第207話 『 黒猫とアシスタント 』
真っ直ぐに。真剣な瞳から目を逸らさずミケは覚悟を研いでいく。
――やっぱり。辞めちゃうんすかねぇ。
彼に恋人ができたのなら、きっとこの関係を保つのは困難なはずだ。
仕事とはいえ女の部屋に上がり込むことを許容するカノジョなんてそういないはずだ。ましてや相手は女子高生。その年齢の子ならば嫉妬するのは当然だろう。
だから、冬真がカノジョの為にこの関係を絶つのは納得できるし、無理に止める気など微塵もなかった。そもそもの始まりがミケの身勝手だったので、尚更筋が通らない。
たった数カ月であれど、この関係はミケにとって特別な思い出になった。
彼が辞めたら本格的に恋人でも探そうかな。そんなことを考えていると――
「僕、何かミケ先生に嫌われるようなことしてしまったでしょうか⁉」
「――ひょえ?」
叫ぶ冬真に、ミケの思考が停止した。
あまりにも唐突過ぎる上に想像していた言葉より斜め上のものが飛んできて、脳が正常に回らない。
「え、あの……金城くん? その、辞めるんじゃないすか?」
「え何でですか⁉ 僕辞めるつもりなんて一ミリもありませんよ⁉」
困惑しながら問えば、今度は冬真が目を白黒とさせた。
「はっ⁉ やっぱり僕何かやっちゃったのかな⁉ そりゃそうだよ。だってミケ先生の下着姿とか何度も見ちゃってるんだから。セクハラで訴えられても何も言い返せないしクビにされてもおかしくない⁉」
「いやいや。私の下着姿はいくらでも見ていいっすよ」
「いくらでも⁉ いや絶対ダメでしょ⁉」
「私の下着タペストリーなんて需要ないっすよ?」
「あるに決まってるじゃないですか! 僕だったら三枚は買いますよ!」
なんか話が逸れてる気がする。
それは冬真も気づいたのか、彼は「そうじゃなくて!」と首を横に振ると、
「僕はミケ先生のアシスタントを辞めるつもりはないですよ」
「どうして?」
「どうして、と言われましても。特に辞める理由なんてありませんし」
「カノジョさんは怒らないんすか?」
「カノジョ?」
ぎこちなく言えば、冬真は眉根を寄せた。
そんな反応をされればミケも困惑してしまう。
依然状況が飲み込めずにいると、冬真も困惑を表情に浮かべながら言った。
「僕にカノジョなんていませんよ。というか、今後の人生にもカノジョが出来る予定はないです。僕、根暗だし陰キャだから。異性に見向きもされませんよ」
「―――」
あはは、と自嘲する冬真に、ミケはただ唖然とする。
「……なら、あの子は?」
「あの子? 誰のことですか?」
「キミと、仲良さそうにしていた子は何なんすか?」
「ええと……もしかして美月さんのことですか?」
ふるふると首を横に振れば、冬真は顎に手を置いて思案する。
数十秒ほど経ってからようやく合点がついたのか、冬真は「あぁ」と声を上げると、
「ミケ先生が言ってるあの子って、ひょっとして四季……茶髪の子のことですか?」
「そうっす。千鶴ちゃん、て言うんすよね」
「名前知ってるんですね」
わずかに驚く冬真に、ミケは美月から件の少女の名前を聞いたことを明かした。
それを聞き届けた冬真は、どう答えればいいのか逡巡するような表情を浮かべたあと、やがて自分の心情を吐露してくれた。
「四季さんと僕はただの友達ですよ。最近少しだけ話す機会が増えて、まぁどういう訳か一緒に買い物、なんてしたりしましたけど……それでも僕と四季さんは友達でしかありません」
「それは、この先もっすか?」
不安を帯びた声音で問えば、冬真は静かな声音で「はい」と答えた。
「僕なんて恋愛対象外だと思いますよ」
だって根暗陰キャ野郎ですから、と冬真は笑って言った。
その笑みに安堵がこぼれると同時、何故か寂しさが沸々と湧いてきて。
「……キミは、自分のことを過小評価してるっすよ」
小さな声でそう呟けば、冬真は「え?」と目を見開いた。
その驚愕は、無意識にミケが冬真の手を握っていたからなのだろう。
ミケは冬真の手を握ったことに気付かぬまま、視線を落として続けた。
「キミは良い人っす。それだけじゃない。真面目で、優しくて、相手を思いやれて、気の利く凄い子っす」
冬真と同じ歳だった頃の自分を似重ねれば、余計に彼の凄さが伝わってくる。
「キミみたいな子、この世の中にはそうそういないっすよ。こっちが呆れるくらい正直で、誠実で、頼りになる男の子――私は初めて会ったっす」
「ミケ先生」
もし、仮に彼と同じ歳で同じ高校に通えていたら、きっと恋していたかもしれない。
そう思えるほどに、冬真は素敵な人だった。
でも、現実はいつだって非情だ。
理想など、希望など、抱いた夢は〝現実〟というくだらなさを前にいつだって砕かれる。
この世界じゃミケは大人で、冬真はまだ高校生なのだ。
「私は、知らない間にキミの人生を台無しにしてるのかもしれないっす。キミにはまだ青春を送れるチャンスがある。それを無下にしないで欲しい」
きっと彼なら、すぐにカノジョが出来るだろう。顔は整っているから、あとはその優しい性格をどれだけ異性に伝えられるかだけ。
それができれば、きっと彼は幸福を掴めるだろう――
「ミケ先生」
「――っ!」
名前と共に手を握り返されて、ミケはハッと顔を上げた瞬間に息を飲む。
視線の先。そこには憤りをみせる冬真がミケを見つめていた。
「僕は、ミケ先生とのこの時間を無駄だなんて思ってませんよ」
「……でも」
「僕にとってミケ先生のお傍にいられる時間は、何よりも大切なんです」
「――ぁ」
真剣な目と声音。その熱量に、圧倒される。
ぎゅっ、と冬真はさらに握る手の力を込めて続けた。
「僕にとっ、てミケ先生は憧れなんです。人を魅了する絵を描く貴方の傍で仕えられるのは僕にとって誇りなんです」
「――――」
「それだけじゃありません。貴方が素人同然の料理を美味しそうに食べてくれるのが心の底から嬉しいです。貴方とゲームする時間が一人でゲームする時によりも何倍も楽しいです。貴方と一緒にアニメを観る時間が何よりも幸せです」
綴られる言葉は、まるで告白のようだった。
けれど今、冬真がミケに必死に伝えようとしているのは恋慕ではなく――ミケと過ごした時間の大切さで。
「貴方と出会う前までの僕は、どうしようもない根暗野郎でした。人と話すのが苦手で、前に出るのも苦手で、休日は家に引きこもってアニメとラノベを観るだけの日々を送っていた。でも、貴方の下で働かせてもらってから、こうしてお話するようになってから、僕の日常は変わったんです」
「――――」
「貴方のおかげで、僕は前より少しだけ、勇気を持てるようになりました」
「金城くん……っ」
「だから僕は、まだ貴方の下でアシスタントを続けていたい。この生活を、必死に頑張っているミケ先生を支えていきたいです」
向けられた微笑みに、目頭の奥が熱くなる。
――あぁ。自分はなんて大馬鹿者なんだろう。
彼の気持ちを理解しようともせず、勝手に青春を送らせようと押し付けて、大切だと思えてくれた時間を無下にしようとした。
ミケだって、冬真と過ごす時間は何より大切だったはずなのに。
「金城くん……一個だけお願い、聞いてもらっていいすっか」
「はい。なんでしょうか?」
上擦った声音で呟けば、冬真は穏やかな声音で応じた。
ごしごし、と強引に涙を振り払えば、ミケは潤んだ瞳で真っ直ぐにアシスタントを見つめて――
「私のアシスタントを続けて欲しいっす。こんなダメダメな女すっけど、それでも支えて欲しいっす」
「はいっ。勿論です。これからも、僕は全力でミケ先生をサポートしていきます!」
ミケのお願いを、冬真は満面の笑みと力強い返事で肯定してくれた。
黒猫は、まだ恋という感情を知らない。
けれど友情を知り、共に道を歩いてくれる
「ありがとう――冬真くん」
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