第110話 『 とりあえず、美月に謝ってみる 』

 

 朝起きてから、昨日の喧嘩は継続中なのだとすぐに理解できた。


「……おおぅ」


 いつも通り朝起きてリビングに向かえば、ダイニングテーブルに一枚のメモ用紙が置かれていた。


 嫌な予感がしつつも手に取れば、そのメモ用紙にはこんな事が書かれていた。


【ご飯は自分で用意してください】


 終わった。

 文字からでも分かる美月の怒りに失笑しかこぼれない。


「そこまで怒ることでもないだろ」


 晴が執筆バカだと既知しているのにあそこまで怒るのも納得がいかなかった。たしかに言い方は少しキツかったかもしれないが、ワガママだった美月にだって非はあるはずだ。


 むしゃくしゃしながらもとりあえず朝食を確保しにコンビニに足を運ぼうと思い、財布を自部屋から取りに行く瞬間だった。


 美月の部屋がガチャッと音を立てて開き、中から本人が姿を露わ――


「――ふんっ」


 と思いきや無言で扉を閉じられた。


 挨拶もなしに閉じた部屋を見つめて、これは長期戦になるかもとため息を吐くのだった。



 ▼△▼△▼▼



 どうにか朝食を確保して、その後はいつも通り仕事部屋で執筆に励んだ。


 何度か小休憩はリビングで取る事にした。そこで美月の顔を拝もうと考えたのだが、警戒心を強めた美月は中々部屋から出てこなかった。


「……はぁ」


 昼食もコンビニ弁当で済ませて、また午後の執筆に戻る。


 さらに数時間が経って、ふとスマホを点ければ時刻は十九時を回っていた。


 ぐぅ、とお腹が鳴ったのは、この時間がいつも晩御飯を食べている頃だからなのだろう。


 お腹が空いてご飯を食べようと思ってリビングに出れば、やっぱり美月はいないしほかほかのご飯も用意されていなかった。


 それが、酷く胸をざわつかせた。


「しゃーなし。コンビニ行くか」


 本日三度目のコンビニへ足を運び、そこでお弁当と目についた唐揚げ棒を買って家に戻る。


〝ただいま〟と言っても〝おかえりなさい〟が返ってこないのは、なんだか寂しい気分だった。


 無音のリビングで電子レンジの音だけが響いて、待っている間はトイッターを眺める。


「いただきます」


 温まったお弁当に手を合わせて、それから無言で箸を進めていく。


「なんか前の生活に戻ったみたいだ」


 美月と結婚する前はもっぱらコンビニ弁当だったので、今の光景に懐かしく思いつつもやはり寂寥感が滲み出てしまう。


 お弁当は温かいし美味しいけれど、でもやっぱり物足りない。


 美月が振舞う料理はいつも真心が込められているから、きっとそれがこの物足りないと思わせているのだろう。


「アイツの作ったメシが食いてぇ……」


 箸を進めながら、晴は恋しい妻の手料理を思い出してそう呟いた。


 ▼△▼△▼▼



 美月と喧嘩して二日目に突入した。


 相も変わらず朝食は用意されてなくて、またコンビニへと向かう。店員さんに「この人今日も来た⁉」という視線を向けられた時はちょっと気まずかった。


「……筆が乗らん」


 昨日は普通に書けたが、今日の進行具合は芳しくなかった。


 書こうにも途中で手が止まり、また書こうと手を進めても止まってしまう。そんな繰り返しだった。


 お昼を過ぎれば、キッチンには洗い終わったお皿だけが残っていた。まだ水滴が残っているから隙を見てお昼を食べたのだろうが、食器からは『私はきちんとご飯食べてますが貴方はどうですか』と言われている気がして少しイラッときた。


 ため息をこぼして、今日は執筆できないと悟ってリビングで美月を待ち伏せることにしたが……、


「全然現れねぇ」


 三時間待っても美月はリビングに現れなかった。メ〇ルスライムかよ、とあまりの遭遇率の低さに呻らずにはいられない。


 謝ろうにもこのままでは無理だし、それにどう謝れば許してくれるのかも分からない。


「(やっぱりアイツの手を借りるしかないか……)」


 万策尽きたと肩を落とせば、晴はこういう時にこそ役に立ちそうな友人から知恵を授かることにした。


 ポップな待機音から数十秒後。


『あもしもし晴? どうしたの?』


 電話の相手は慎。

 珍しい、と電話越しに言われながらも晴はふぅ、と息を整えると、


「お前に少し聞きたいことがある」

『なになに?』

「……ええとだな」


 どう伝えるべきか逡巡していると、慎が先んじて言った。


『余計な言い回しは無しで直結に言って』

「うぃっす」


 慎にだって予定もあるので、手短に用件を伝えてくれと釘差された。

 仕方ない、と観念してから晴は腹を括ると、


「実は美月と喧嘩をしてな」

『うそマジ⁉ 超ウケるんだけど』

「ウケるな」


 ケラケラと嗤う慎に頬を引きつらせた。

 だから嫌だったんだと唇を噛みしめながら晴は続けた。


「それでな、女心なら俺に任せろのお前に仲直りの秘訣を聞きたくて」

『俺だって百戦錬磨じゃないよ。というか、むしろお前の方がそれ分かってるんじゃないの?』


 天下のラブコメ作家様、と皮肉気に言われるもここはグッと堪えた。


「小説と現実は違う。だから数多の女を口説いてきたお前の知恵が欲しい」

『それ褒めてる? 俺としては貶しているようにしか感じないんだけど』

「安心しろ。半分褒めてる」

『じゃあ半分は貶してるじゃんか!』


 電話越しからツッコまれた。

 呆れた風な嘆息が聞こえたあと、慎は『なるほどねぇ』と呟いた。


『晴は美月ちゃんと仲直りしたいの?』

「当たり前だろ。このままだとずっとコンビニ弁当だ」

『たまには自分で料理しなよ』

「作る気にならない」

『じゃあいつも晴の為に料理を振舞ってくれる美月ちゃんの気持ち少しは理解したわけだ』

「いつも感謝してる」

『でも今は尚更痛感してるんだろ?』


 指摘されて晴は「うぐっ」とうめいた。

 そんな晴に慎はカラカラと笑いながら、


『その気持ちを伝えればいいだけだと思うよ』

「どうやって?」

『それは自分で考えなよ』


 あっさり見捨てられた。

 使えねぇ、と愚痴をこぼすと、慎が言った。


『そういうのもラブコメ書くための勉強だと思って考えなよ』

「喧嘩のシーンはもう書いた」

『実体験して次の作品に活かすことだね』


 一理ある、と思わず頷いてしまった。

 感服していると、慎は『まぁでも』と前置きして、


『そんな難しく考えなくていいと思うよ。ここはフィクションじゃなくて現実なんだし』

「そうだろうか」

『珍しく弱気だね』

「まぁ、相手が美月だからな」


 既に二日引き籠られた、と明かせば慎にゲラゲラと笑われた。


『だいじょうーぶ。晴が素直になればきっと許してくれるよ、美月ちゃんは』

「そうだと助かるな」

『それでも無理だったら離婚かもね』

「おい止めろっ。恐ろしいこと言うな」


 不覚にもゾッとしてしまったではないか。

 内心冷や汗を掻きつつ、気を取り直して咳払いすれば、


「とりあえず、美月に謝ってみる」


 そう言えば、慎は『それがいいね』と晴を応援してくれた。

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