第9話 『 実質嫁の手料理 』
初めて使うキッチンに苦戦しながらも三十分。暇つぶしに本を読む晴の元に、続々と料理が並び始める。
もくもくと立ち込める湯気が鼻孔を擽って、そういえば空腹だった事を思い出せばお腹がくぅ、と音を鳴らした。その様をエプロン姿の美月に見られて少し恥ずかしい。
最後に炊き立ての白米と美月が座るのを合図にして、晴の前に献立が並んだ。
「さ、食べましょうか」
「ん」
ぱたん、と本を閉じれば手を合わせて、
「「いただきます」」
声を揃えれば、晴は箸を持って早速お味噌汁を口に運んだ。
晴が食べる様子を美月が身構えながらじぃ、と見ていて、気まずくも一口飲み込めば思わず温かい吐息が零れる。
「うめぇな」
「良かった」
晴の素朴な感想に、美月が胸を撫で下ろした。
「お前、本当に料理できるのな」
「心外ですね。嘘なんて書きませんし言いません」
「いや、実際分かんねぇぞ。男にモテる為に嘘で載せる奴もいるだろ」
「そんな卑怯な手を使ってまで恋人は募集してませんから」
ツン、とした声音で言って美月も味噌汁を呑めば「おいし」と可愛らしく自賛した。
ふーん、と生返事の後に、今度は注文した焼き魚に手を付ける。
外はカリッと弾力があって中は身がふんわりとしている。端で切った身から湯気が立ち上れば、それがまるで早く食べてくれと魚が訴えているように見えた。
はむ、と一口食べればいい塩梅の塩気が口内に広がった。
「うま」
「ふふ」
もう一度胸中の感想が零れれば、美月が母親のような柔和の笑みを浮かべた。
「めっちゃ米と合う。……お前って米は硬め派なの?」
「どちらかと言えば、硬めがいいですね。柔らかいと消化にはいいですけど、お米を食べてる感じがしなくて……あ、もしかして、貴方は柔らかい方が良かったですか」
「そういう拘りは特にない。けど、こっちの方が食ってるって感触があるから好きだ」
「分かりました。それじゃあ、ご飯は硬めで」
「米って柔らかさ調整できんの?」
料理を全くしない人間らしい意見が出れば美月が親切に答えてくれた。
「はい。水量と焚く時間で調整できますよ。これくらい常識では?」
「そんな常識俺の辞書にはない」
「なら良かったですね。小説に使えますよ」
「グルメ小説って面倒くせぇんだよな」
しかめっ面で言えば、美月が「そうなんですか?」と目をぱちぱちさせた。
晴は魚と白米を掻き込みながら、
「実際に作ったり、資料の為に店に行かなきゃならないんだよ。あと味をいちいちメモして、どうすればキャラクターが料理を食べているように見せるか文章も工夫する必要がある。グルメ小説じゃなくても、ご飯を食べるシーンはどの作中にも描かれるし皆それなりに調べて工夫を凝らしてる。俺的には、料理シーンの描写が細かい作家は全員文章が上手い」
饒舌に語れば、美月が呆気取られたように口をぽかんと開けていた。
「そうなんですね。私、小説は割と読むほうですけど、そんな工夫がされてるなんて知りもしませんでした」
「むしろ俺は現代のJKが小説読んでる方に驚いてるぞ」
晴の言葉に美月が苦笑した。
「確かに、教室でも休み時間に本を読んでるのは数人ですかね」
「だろ」
美月は大人しい方なので、残りは美月と同じタイプの女子かオタク男子だろう。
オタク男子はラノベを休み時間のマストアイテムにしている。ソースは晴だ。
「ま、今時何処見ても皆スマホ弄ってるからな。この前仕事で渋谷に行ったら全員画面に夢中で流石にゾっとしたわ」
「時代ですね」
「時代だな」
互いに苦笑を交わす。
本を趣味で読む人は、時代の流れと共にどんどん減っている。それは出版社の売り上げ事情から鑑みても明瞭だし、漫画と比べたらどうしても読み易さには劣ってしまう。
そんな中でも本を好きと言ってくれる人たちがいるから、晴たち小説家はいるのだろう。
そこそこの人気があって、それなりに稼ぎがあって、今は美月という婚約者が目の前居る。
「(ラノベみてぇだな)」
自分が決して、彼らのような主人公のような器ではない事は理解しているが、それでもこの瞬間、そんな風に思ってしまった。
「どうかされました?」
「いや、なんでも」
美月が顔を覗き込んできて、晴は首を横に振る。
そんな晴を美月は見つめながら鼻息を吐くと、
「何考えてるかは知りませんが、早く食べないとせっかくの温かいご飯が冷めてしまいますよ」
「うるせ。言われなくても食べるわ」
ずず、と味噌汁を飲み込みながら言った美月に、晴は口を尖らせてご飯を頬張るのだった。
「(誰かと食うご飯て、こんなに美味しかったっけ)」
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