第180話 『 うまうま 』


「デートって……近くの公園まで来ただけだろ」


 美月の提案に乗って気分転換に外に出て見れば、行先は家から徒歩数十分ほどにある公園だった。


「ピクニックというやつですよ」


 両手にバケットを持ちながらはにかむ美月に、晴は「なんでもいいけど」と生返事。


 これで気分転換になるかは正直に言って微妙ではあるが、美月が晴を心配して提案してくれたのだ。ここは黙って美月に従うことにした。


「とりあえず休める場所探すかー」

「そうですね。今日はまったりデートしましょう」

「なら家でもよかったんじゃないか?」

「それだと味気ないし気分転換にもならないでしょう」


 普段とは違う場所で時間を過ごすのが気分転換だ、と語る美月に、晴はごもっともと苦笑。


 相変わらず気の利く女だ、と思いながら、二人はちょうど空いていたベンチに腰を置いた。


「……腹減ったな」

「もう、着いてすぐですよ?」

「とは言ってももう昼時だぞ」

「貴方はご飯を食べたら大抵の悩みは解決しそうですね」

「それでも解決しない問題と今直面してるんだがな」


 はぁ、と呆れた風に嘆息する美月に、晴は苦笑い。


「じゃあ、これ食べたら悩みも吹き飛びますかね?」

「どうだろうな」


 意地悪に問い掛ける美月に、晴も挑発的な笑みを浮かべる。

 たぶん、解決かその糸口が見つかることはないだろう。


 晴は今、ずっと迷宮の中にいるのだ。出口の見えない真っ暗な。

 それでも、


「人ってのは食わないと死ぬからな。それに、ストレスは小説家にとって天敵だ」

「貴方は小説が書けないことが一番のストレスですもんね」

「よく分かってるな」

「貴方の妻ですから」


 呆れた風に言った美月に、晴は苦笑。


 それから、美月は「仕方がありませんね」と諦観した風に肩を落とすと、太ももに置いてあるバケットを開けた。


「本当は運動とかしてから食べようと思ってましたけど、どこかの誰かさんがあまりに食いしん坊なので少し早く昼食にしましょうか」

「お前の作るものは何もかもが絶品だからな。早く食べたいって腹が訴えてくるんだよ」

「もうっ。調子のいいこと言って」


 子どものように催促する晴に、美月は母親のような表情を浮かべる。


 お母さん――ではなく妻から承諾を得てランチタイムになれば、本日のメニューはサンドイッチだった。


「まさかあの短時間でこんな美味そうなの作るとはな」

「明日の朝ご飯にしようと思って材料は既に買ってましたから。あとは家にあるものを具材にしました」

「それでこれだけの量を作るお前はやっぱすげぇな」

「ふふ。もっと褒めてください」


 簡単なものしか作れませんでしたけど、というわりに種類は豊富である。


 たまごにツナマヨネーズ、レタスとハム、そして鳥のそぼろのサンドイッチがあった。


 見るだけで既に胃袋を刺激してくる料理にくぅ、とお腹がなれば、美月は「食いしん坊さん」とくすくすと笑う。


「本当に子どもみたいな人」

「悪かったな」

「構いませんよ。いじけた顔も可愛いので」


 バツが悪そうにすれば、そんな晴の顔を美月は愛しげに見めてくる。

 それがむず痒くて視線を逸らせば、美月はもっと愉快そうに笑みを深める。


「ほら、さっさと食べるぞ」

「はいはい。それじゃあ……」


 いただきます、と二人は揃って手を合わせながら言った。


「どれでも好きなの食べていいですよ」

「じゃあこれ」


 美月に促されて、晴はぺろりと舌を舐めながら一番気になっていたそぼろのサンドイッチを手に取った。


 さっそく一口噛めば、舌に刺激が襲ってきた。


「ピリ辛だ」

「ピリ辛そぼろですよ」

「めっちゃ美味い」


 噛めば噛むほどに広がる鶏肉の旨味に、ピリッとした辛味が絶妙にマッチしていた。


 味付けはしょうゆとみりん、それと砂糖か。この程よい辛味は鷹の爪とラー油だろう。


 和、というより中華風な味付けがなんとも絶妙で、暴力的なまでに胃を襲って来る。


 一口、また一口と頬張っていけば、そんな美味しそうに食べる晴を眺めながら美月は自慢げに鼻を鳴らした。


「ふふ。どうですか、私が考案したサンドイッチのお味は?」

「お前のオリジナルか。店出せるレベルで美味い」

「もう、過大評価が過ぎますよ」

「正当な評価だと思うがな」


 やみつきになるとはこのことで、いつの間にか手に持っていたサンドイッチが胃に収まってしまった。


 もう一つ食べよう、と手を伸ばそうとすれば、


「ちなみにこれとたまごを混ぜたものもありますよ」

「何それ。絶対美味いだろ」


 既にこのピリ辛そぼろだけでも満足しているのに、それにたまごも混ざってしまえば絶品以外の何もないだろう。


 早くそれを食べたい一方で、けれどとっておきたいという贅沢な葛藤をしている晴に、美月は微笑を浮かべ続ける。


「本当に貴方の食べているところを見ていると頑張って作った甲斐がありますね。いつも美味しそうに食べてくれてありがとうございます」

「お前のメシは食べてて安堵する味だからな」

「私としては普通に作ってるだけですけどね」


 でも、と美月は紫紺の双眸を細めると、


「愛情はたくさん込めて作ってますよ」

「ならこの味はそれだな」


 晴の胸を安堵させる、そんなまじないようなものが美月の料理には込められている気がする。


 いつまでも飽きず、ずっと食べていたくなるような味。

 それはきっと、美月の温もりと優しさがそうさせるのだろう。


 自分の胸が、彼女の想いやりで満たされていく感覚。

 彼女の手料理はこれだから止められない。


「次は何食べようかな」

「はや。もう二個も食べちゃった」

「美味すぎて手が止まらん。……ツナもいいな」

「もう、ちゃんと水分も摂らないとダメですよ?」

「分かってる。ほら、お前も俺の世話ばっか焼いてないで早く食べろ。じゃないと俺が全部食べるぞ」

「全部食べたら胃が爆発しちゃいますよ……」

「構わん」

「いや構ってくださいよ⁉ ……はぁ、本当に食いしん坊さんなんだから」


 嘆息をこぼしながら、美月もようやくサンドイッチを食べ始めた。

 そんな美月に微笑を浮かべながら、晴も次のサンドイッチを食べ始める。

 ぱくっ、と二人揃って同じ具材のサンドイッチを食べながら、


「「うまうま」」


 と夫婦睦まじく吐息をこぼすのだった。

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