言った。


「ふふ。旅行先一発目の晴さんの写真、頂きました」

「なんで予告もなしに撮ってんの?」

「二人で初めての旅行ですから。思い出はたくさん残しておかないと」


 それで写真か。

 なら、と晴もスマホを構えれば、


「はいチーズ」

「え、えちょっと待って……」

「待たん」


 狼狽する美月にお構いなく、晴は先ほどの意趣返しとシャッターを押した。


 そして撮った美月を見て、思わず笑ってしまう。


「ぷふっ。見事な慌てようだな」

「あ、貴方がいきなり写真を撮るからでしょう!」

「お前が俺にやってきたことをそっくりそのままお返ししただけだ」


 と顔を真っ赤にしながら腕をぽこぽこと叩いてくる美月。


 別に痛くも痒くもない攻撃を受け続けながら、晴はスマホに収められた写真を見つめて呟く。


「普段のお前も十分可愛いが、こうして慌ててるお前もいいな」

「せ、せめて写真を撮るなら可愛く撮って欲しいです」

「この旅行が終わるまでは無理な相談だな」


 あっかんべー、と舌を出す。

 この旅行で、いくつほど妻の幸せそうな顔を撮れるだろうか。


 それだけじゃない。今みたく慌てた顔。寝ぼけた顔。楽しんでいる顔――この旅行で、色々な表情の妻と出会って、それを思い出に残したい。


 それを楽しみにしながらニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべれば、美月は「悪魔ですか貴方は⁉」と涙目になってしまった。


 そしてキッと睨むと、


「晴さんがそのつもりなら、私もたくさん撮ってやりますからね」

「おそらくその写真のどれもが無表情だと思うが、それでもいいなら好きなだけ撮ってくれて構わんぞ」

「表情筋が死んでることを堂々と言わないでください」


 全くもう、と呆れた風に嘆息する美月は、それから唇に三日月を描くと、


「大丈夫ですよ。この旅行で、幸せそうな晴さんの顔を、いくつも引き出してあげますから」


 その妻の堂々たる宣言に、晴は思わず笑ってしまって。


「ははっ。なら期待してる。それと、俺はもう十分幸せだぞ」

「えその顔でですかっ」

「やっぱ分かってねぇじゃねえか」


 驚く美月に手刀を入れれば、あうっ、と可愛らしい悲鳴が上がる。


 呆れて歩き出せば、その後を追うように眉間に皺を寄せた美月が顔を覗き込んでくる。


「今日は朝早く起きたから、余計に表情が出てませんね。晴さんはやはりもう少し笑顔の練習が必要だと思います」

「これでも笑ってる方だと思うがな」

「貴方の場合の笑ってるは、大抵悪い笑みかほくそ笑んでるどちらかでは?」

「旦那に容赦なしかお前は。なんでそんな悪者にしたがるんだ」

「晴さんは勇者というより、思考が魔王寄りですからね」

「まぁ、勇者か魔王どっちが好きかと言われれば、魔王の方が好きだな。創造と破壊を繰り返すって感じがいい」

「やっぱり捻くれてるじゃないですか」


 せっかくの旅行。風景はいつもと違うのに、繰り広げられる会話は普段と何一つ変わらないのがなんとも晴と美月らしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る