第161話 『 妻としかしちゃいけないこと、したくありませんか? 』
――休日、その夜。
「苦しい」
「とか言って嬉しいくせに」
抱きついてくる美月が耳元で悪戯に囁く。
「ていうか、なんで抱きついてるんだ」
「なんでって……明後日から私は四日間もいませんし、その妻がいない時間分の充電をさせてあげてるんですよ」
「べつに寂しくないぞ」
「むぅ。酷いことを言う旦那さんにはこうです」
「いはいいはい」
ぷりぷりと怒った顔をした美月が頬を抓ってきた。
本人は加減しているのだろうが、晴としては長い爪が肉に食い込んでいるせいで予想以上の痛みが襲っている。
「分かった。寂しい。寂しいです」
「分かればよろしい」
降参と吐息交じりにそう言えば、美月はご満悦気に微笑んで手を離した。
「じゃあ、充電再開しますね」
「飽きないなお前も」
ぎゅうー、と言いながらまたハグしてくる美月に、晴は辟易としながらも腕を背に回した。
「どちらかと言うと、俺よりお前の方が充電したいんじゃないか?」
「そ、そんなことありませんけど」
「露骨だな」
分かりやすく狼狽えたので、どうやら図星らしい。
「ほ、ほらっ、つべこべ言わず妻に充電されてください。注がれた愛情はしっかり返しますから」
「いっそ過充電にしたらどうなるんだろうな?」
「私がパンクしたら、貴方もパンクさせますからね」
「ほう? それは面白そうだ。いったいどんな手を使って俺を照れさせてくれるんだろうな?」
ニヤニヤ、と悪い笑みを浮かべれば、美月が「イジワル」と顔を朱に染める。
「私が自爆するの知ってるくせに」
「自爆するのも含めてお前の良さだな」
「何それ全然嬉しくないんですけど」
晴を揶揄おうとして、そして結局カウンターを喰らって顔真っ赤にするまでが甘えてくる美月の一連のセットだ。それが、晴にとっては心底面白くて、そして愛しい。
その想いが溢れるように、手は無意識に綺麗な黒髪を撫でる。
「ふふ。貴方に頭を撫でられるの、好きかもです」
「エクレアも好きだったな」
「貴方は頭を撫でて気持ち良くさせる才能があるのかもしれませんね」
淡く微笑む美月に、晴は『どんな才能だよ』と内心で苦笑する。
ただ優しく、慈しむように撫でているだけ。それだけで安らぎを与えられるなら、晴としても満更ではなかった。
「しっかり充電しとけ」
「はい。そうさせてもらいます」
「やっぱ自分が充電したかっただけじゃねえか」
「しまった⁉」
すっかり無警戒になった口からぽろりと本音が零れてしまって、美月は愕然とする。
晴の腕の中で狼狽する可愛い妻に微笑を浮かべると、
「好きにすればいい。俺も、しっかり充電させてもらうから」
「なんだ。やっぱり貴方も私と離れるのが寂しいんじゃないですか」
「少しだけな。少しだけ」
「ふふ。素直じゃない人」
バツが悪い顔をすれば、美月は口に三日月を描いた。
それから、美月はより強く体を密着させてくると、
「ね、晴さん」
「なんだ?」
「寂しくなったら、電話してもいいですか?」
「いいぞ。夜は大抵暇してるだろうし」
「貴方のことだから執筆してるんでしょうね」
晴の先の行動までお見通しな妻に、晴は「どうだろうな」と苦し紛れに言い逃れする。
「執筆してもいいですけど、無茶はしないように」
「分かった。気を付ける」
「まぁ、エクレアがいるから大丈夫だと思いますけど」
四日ほど美月がいないと知れば、エクレアはさぞ大歓喜だろう。美月が修学旅行中は、エクレアが晴を独り占めできるから。
「エクレアにご飯は……心配ないですね。あの子、晴さんからじゃないと絶対食べないので」
「早くお前があげても食べて欲しいものだ」
「一生掛かっても無理な気がします」
「ネバーギブアップの精神で向き合え」
我が家のお嬢様(猫)は、未だに晴が用意したご飯しか食べようとしない。どこまで美月が嫌いなんだ、と呆れるものの、彼女にも彼女なりのプライドがあるのだろう。
「エクレアの心配は無用ですけど……やっぱり貴方の心配は尽きませんねぇ」
「杞憂だ。俺だって一人暮らししてた期間長い方だし、それに何かあったら慎を呼ぶ」
「慎さんだって用事があるでしょう」
「泊まっていい、と言えばアイツは大抵来るぞ」
「尻軽男」
それはどちらを指しているのだろう、と疑問に思ったものの、美月の背中から凄まじい圧を感じたので聞かないことにした。
そんな胸中を悟られぬように、晴は平然を装って言う。
「ともかく、俺のことは心配すんな。こうして、お前がいない時間分の充電もさせてもらってるしな」
「たーんと甘えてください」
「ならお言葉に甘えるか」
ぎゅっ、と強く抱きしめれば、胸に言い知れぬ温もりが広がっていく。
これだけで十分。けれど、妻はそんな晴に問いかけてくる。
「これだけで足りますか」
「……足りない、と言ったらどうするんだ?」
わざとらしく問い返せば、美月は「分かってるくせに」と口を尖らせる。
それから、ゆっくりと顔を上げれば、紫紺の瞳は真っ直ぐに晴を見つめていて。
「ハグだけじゃない。キスとかそれ以上――妻としかしちゃいけないこと、したくありませんか?」
「そうだな。夫婦でしかできないこと。するか」
「えぇ。しましょう。しちゃいましょう」
ゆっくりと、甘い香りが近づいて来る。
それは何度でも嗅いでいられて、何度でも誘われてしまう――そんな魔性の花に。
「「――んっ」」
晴は今宵も魅かれてしまうのだった。
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