第10話 『 ……貴方の言う通り、もう経験済みですよ 』
遅い昼食後。
「晴さんの部屋が見たいです」
「…………」
「晴さんの部屋が見たいです」
「二回言わんでも聞いてるわ」
「返事がないので」
美月が唐突にそんなお願いをしてきて、晴は一考した。
「別に見ても構わないけど、なんでだ」
「気になるからです」
「そうですか」
いったい自分の部屋の何が気になるか、と思ったもののテキトーに頷いて、晴は美月を連れて己の部屋へと向かった。
ドアを開く寸前、晴は興味津々とうずうずしている美月に忠告した。
「成人男性の部屋だからそういう物があるけど、本当にいいんだな」
「そういう物……」
晴の言葉に美月が呟きながら暫く黙考していると、ボフン、と音が似合う程に顔を真っ赤にした。
「ま、まあ当然そういうのはあるでしょうし、気にしないことを努力するので早く部屋の見せてください」
努めて冷静を装うとするも早口になっているし顔が赤い。
「むしろ、これからそれを女性に見られるというのに、どうしてそんなに清々しい顔のままなんですか」
「見られて困るもんじゃないし、俺たちの業界なら持っていて当然だ」
当たり前のように言えば美月が呆れた風に嘆息した。
「本当に、貴方って大胆ですよね」
「一緒に住む相手にいちいち隠し事してどうする。つうか、最初から知ってた方があとから面倒ごとにならんで済むだろ」
「それはそうですけど……でもやっぱり、少しは恥じらいを覚えた方がいいと思いますよ」
「いやーん恥ずかしいやだお部屋見ないでぇ」
「私が悪かったですね」
晴の棒読みに美月が観念した。
そんな一幕がありつつドアを開ければ、美月が一歩足を踏み入れる。
「これが、小説家の部屋ですか」
「仕事部屋じゃねえし、そんな感慨深く言われても何もねえぞ」
美月は目をキラキラさせているが、本当に成人男性の部屋らしい部屋だった。
それなりに小奇麗で、それなりに物が散乱していて、ベッドは今朝起きてからそのままでぐちゃぐちゃになっている。
作業机にはゲーミングPCが置かれていて、晴の身長と遜色ない本棚には漫画本や小説、それと、
「う、当然のように置いてありますね」
「男だからな」
美月が顔を赤くして恥じらうように指摘すれば、晴は躊躇うことなく成人向けの本を見つめた。
「普通に面白い作品ばっかだから、読みたかったら貸してやるぞ」
「どうして貴方は女性に易々とエロ本をオススメできるんですか……」
「俺たちの界隈はこういうのが普通だから」
「貴方の偏見じゃないんですか」
「ご想像にお任せする」
いちいち応えるのも面倒なので早々に切り上げようとすれば、美月は依然と厳しい視線を向けていた。
「……女性の人と、こういう話したりするんですか」
「それが仕事だからな。俺のラノベのイラスト担当の人が女の人で「この子もうちょっとエロく描きたいんですけど⁉」って意見されることがある」
ライトノベルに挿入されている絵、挿絵と呼ばれるものは、編集者とイラストレーターと作家で挿絵の方向性を決める。
どのシーンを使うかとか、このシーンの絵のテイストはもう少しこうして欲しいとか、まずは編集者がシーンを抽出して、それを作家である晴が意見を出す。
編集者と作家側で合意が取れれば、今度はそのシーンをイラストレーターに伝えてラフを貰う。それをまた晴と編集者で話し合って、イラストレーターへ打診。ラフから下絵、そして清書へと完成させていくのだ。
「俺の作品はエロの描写少ないけど、慎の方はかなりあるな」
晴の作品はどちらかと言うと、ヒロインの可愛い仕草や足や胸の谷間を強調したフェチ要素が強い。後者は完全にイラストレーターの趣味全開なだけだが。
一方の慎は、現在刊行している作品ジャンルが『異世界もの』だけあって純粋に性的描写を含めた挿絵が多い。
男性ウケにはエロという描写は切っても切り離せないものであり、エロティックも作品を魅了させる大切なテイストの一つなのだ。可愛い子が性に乱れるのは興奮するだろ。
更に赤裸々に語ってしまえばコンプライアンスに引っかかる気がするのでそろそろ引っ込めつつ、晴は成人向けを凝視する美月に聞いた。
「こういうの見たことないのか?」
「……当たり前じゃないですか」
「へぇ。でもお前、男ともうヤッてるだろ」
「……ぶふっ⁉」
しれっと言及すれば美月が吹いた。
「なな何を言ってるんですか⁉」
「いやだから、お前、もう他の男とセックスしてるだろ」
「セッ……」
「随分とまあ初心な反応だな」
美月が茹った蛸のように顔を真っ赤にする。
腕で顔を隠しながら、美月が吠えた。
「なんでっ、そんな事分かるんですかっ」
その反応ですでにバレバレだが、晴はお望みとあらばと説明した。
「理由は二つだな。一つはお前が妙に男慣れしてること。初めて会った時から、お前は俺に対してかなり慣れが見えた。基本、男とあんまり話さない女性って最初はどうしてもぎこちなさが見えるはずだけど、お前にはそれがなかった」
「……貴方だって、私と普通に話してたじゃないですか」
「俺は仕事の都合上で女性と絡むこと多いしな。今の作品のイラスト担当者も女性だし」
端的に告げれば、美月が「女性」と僅かに頬を膨らませた。
それには構わず晴は二つ目の説明をする。
「二つ目はこの部屋に入った様子だな。あんまり緊張してなかったし、それなりに男の家には何度か行ってたんだろ。高校生じゃラブホは入れないからな。ヤるのはもっぱら男の家か」
「……貴方の観察眼が怖いです」
美月が観念したように吐息した。どうやら晴の推測は正しいようだ。
ただ癖なのか、どうしても最後まで言いたくなってしまって止まらなかった。
「年齢と変に小慣れた感じを鑑みても付き合った男の回数はざっと三回くらいか……一回目はたぶん中学生……中学生でそういう関係になるのはイマドキ珍しくないらしいが、お前の性格だとたぶんそういう関係にはならなかったはずだ。だとすると、初経験は高校一年生の夏くらいか。思春期真っ盛りだし、男側が初めてカノジョが出来たとなると相当浮かれるはずだ。男の家に寄って、勢いと雰囲気と好奇心でついやっちゃったって感じだな」
「本当になんでそんな事まで分かるんですか⁉ 私のストーカーでもしてたんですか⁉」
美月が耐えられなくなって絶叫した。
これ以上余計な事を喋るな、そんな圧すら感じられる美月の形相に、しかし晴はいつも通りの顔で答えた。
「いや、恋愛小説を書くもののとしての推測だ」
あとは晴自身の観察眼と言ったところか。
「理由はざっとこんなもんだな。どうだ、当たってるか?」
少しの好奇心を交えて答えを求めれば、美月の視線が鋭くなる。
「知って、貴方は嫉妬とかしないんですか」
「は? なんで」
質問の意味が分からず小首を捻れば、美月が「だって」と前置きして、
「普通、相手がどれくらいそういう事をしたのかって、聞くの嫌じゃないですか」
「一般男性はたぶんな。ただ、俺には当てはまらんな」
美月の言葉を反芻して己の胸中に問いかけても、不快感は訪れない。
「貴方って感情死んでるんですか?」
「ちゃんと好奇心が働いてるから生きてるぞ」
一瞬、美月の指摘に口ごもりそうになるもどうにか言い返す。
答えれば美月はこれ以上引き延ばしても逃れることは不可能と悟ったのだろう。恥じらいながら、視線を落として白状した。
「……貴方の言う通り、もう経験済みですよ」
「ふーん」
「嫌じゃないんですか? 私が処女じゃないの」
「なんで付き合う相手が処女じゃないと駄目なんだ。そんな拘りない」
それは本音だ。相手が経験済みかそうじゃないかなんて、晴にとっては心底どうでもよかった。
優先すべきは家事ができるかできないか。その点で言えば、まだ同居初日ではあるが美月は無事、晴の要望通り応えてくれている。実際、美月の料理は美味しかった。
「……なら、貴方は童貞なんですか?」
「あ?」
思考に割り込んで来るように問いかけた美月に眉根を寄せれば、美月は「ですから」と語気を強くしてもう一度言った。
「貴方は童貞なんですか」
先程の意趣返しのつもりだろう。
挑発的な視線を送る美月に、晴は何故か自信満々で答えた。
「言ったろ。俺は恋愛経験ゼロだって」
「例え恋愛経験ゼロでも、そういう行為自体はしているかもしれないじゃないですか」
一理あるな、と頷いた。
しかし、美月の質問はまったくの愚問だった。
「俺は恋愛経験ゼロでちゃんと童貞だ。これで満足か」
二十四歳で童貞宣言するのは抵抗がいるのかもしれないが、相変わらず晴は心底どうでもよかった。
「俺は好きな相手としたい。そして、俺はそんな相手に一度も会った事がない。だから恋愛経験がゼロでセックスをした経験もない」
「なのに、恋愛小説が書けるんですか」
「不思議だよな」
女性を抱いた事が一度もなくても、恋愛経験ゼロでも、存外読者を興奮させる描写は書けるものだ。最も、それは晴が一番不思議に感じているが。
それも、ここにある成人向けの資料が可能にしているからなのだろう。
「……興味がないとか、そういう訳じゃないんですよね」
意外とこの手の話題を止めない美月に内心驚きつつ、晴は「そうだな」と一考した。
「興味があるかないか、で言えばあるな。結局、経験に勝るものはないから」
「じゃあ、私が今すぐにさせてあげる、と言ったら」
「そういう馬鹿な事を言うのは止めろ」
少しだけ語気を強くして言えば、美月がびくっ、と肩を震わせる。
「俺をそこらの性欲野郎どもと一緒にするな。同意があろうがなかろうが、俺は好きでもない女は抱かない。ましてや、今のお前みたく挑発でさせようとしてくる女は正直好みじゃない」
「……ごめんなさい」
溜息と呆れを含めた声音に、美月はようやく自分がどれほど愚かな提案を持ち掛けたのか理解すると謝罪した。
ふぅ、と重い吐息を吐けば、
「分かればいい。俺は、お前にはそういう行為を求めてない」
「それは、ずっと、ですか」
「知らん」
一緒に過ごしていく内に、もしかしたら美月に本当に惹かれて手を出すかもしれない。
でも今はまだ、晴は美月を『利害が一致している同棲相手』としか思えていないから。
「仮に、お前が俺にキスをして欲しいなら、まずは俺をその気にさせるんだな」
と挑発するように言って、子どもを構うように頭に手を置く。
「……その言葉、覚えていてくださいね」
上目遣いで言い返した美月に、晴の心臓の鼓動は高まりもしなかった。
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