第11話 『 死んでもここを通す訳にはいきませんね⁉ 』


『仮に、お前が俺からキスをして欲しいなら、まずは俺をその気にさせるんだな』


 その言葉に返ってきた美月の言葉。


『……その言葉、覚えていてくださいね』


 初めは美月なりの負け惜しみとばかり思っていたが、まさか本当に色仕掛けをしてくるとは思ってなかった。


「シャンプー持ってきてないので、晴さんの使っていいですか」

「なんでタオル一枚なの」


 ソファーでくつろいでいると裸体を布一枚で隠した美月が意図的に姿を現わして問いかけてきて、晴は顔を顰める。


「今からお風呂に入るんです」

「それは見たら分かる。なんでタオル一枚で聞きに来るんだ」


 要約すればわざわざそんな事聞きに来るな、だが美月はそれを理解した上でまだ引き下がらない。


「確認は大事ですから」

「勝手に使え」

「……むぅ」


 視線をスマホに戻して淡泊に答えれば美月が頬を膨らませた。

 そして四十分後。お風呂から出てきた美月が寝間着を纏って出てきた。


「お風呂空きましたよ」


 水に濡れた髪と蒸気した頬に艶やかさがあって、男心を擽るとでも思っているのであろう美月に晴は平常心のままで頷く。


「ん」

「……むぅ」


 また美月が不服気に頬を膨らませるも、晴は構う事はない。

 美月に促されてそのままお風呂――ではなくシャワーを浴びれば、


「はやっ」


 およそ十分ほどで出ればまだ髪を乾かしている途中の美月が驚いた。


「お風呂は……」

「浴槽に浸かる時間が無駄だからいつもシャワーで済ませてる」

「せっかくお湯を張ったんですから、どうせならしっかり温まるべきではないですか」

「なんでだよ」

「リラックスできますよ」

「人によりけりだろ。俺はシャワーで十分だ」


 淡泊に答えて、晴は冷蔵庫に向かって水の入ったペットボトルを取った。冷蔵庫の中には美月が買い物で調達してきた食材が入っており、飲料水も更新されていた。


「ふぅ」


 コップを持って水を注ぎ、それを一気に飲み干せばシンクに置いた。

 それから晴は仕事部屋に向かう。


「あ、あの。もしかして、今からまた書くんですか」


 驚いた声を上げる美月に振り返れば、晴は何食わぬ顔で答える。


「そのつもりだが」

「もう夜ですよ?」

「夜だからなんだ。執筆できれば執筆する。それが小説家だ」


 世間の常識など、小説家にはないのだ。そう言えば、美月が困惑した。


「でも、今日は私を部屋案内したり、それにさっき原稿して疲れてるはずでしょう」

「肉体の疲労は文章には影響しない。脳の疲労は確かに文章に影響が出るが、今日は問題ない。だから書く」

「貴方は執筆しないと死ぬ病気なんですか」

「そうなると小説家は皆病気だな」


 良い話が思いつけば自然と手が原稿に向かってしまう。それが小説家という生き物だ。


 闇雲に書いている訳ではなく、これは本望でやっていることだ。


「今日はお前のおかげでいい案が思いついたから、それ書いておきたいんだよ」

「……私のおかげ、ですか」


 少しだけ嬉しそうに呟く美月に向かって晴は言った。


「お前の恋愛経験を活かして新しい子を書けそうなんだ」

「絶対にやめてください⁉」

「なんでだよ」


 目を剥く美月が慌てて晴の前に駆けてきて、両手を広げた。


「もしかして私のさっきの話を小説に書くつもりですか」

「お、鋭いな」

「死んでもここを通す訳にはいきませんね⁉」


 必死の形相で美月が執筆する晴を止めてくる。


「別にいいだろ。お前の名前を使う訳じゃないんだから」

「そういう問題んじゃないんです⁉ それを知っているという事が大問題なんですよ!」

「何が」

「貴方が書くって事は、つまり世間に流出するって事じゃないですか⁉」


 無事に原稿が通れば確かに美月の言う通り大勢の読者に届く事になる。

 美月はそれが嫌らしい。


「書かない、というまで絶対に前は通しませんからねっ」

「なるほど。ここを通りたくば私を倒してからにしろ、と」

「そんな物騒な事は言ってませんが⁉」


 どうやらバトルものにありがちな展開は望んでいないらしい。

 ただこのままではせっかくの執筆気分が下がってしまうので、晴は嘆息すると、


「分かったよ。お前の話は書かない」

「……本当ですか」

「約束は守る男だ」


 ふんぞり返って言えば、美月は渋々であるが納得してくれた。


「嘘吐いたら、貴方の股間についてる〝それ〟千切りますからね」

「こわ。絶対書かないわ」


 不覚にも晴のあれがヒュンッ、となった。

 それから美月が扉から離れれば、


「あまり無茶はしないでくださいね」

「気遣いどうも。お前も明日は学校なんだから夜更かしはするなよ」

「はいはい」


 おそらく、これが今日最後の会話になる。

 パタン、と扉を閉じる直前、晴は隙間から顔を覗かせると、


「ちなみに少し史実を弄って書くのは……」

「絶対ダメです!」


 往生際の悪い晴に、美月は顔を真っ赤にして叫んだのだった。

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