第8話 『 ご飯、一緒に食べようと思って 』
『 「私は傑くんの傍に居られるなら全部捨てられるよ」
詩音の言葉に傑は息を呑んだ。
「何言ってるんだ。そんなの、冗談でも言うの止めろ」
「冗談じゃないよ。家族だって、友達だって、キミがいれば何もいらない」
真っ直ぐに見つめてくる金色の瞳に、傑は彼女が冗談で言っているのではないのだとすぐに理解した。
「それでも、俺はもう詩音とは一緒にいられない」
「どうして⁉」
「……俺とお前とじゃ、どうしたって釣り合わないんだよ」
詩音の言葉も待たず、傑は別れを言い渡す。
「詩音と付き合えたこの2年間は、俺にとって大切な時間だった。今まで、ありがとう。詩音」
「待って! 嫌だ、嫌だよ傑!」
去ろうとした傑の袖を詩音が掴んできて、傑は奥歯を噛んで吠えた。
「放せよ!」
「――ッ!」
振り返れば詩音は大粒の涙を流していて――それが胸を抉るほどに締め付けてきた。
「(ごめん。ごめん詩音)」
それでも、傑はその場に崩れた詩音を置いて去っていく。
奥歯をギリッ、と噛みしめれば、じんわりと血が滲む味が広がった。
胸が痛くて、堪えていた涙があふれ出した。
詩音と別れたくないに決まっている。
それでも別れる事を決めたのは、これが彼女の未来の為だから。
二人で笑い合った廊下を、傑は今一人で涙を流しながら歩いていくのだった――。 』
「ふぅ」
エンターキーを押して深く吐息すれば、晴は保存してパタン、とノートパソコンを閉じた。
「んぅ。とりま、キリの良い所までは書けたか」
現在刊行している作品『微熱に浮かされるキミと――』との次巻にあたるラストシーンを書き終えて、やっと峠を越えたと胸を撫でおろす。
これまでお互いを支え合っていた主人公とメインヒロインが唐突に別れるのがこの巻のコンセプトで、その通りに書けたと我ながらに自負していた。
この作品は晴のデビュー作でありネットに上げていたものだが、この話はまだ上げていない。つまり、ファンたちは、この展開を知らないのでさぞ驚く事だろう。
吉と出るか凶と出るかは読者に届くまで分からないが、内容からしても編集者から修正するような箇所は今のところ見つからない。
あとはもう一度見直してそれから担当者に送るか、とスケジュールをざっと決めれば、晴は三時間ぶりに仕事部屋から出た。
そして扉を閉じれば、晴は目を瞬かせた。
「……お前、何してんの」
眼前。ダイニングテーブルに座っている美月に向かって問いかければ、彼女はようやく晴の存在に気付いたのか読んでいた本から視線を外した。
「あ、終わりましたか」
「一応……」
まだ状況が上手く飲み込めていない中で美月の元まで寄れば、ぱた、と本が閉じる音が響く。
「そうだ。リビングにある本、勝手に読んでもよかったですか?」
「あぁ。構わない……いや、それよりお前メシは?」
晴の問いかけに、美月はにこりと笑うと、
「ご飯、一緒に食べようと思って」
「なんで」
「そっちの方が貴方を知れると思って」
真っ直ぐにそう答えられて、晴は思わずたじろいでしまう。
「そんなことする必要あるのか」
「ありますよ。これから一緒に住むのに、何も知らないままではどうやって生活すればいいか困りますから」
「勝手にやっていい、って言っただろ」
「それでも、です。思えば私、貴方から食の好みを聞いてませんでしたから」
確かに言ってなかった。
「それで、どんな料理が好きですか?」
「お前あれか、何でも作れる系女子なのか」
「いいえ。ただネットで調べれば大抵はレシピが載っているいますから。それを見れば大体作れます」
「すげぇな」
感嘆すれば、美月は「そうでもないですよ」と照れもなく応じた。
それから、美月はほんのりと淡い笑みを浮かべると、
「それに、貴方が仕事をしているのに、一人で勝手にご飯を食べるのは気が引けましたから」
「大和撫子かお前は」
「そこまでお淑やかじゃありませんけど」
否定されるも、晴は美月をそう評せずにはいられなかった。
今時、相手の仕事が終わるまで待つ人間なんてそうそういないはずだ。互いに多忙で、それこそ夫婦であっても食事の時間がバラバラな家庭なんてそこら中にある。
しかし美月は、晴を慮り自分の時間を削ってまで晴と食事を取る事を選んだのだ。
「……お前、本当に十六か?」
「えぇ。十六ですよ」
成熟した性格であることは既知してていたが、本当に高校生かと疑う程には美月の性格は達観していた。
これでは大人の晴の方が子どもみたいだった。
「はぁ」
と深く息を吐くと、
「今から昼食って、もう十五時だぞ」
「いいんじゃないですか。休日ですし、たまには遅くても」
美月に言いくるめられているみたいで、むず痒かった。
「……メシ、今からなら何が作れる」
拗ねた風に訊けば、美月が目を見開いたあとにくすりと口許を緩めた。
「さっきスーパーに行ってきたので、お肉とお魚は買ってきました」
「……じゃあ、魚がいい」
「分かりました。焼き魚でいいですか」
「食えるなら何でもいいよ」
仏頂面で言えば美月が「分かりました」と口許を緩めたまま頷いてくれた。
それから早速料理に取り掛かろうとする美月に、晴は――
「……せる」
「? 何ですか?」
美月が眉根を寄せて聞き返してきて、晴は居心地悪そうに頭を掻くと、
「だから、これからは食うタイミングは合わせる」
「別に執筆優先でいいですよ」
「プロを甘くみんな。執筆の時間くらい、調整なんていくらでも出来る」
口を尖らせて言えば、美月は驚いた後、ふふ、と微笑みを浮かべた。
「分かりました。ご飯は一緒に食べる、という事で。反論は受付ませんからね」
「うぐっ」
勝ったような、してやったりといったような、そんな笑みを浮かびながらキッチンに向かった美月に、晴は肩を落とした。
「あぁ。クソ、なんか負けた気がする」
晴は『美月は意外と強かな女』と脳内メモに書き留めるのだった。
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