第54話 『 キスしてもらったの 』


「(晴さんからキスしてもらった。晴さんからキスしてもらった)」


 朝から気分は上々で、授業中も今朝の事を思い出しては頬が緩んでしまった。


 喜ぶのも無理はない。ずっと「好きだ」と好意を伝えられてはいたものの、約束は保留にされていたのだから。その理由も分かり、そして念願叶って晴の方からキスしてくれたという事は、晴は本当に美月を好きなったというこれ以上ない証明になる。


「……どうしよう。頭からずっと離れない」


 嬉し過ぎて、やっぱり頬が緩んでしまう。何度も、三度のキスを鮮明に思い出してしまう。


 煩悩を払えど払えど思い出し、美月の頭は正常に回っていなかった。


 ぶんぶん、と頭を振っていると、前の方から弾む声音が聞こえてきた。


「おやおや美月ちゃん。何やら嬉しいことでもあったのかね?」

「むふふぅ。これは乙女の匂いですなぁ」

「千鶴。可憐」


 にやにやと楽しむような声音に顔を上げれば、正面には友達の千鶴と可憐が美月の顔を覗き込んでいた。


「カレシさんと何かいいことでもあった?」


 そういえば二人には晴はカレシと誤魔化している事を思い出した。二人になら結婚している事を報告してもいいが、他の生徒たちに聞かれてはマズいので、申し訳なく思いつつも隠し通しておくことにした。


 友達に打ち明けられないジレンマを胸に押し留めつつ、美月はほんのり頬を朱に染めて視線を逸らすと、


「な、何もなによ……」


 噛んだ。

 必死に感情を抑えようとしたのが仇になって、上手く呂律が回らなかった。


「んもー。みっちゃんは相変わらず可愛いなー」

「愛い奴め。こうしてやるぅ」


 顔を真っ赤にする美月に、千鶴と花蓮が衝動を堪え切れず抱きしめてくる。

 やめてよう、とお願いしても、二人は放してはくれない。それどころか、


「で、やっぱりカレシさんと何かあったんだ?」

「…………」

「白状しろー」


 がっちりホールドされているので、逃げたくても逃げられなかった。罠だった。


「何もないって」

「嘘吐きみっちゃんだー」

「白状しないとこうだぁ」

「あははっ……二人とも止めてよ!」


 黙秘していると、二人は強硬手段を取って美月の脇腹をくすぐり始めた。


 堪え切れずに吹き出してしまって、我慢し切れず「分かったよ」と白旗を挙げればすんなり手を止めてくれた。


「でで、何があったの?」

「教えてけろけろー」

「ううっ……やっぱり少し恥ずかしいなぁ」


 ぐいっ、と好奇心いっぱいに瞳をキラキラさせる千鶴と可憐の圧に、美月は視線を泳がせる。


 ふぅ、と息を整えて、そして二人にだけ聞こえるように、白状した。


「……キスしてもらったの」


 赤を真っ赤にして答えれば、


「「………………」」

「なんでそんなに反応薄いの⁉」


 もっと「きゃー⁉」「えー⁉」とかリアクションしてもらえると思っただけに、二人の真顔が衝撃だった。


 驚いていると、千鶴は「え、だって」と頬を引き攣らせていて、


「みっちゃん。そんな乙女みたいな子だったかなと思って……」

「うっ」


 苦笑する千鶴に、美月は痛い所を突かれて呻いた。

 胸を抑えていると、千鶴の言葉を花蓮が肯定した。


「そうそう。前のみっちゃんはそんな事で動揺しなかったじゃん」

「それな。前に元カレの話を聞いた時、「キスしたけど、それはむこうがしたかったから」って凄く冷たい返しされたの私覚えてるよ」

「ううっ。それは……私もあんまり恋ってものを分からなかったから」


 晴と出会う前の美月は、ただ相手の欲求に従うだけだった。恋愛感情を知りたいから、そんな感覚で異性と付き合っていた。


 だが、今は明確に違う。


 晴と出会って晴を知り、晴という男性を好きになったから、手を繋いだりデートしたり、キスしただけで気分が舞い上がってしまう。


 自分がこんなに単純だとは思いもしなかったが、それを気付けたのも晴を好きになったからだ。


 ――人を好きになるって単純なんだ。


 どんなきっかけであれ、人を好きになる事は単純で良いと思った。そう思えたのも、晴のおかげだ。


 また、頬がにやければ、


「みっちゃん、変わりましたねぇ」

「そうかな……」


 思い当たる節があり過ぎるが、わざと否定した。

 そうすれば、千鶴と花蓮は感慨深そうに頷いて、


「なんか最近はずっと頬が緩んでるし、お弁当がいつにも増して美味しくなってるし、それになんだかさらに可愛くなった」

「そうかな!」

「「うわっなに急に⁉」」


 可愛い、という単語に過剰に反応すれば、二人は目を白黒させた。


「ご、ごめんねいきなり」

「全然いいんだけど……でもどうしたの?」

「な、なんでもないよー」


 無理矢理に作った笑みを浮かべて、美月は内心の高揚を誤魔化した。


 自分の容姿が整っている、というのはもはや自覚している。だがしかし、あの執筆バカこと晴はあまり美月を「可愛い」とか「綺麗だ」とか褒めてはくれないのだ。


 なので、ほんの少し容姿に対して悩んでいる時に、この二人からの「さらに可愛くなった」という賛辞である。


 それは美月にとって最大の励ましであり、同時にもしかしたら晴も同じ感想を抱いてくれるかもしれないという期待の表れだった。


 美月だって女だ。好きな人には可愛いと言われたいし、思われていたい。


 独占欲丸出しで子どもっぽい、そう自覚してなお、欲求は収まらない。


「(小説よりも私を見て欲しい。もっと、私を見て欲しい)」


 晴を自分に釘付けさせる事、それが最近の美月の目標だった。

 そんな美月に、千鶴と可憐は嘆息すると、


「みっちゃんもすっかり、〝恋した乙女〟ですなぁ」


 乙女心全開の美月に、二人はやれやれと肩をすくめたのだった。

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