第160話 『 やだっ。奥さんがいるのに他の女を口説くなんて悪い人ですね 』
美月たち学生が修学旅行で和気藹々としている中で、大人である晴はというと、担当編集者である文佳と会議をしていた。
「それでハル先生、新作の方はどんな感じですか?」
「色々とプロットはあるんですけど……あまり納得のいく作品がなくて」
【微熱に浮かされるキミと】の会議は終わり、今は新作の件について文佳に相談していた。
用意していたプロットをいくつか渡すと、文佳は「ふむ」と真剣な顔でそれらを拝見していく。
見比べること数十分。
「ハル先生としては、どの作品が一番手応えを感じていますか?」
「一番はダークファンタジーのやつですかね」
「ええと、これですね。……【破滅に誘う
これは以前、美月との食事中に思いついた話だ。その時に面白そうだと思って以来、暇つぶし程度に【あらすじと冒頭】を書いたのだが、晴の予想以上に面白く、深みのある作品が書けたと手応えを感じていた。
「……ふむふむ。異世界からの侵略者に唯一対抗できる少女たちと契約し、イチャイチャ要素もありながら硬派なバトルもあると」
「書籍化した作品で一度も戦闘描写は書いたことはないんですけどね」
「いいんじゃないでしょうか。ハル先生の挑戦、という意味も含めて連載する価値は十分にあると思いますよ」
「そう言って頂けると嬉しい限りです」
文佳からは好感触を受け、晴はひとまず胸を撫でおろす。
しかし、文佳は「ただ……」と表情を硬くすると、
「ハル先生は既に〝ラブコメ作家〟という印象が多くの方に根付いてしまっていますから、この作品が受けるのかは分かりません」
「ですよね」
文佳の言葉に、晴もやはりか、と苦い表情を浮かべる。
人気になったが故に障害になるのは――『読者からのレッテル』だ。
特定のジャンルばかり出してしていると、やはり読者からは『この人はこういう作品を書く』や『このジャンルだから面白い』という
それに、名前が売れるからといって必ず成功する訳ではない。前述の通り、新たに連載した作品が不評であれば当然打ち切りになる。
「ハル先生はネット小説の方でも様々なジャンルを掲載されてますけど、やはり一番伸びているのは【恋愛もの】ですもんね」
「そうですね」
淡々と晴の作品を分析する文佳に、晴は苦虫を噛んだような形相になる。
いくら【稀代の天才作家】と呼ばれようとも、その実情はただのラブコメ作家なのだ。
晴にはすでに、読者から【ラブコメ作家のハル】というレッテルが張られてしまっている。これを覆すには、やはり刊行中の【微熱に浮かされるキミと】を越える面白い作品を書くしかないのだ。
「まぁ、新作発表もしていないですし、【微熱に浮かされるキミと】は依然として好調ですからね。焦らずじっくり新作を考えて構いませんよ」
「ありがとうございます。もう少し、自分の方でも検討してみます」
「はいっ」
頭を下げる晴に、文佳は穏やかな笑みをみせて承諾してくれた。やはり、彼女は頼もしい担当編集者だ。
「俺の担当者が文佳さんで良かったです」
「やだもうっ。奥さんがいるのに他の女を口説くなんて悪い人ですね、ハル先生は」
「いや、べつに口説いてるつもりはないんですけど」
ぽっ、と顔を朱く染める文佳に、晴はほとほと困惑してしまう。
身をよじる文佳に呆気取られながら、晴はふぅ、と肩で息を吐くと、
「挑戦……か」
今の自分の可能性を広げてみるのもアリかと、自分らしくない考えに口許を緩めた。
▼△▼△▼▼
「時にハル先生。奥さんとの結婚生活はその後どうですか? 主に不満とか愚痴とか」
会議も終わりに近づいた頃、唐突に文佳がそんな質問を投げてきた。
何故ネガティブ方面なんのだろう、と疑問に思うものの、晴は首を横に振ると、
「ありませんよ。いつも尽くしてもらって、妻の世話になっているので」
「そうなんですか……くっ。羨ましいぃっ!」
「? 何か言いました?」
「いえっ! 特に何も!」
一瞬、文佳の顔が般若のような形相になった気がするも、すぐにいつも見る彼女の顔に戻ったのできっと見間違いだろう。
「ま、まぁ、奥さんとの生活に不満がなければ何も問題ないです。はい」
編集者として担当作家を気遣うのは当たり前。そんな気遣いが伺える文佳に、晴は柔らかな笑みを向けた。
「わざわざ心配してくださってありがとうございます。でも、俺は美月がいるので大丈夫ですよ」
「うぐっ⁉ ……そ、そうですよねー。彼女、高校生なのに立派ですもんねー……はぁ」
文佳の真意を知らずに晴も「その通りですね」と苦笑を浮かべれば、文佳は引きつった笑みをみせた。はて?
「そ、そうだハル先生! 今晩一緒に食事なんてどうです⁉」
「はぁ、食事ですか」
パンッ、と手を叩いた文佳が唐突にそんな提案を口に出して、晴はふむ、と一考する。
「ほら、最近私たち、こうして直接顔を合わせて会議するなんて機会なかったじゃないですか」
「言われてみればそうですね。殆どリモートで済ませてましたし」
「ねっ。丁度いい機会ですし、ハル先生の小説のお話もっと聞きたいなー……なんて」
顔色を窺って来る文佳。おまけに「こちらの経費で落としますから」と気を遣わせてしまった。
晴としても久々に文佳と直接顔を合わせて会議をしたので、彼女の言う通りもう少し今後の予定について相談したい……と思いはする。
だが、
「せっかくの提案ですがすいません。今日は家で既に妻が食事を用意しているはずなので」
いきなり晩御飯はいらない、なんて連絡を送ったら、美月の悲しむ顔と拗ねるのが用意に目に浮かんだ。
なので、文佳のお誘いは心の底から嬉しくは思うのだが、今日は断ることにした。
頭を下げれば、文佳は狼狽して、
「そ、そんな。こちらこそハル先生の予定を鑑みずに提案してしまってすいません! そ、そうですよね。今はハル先生、奥さんがいるですもんね」
「えぇ。なので、食事に関してはまた今度お誘いして頂けると嬉しいです」
「……そう言われると何度でも誘いたくなっちゃう! いけないことなのにっ」
「? 何か言いました?」
「いえ何もっ!」
一瞬、文佳の顔から葛藤が垣間見えた気がしたが、すぐにいつもの顔に戻ったのできっと勘違いだろう。
「それじゃあ、今日はわざわざ本社にまで来ていただいてありがとうございます、ハル先生」
「いえ、こちらこそ、また作品について相談させてもらいます」
「私はいつでも待ってますからね!」
「はは。心強いです」
「はうっ。相変わらず素敵な笑顔っ」
胸を抑える文佳に「どうかしました?」と聞けば、彼女は険しい顔をしながら「なんでもないです」と苦しそうな笑みを浮かべた。
本人が言うなら大丈夫だろう、と思い、晴は文佳に一礼して会議室から出て行く。
エスカレーターに乗り、エントランスを出て、晴は出版社を後にする。
既に夏の気配は消えて、吹く風にも冷たさを感じるようになった。
そんな、街灯の灯る夜道を歩きながら、晴はぽつりと呟く。
「さて、今晩のおかずは何かな」
まるで子どものように、晴はお腹を空かせながら我が家に帰るのだった。
――――――――
【あとがき】
破滅に誘う週末人形が読みたい! という感想頂ければ読み切り版として書く予定です。たぶん30ページくらいはいけるか??
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