第162話 『 本当に奥さんが大好きな人ですね 』
「くあぁぁ」
いつもより早い時間に起きたので、自然と大きな欠伸がもれる。
そんな様子を妻はニコニコと微笑みながら見ていて。
「こんなところまで付いて来るなんて、本当に奥さんが大好きな人ですね」
「うるせ。ちょっと、ほんの少し心配なだけだ」
「うふふ。そういう割にはこうして朝早く起きたくせに」
美月に頬を突かれながら指摘されて、晴はバツが悪そうに口をへの字に曲げる。
本日は美月の修学旅行で沖縄に向かう日。そして、晴はそのお見送りとして今彼女の隣にいる。
「悪いな。車持ってたらもう少しゆっくりさせられたんだが」
「構いませんよ。晴さん車持つ理由ないじゃないですか」
「そうだな。免許取るのも面倒だ」
「言うと思った」
淡泊に言えば、美月は呆れながらもくすくすと笑う。
「でも、将来的にどっちかは車持っても損はなさそうですね」
「その場合はお前が頼むわ」
「えぇ。そこは普通、貴方が免許取るべきでは?」
「必要ない」
「本当に貴方という人は……」
どこまでもブレない晴に、美月は感心したような辟易としたような吐息をこぼした。
「恋愛面に関しての成長は著しくて結構ですけど、その気概をもう少し日常方面でも見せるべきでは?」
「俺はこのくらいが丁度いい」
昨今。何もかもが目まぐるしく回っていく時代だ。だからこそ、晴はこのゆったりとした時の流れに身を乗じていたかった。
そう言えば、美月は穏やかな笑みを浮かべていて。
「貴方の生き方は自由でいいですね」
「小説家は自由でなきゃ発想なんてできないんだよ。むしろ想像してたいから自由なまである」
「我が道を行く人ですねぇ」
美月が何度目かのため息を落とした。
「一応聞きますけど、家に帰ったらすぐに小説に取りかかる気じゃないですよね?」
「早く起きたからまだ眠い。とりあえず、エクレアと一緒に朝ご飯食べて寝る」
「私がいないと貴方すぐに自堕落になりそうですね」
「詰まった予定もないしな。たまにはいいだろ」
と言えば、美月はなんとも言えない表情になる。
「はぁ、やっぱり貴方を置いていくのは心配かも」
「心配すんな。お前がいなくともしっかり家の掃除はする」
「貴方に出来ますかねぇ」
「バカにすんな。子どもでもできるだろ」
口を尖らせれば、晴を揶揄う美月はどこまでも楽しそうだった。
「なら、私は気にせずに羽を伸ばしてきましょうかね」
「そうしてこい」
一歩、晴より前に出た美月がくるりと踵を返すと、たおやかな微笑みを向けてきた。それに、晴は微笑で応える。
学習の一環ではあるが、美月には友達と楽しい四日間を過ごしてもらいたい。
「晴さん、お家に帰ったら、たくさん思い出話してあげますからね」
「分かったよ。寝るまで聞いてやる」
「ふふ。寝かせるつもりはありませんよ?」
わざとらしく、上目遣いでそう言ってくる美月。
愛い奴め、と内心で呟きながら、晴は手を扇ぐと、
「ほれ、友達が待ってるぞ。行ってこい」
「はいはい。それじゃあ」
一拍。息を継ぐと、美月は可憐な笑みを魅せて――
「行ってきます。貴方」
「おう。楽しんで来い」
数百メートル先に、美月と同じ制服の子たちが見える。その子たちがこちらに手を振っていて、美月は晴に背を向けてそちらへ歩き出していく。
美月の背中を見届けながら、晴は少しだけ寂しさを覚えるのだった。
「……さ、俺も家に帰るとするかな」
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