第55話 『 僕は根暗陰キャ眼鏡野郎なので 』

 放課後。


「じゃあねー、みっちゃん」

「また明日~」

「うん。ばいばい」


 まだ他のクラスメイトと談笑している千鶴と可憐に手を振って、美月は教室を出た。


「(今日の夕飯は何にしようかな)」


 今日はバイトもないので真っ直ぐ帰ろうとした時だった。


「あ、あの……瀬戸さん」

「はい?」


 身支度を整えていると声を掛けられて、美月は顔を上げた。すると正面、そこには一人の男子がもじもじとしながら立っていた。


「ええと……金城くん、だよね」

「は、はいっ。そうです……名前覚えてくれてたっ⁉」


 何かに感動している男子――金城に美月はこてんと小首を傾げる。


 本名はたしか、金城冬真だったはずだ。出席番号までは覚えていないが、いつもクラスの端で本を読んでいる物静かな眼鏡男子だ。当然、同じクラスではありながらも金城とは何の接点はなかった。


 委員会も一緒ではないし、同じ帰宅部。学級委員でもない。


 そんな彼が美月に話しかけてくるのは珍しく、というか初めてかもしれない。


「何か私に用ですか?」


 美月は基本、男子には丁寧語で対応する。同年代の男子には過去の経験からトラウマ、というほどではないがそれなりに警戒心を抱いているので、常に壁を意識させている。それに、今は好意を持たれても困るだけだ。


 警戒心を孕んだ声音で問いかければ、金城はびくりと肩を震わせた。


「い、いえっ……あ、ええと……その、はい、いいえ……」


 明らかに怯えてしまった金城に、美月はなんだか申し訳なくなってしまった。


「(そういうつもりで話しかけた訳ではないのか)」


 狼狽した様子を見れば、気があるから話掛けた、という感じではない。どうやら、本当に美月に何かしらの用事があるらしい。


 ひょっとしたら先生に何か頼まれたのかもしれない、と顎に手を置くと、美月は険のある空気を弛緩させた。


「どうしたの?」

「――ぇ」


朗らかな笑みで問いかければ、金城は頬を朱に染めた。

そして、先程とはまた違う意味で狼狽すると、曇った眼鏡を拭きながら、


「ごめんなさい! べつにそういうつもりで話しかけた訳じゃないんです⁉」

「う、うん。分かったから。一旦落ち着こうか」


 両手を振って必死に弁明する金城に、美月はペースを狂わせられる。


「(なんだか申し訳ないなぁ)」


 晴の反応が乏しいので、こういう過剰な反応を見せられるとどう対応していいのか戸惑ってしまった。


 ぽりぽりと頬を掻きながら、美月は鞄を持つと、


「とりあえず、場所変えよっか」


 先程から周囲の視線が二人に集まってるので、居心地が悪い。たぶん、それは金城も同じはずだろう。


 落ち着いた場所に行けば金城も平常心を取り戻してくれるだろう、と思って提案すれば、金城は胸を抑えながら、


「……天使やぁ」


 と訳の分からない事を呟いていた。


 ▼△▼△▼▼



 場所を変えて、二人は近場のファミレスにて向かい合っていた。


「それで話って何かな? というより、もしかして学校で話さないといけない内容だった?」

「う、ううん! 全然学校とは関係ないんだ」


 慌てて否定する金城に「そう」と小さく頷きつつ、美月はとりあえずドリンクバーで入れたアイスカフェオレを啜る。最近は晴の影響で、美月も頻繁にカフェオレを飲むようになってしまった。


 やっぱり喫茶chiffonのコーヒーを使ったカフェオレの方が美味しいな、と思いつつも、美月はいまだ緊張している様子の金城に微笑みを向けた。


「金城くん、そんなに緊張しなくてもいいよ。私たち、同級生なんだし」

「はい! いいえ! ……あ、いやごめん」


 美月の笑みも、金城にとっては緊張の原因なようだ。


 ほとほと困った風に吐息すれば、金城は「あはあ」と後頭部を掻きながら苦笑して、


「僕、女の子とファミレスに来るのなんて初めてで……」

「そうなんだ」


 金城には申し訳ないが、確かに女子と面識は少なそうだと納得してしまう。


 それならば緊張するのも無理はないか、と思いつつも、最近は旦那のせいでその感覚も薄れてしまっていた。まぁ、あの男は妙に女慣れしているし、それに意外にも女性との交流は多いそうだ。噂によると晴の小説の担当イラストレーターも女性だそう。


 ちょっぴりむくれていると、金城の声に慌てて意識を目前の男子に戻した。


「ごめんね。キモイよね」

「え、べつに全然気にしてないよ。異性と話すのが苦手っていう人は多いし、それに私も男子と話すのは苦手だから」

「……天使やぁ」


 自分の事情も交えて金城の気をほぐそうとすれば、ぽっと頬を朱に染めてまた訳の分からない事を呟いていた。


 どちらかというと天使よりも小悪魔(晴限定)な気がするが、そこは意図的に無視して、


「ね、だから気軽に話してくれると嬉しいな」

「本物の天使だ⁉」


 柔和な笑みを浮かべれば、金城は恍惚的なものでも見るかのように顔を両手で覆って、そして叫んだ。


「ふふ。金城くんて意外と面白い人なんだね」

「そ、そんなことないよ! ……僕は根暗陰キャ眼鏡野郎なので」


 はは、と自嘲した金城に美月は頬を引き攣らせる。


 ひとまず金城に対して一定の信頼を置くと、美月は「それで」とストローでカフェオレをかき混ぜながら聞いた。


「そろそろ言ってくれてもいいんじゃないかな。私に話たいこと」


 金城の気をほぐせる為に意図的に脱線させていた本題を戻せば、美月の思惑通り緊張が弛緩した金城は「そ、そうだね」と頷いた。


「(あまり遅いと晴さんが心配する気がする。いや、でもあの人はしないか)」


 まだ外も明るいので、晴もそこまで心配はしないだろう。でも、早く会いたいのでなるべく早く話を終わらせたかった。


 たぶん重要なことではない、そう高を括りながら身構えていれば、ごくりと生唾を飲み込んだ金城が、真剣な声音で言った。


「僕さ、この間、見ちゃったんだよね」

「見ちゃった、って?」

「ほら、瀬戸さんが雨の日にカレシさんに迎えに来てもらってるシーンを」

「そうなんだ」


 どうやら晴が雨の日に美月を迎えに来た光景を、たまたま金城は目撃したらしい。


 しかし、それは他の生徒たちも目撃しているものであり千鶴たちからは散々馴れ初めやらどこまで進んでるのか吐かされたので今更気にしていない。


「(なんだ。そんなことか)」


 拍子抜けした、まさにその瞬間だった。


 バンッ、と金城が突然テーブルを叩いて、美月は肩を震わせた。


 何事か、そう目を白黒させると、硬直した美月に金城はグッと興奮した顔を近づけて、


「瀬戸さんのカレシさんて、もしかしてハル先生かな⁉」

「……ひょえ?」


 一瞬、何を言われたのか分からず素っ頓狂な声をこぼせば、金城は眼鏡をくいくいと動かしながら更に追及してきた。


「僕も傘を差してたし目が悪いからハッキリとは分からなかったけど、あの黒髪とあの整った顔立ちと背丈からして絶対ハル先生だと思ったんだよね!」

「ええと……」

「髪が跳ねてるのも前に見た時と変わらなかったし、近づいて聞いた声が凄くハル先生の声にそっくりだったんだよね⁉」

「ちょ、ちょっと待って金城くん!」

「それでそれで……」

「ストップ! ストップ金城くん!」


 饒舌に語りながら真実に迫りつつある暴走探偵を懸命に止めれば、美月の声に興奮していた金城がハッと我に返った。


 そしてすぐさまテーブルに頭を叩きつけて、


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい⁉」

「そんなマシンガンみたく謝らなくていいから⁉ 顔上げて⁉」


「浮気かしら」「修羅場ね」と美月と金城の話を痴情のもつれとでも勘違いした奥様がたからの視線が痛いので、今すぐ金城の顔を上げさせる。


 申し訳なさそうに顔を上げる金城に平常心を狂わされながらも、美月は深く息を吐いて問いかけた。


「もしかしてだけど金城くん、晴さんに会ったことあるの?」

「うん! 大ファンなんだ! サイン会にも行ったことがあるよ!」


 マジか。


「じゃあ、本当に晴さんに会ったことあるんだ」

「勿論だとも! かつてネットランキングで一位を獲得し、そこから超大手出版社にオファーされた【稀代の天才】に会えるなんて、そんなの死んでも行くに決まってるでしょ! むしろ行かないほうがファンとして失礼だよ! いつも最高の甘じれのラブコメを見させてもらってる身としては、ハル先生はもはやラブコメの神! ラブコメ神だからね!」

「圧が凄い。……金城くんが晴さんの大ファンだってことは凄く伝わったよ」


 晴への愛を豪語する金城に、美月は圧倒されて頬を引き攣らせる。

 キラキラとした無垢の瞳を向け続ける金城に、美月はふむ、と一考した。


「(まぁ、教えても大丈夫そうではあるかな)」


 晴の大ファンという言葉を信じるならば、晴にとって害を起こす事はないだろう。それに、金城のこの真っ直ぐな瞳を見れば否応なく信じたくなってしまう。


 今なお向けられる羨望の瞳を真っ直ぐに見つめ返すと、美月は晴との関係を明かした。


「そうだよ。私は小説家・ハルの恋人だよ」

「~~~~~~~~っ‼」


 打ち明ければ、金城は声にもならない悲鳴を上げた。

 それから数秒、自分の感情と葛藤するように、頭を抑えたり悶えたりテーブルを叩いたりしている様を流石に『気持ち悪いな……』と思いながら見届けていると、荒い息遣いを繰り返したままで感情を吐露してくれた。


「凄いね瀬戸さん⁉ まさか、本当にあのハル先生のカノジョとは思いもしなかったよ!」

「うっ……なにこの背徳感はっ」


 ただ純粋に美月に羨望をくれている金城に、美月は言葉にし難い感情を覚えてしまう。


 人気者の晴の為と美月自身の事情により、自分たちの関係はごく一部しか知らない。だからこそ芽生えてしまった、この〝もっと他人にも自分たちの関係を魅せつけたい〟という欲求は止まらなくなってしまう。


「(どうしよう。教えたい。言っちゃいたい。言っていいかな)」


 気が付けば、


「ううん。金城くん。今のは嘘」

「えええ⁉ どっちなのさ⁉」

「私はね……」


 美月の言葉に踊らされる純真無垢な少年。そんな幼気な少年に、美月は首元に隠していた結婚指輪を手繰り寄せて魅せつけると、


「私はね、晴さんの恋人じゃなくて――小説家・ハルの妻です」

「――――――」


 告げられた衝撃の事実に、目の前の同級生は暫く呆気に取られ、そしてようやく美月の言葉を理解すれば、口を金魚のようにぱくぱくさせながら、


「ええええええ――――――――――――――――――――――――ッッ⁉」


 とファミレス中に絶叫を響き渡らせるのだった。

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