第135話 『 猫にも貴方の観察眼が効くんですね 』
――その出会いは、ある通り雨の日だった。
「うー。 雨は降らないって予報では行ってたのに~~っ」
買い物帰りに分厚い雲を見かけて、嫌な予感がするなと思ったが的中した。
せめて家に着くまでは、と淡い期待をしたのも神様に見放されて、今はアスファルトを打ち付ける雨の中を走っていた。
家までの距離はまだ半分ある。干してある洗濯物は晴が気付いて仕舞うだろうが、びしょ濡れになって帰宅した美月に気を利かせてタオルが用意されているとは考え難い。
「(リビングにタオルが用意してくれてれば高ポイントだけど、出迎えてくれたらご褒美にマッサージしてあげようかな)」
ちなみに、家に帰って何も用意されてなければ今晩のおかずが一つ減る。
家に帰った時の旦那の行動を楽しみつつ雨の中を走れば――突然、視界に〝ある物〟を捉えた。
思わず足が止まり、それに振り向いた美月は目を瞬かせる。
肩で息を繰り返しながら、徐々に、それとの距離を縮めていく。
しゃがむ美月。その紫紺の瞳に映っていたのは――
『にゃぁぁ』
「……ネコだ」
土と雨で汚れた――一匹の白い猫だった。
▼△▼△▼▼
「……何やってんのお前」
気が利く旦那はバスタオルを持って出迎えてくれた。
美月は『後でご褒美をあげよう』と内心喜びつつ、表情は苦い笑みが滲んでいた。
「あはは。つい拾ってしまいました」
「お前ってやつは……」
はぁ、と辟易した風に嘆息する晴。
晴が呆れるのも当然だろう。下ろした視線の先。美月の両腕には、一匹の猫が抱きかかえられているのだから。
「なんてもん拾ってきてんだ」
「猫です」
「見りゃ分かる」
疲れたように吐息する晴に、美月の腕の中で猫が『にゃ』と鳴いた。
「大方予想は着くが、どうせ『段ボールに拾ってください』みたいなメモがあったんだろ。に加えて先の通り雨だ。濡れている子猫を見て、いても立ってもいられなくなったか」
「全部お見通しですね」
「たくっ。変に優しいやつだなお前は」
美月とこの子猫との邂逅を、まるで現場で見ていたかのように的確に言及する晴。美月はそれに感服しながら素直な肯定で応じた。
複雑な表情を浮かべる晴に、美月は申し訳なさそうにしゅん、と項垂れる。
「迷惑、ですよね」
「お前が悪い訳じゃない。問題があるのはコイツを捨てた元の飼い主だ」
淡々と言いながら、晴は持っていたバスタオルで美月――ではなく猫を拭いた。
「お前の分は後で持ってくるからここで待ってろ。まずは猫優先だ」
「そうですね」
自分より猫を優先されたが、それに腹立たしさは微塵もない。人間である美月の方が頑丈で、見るからに痩せ細っていて弱っている猫を保護することを晴は最優先にしたのだから。
その判断は妥当だ。
晴に拭かれている猫が気持ち良さそうに喉を鳴らしている様を見届けるも、胸裏には不安が広がるばかりで。
「この子、どうしましょうか」
弱々しい声音で呟けば、晴は表情一つ変えず淡々と言った。
「拾ったなら責任は持て。とりあえず、動物病院に連れてくしかないだろ」
俺も猫のことはちっとも分からん、と眉間に皺を寄せる晴。
「外に何日捨てられてたかは分からんが、この感じだとつい最近って感じだな」
「猫にも観察眼が効くんですね」
「これくらい誰でも出来るだろ」
いいえ、と首を横に振った。
少なくとも美月には真似できない芸当に感嘆していれば、晴は視線だけ美月にくれて、
「ご飯は置いてあったか?」
「はい。猫缶と、それに給水用の皿が置いてありました」
「量は?」
「両方とも空でした。ただ、お皿の方は綺麗でした」
そう答えれば、晴はふむ、と鼻息を吐いて、
「となると元の飼い主は何回かコイツの様子を見に来てるようだな。探し出せばわりと近くにいそうだが、拾ってくださいと書かれていた時点でコイツを飼えないのは明瞭だろ」
淡泊に言う晴だが、その瞳には猫に対する憐憫が見えた。
「良かったな猫。優しいお嬢ちゃんがお前を拾ってくれたぞ。家主の許可なしに」
「うっ。事実なのは認めますけど、そんなネチネチ口撃しなくてもいいじゃないですか。貴方のそういう、陰キャみたいな責め方直した方がいいですよ」
「お前はドストレートに罵倒してくるな。心が傷つくだろ。事実だから言い返せんが」
猫を挟んで睨み合えば、その猫が『んにゃ~』と鳴いた。喧嘩はダメ! と言われたみたいで、夫婦そろって猫に頭を下げた。
お詫びの印と丁寧に猫を拭く晴を心のアルバムに仕舞いつつ、美月は慣れない作業に手古摺る晴を見つめる。
「お前の分のタオルも持ってくるから、コイツ拭いててくれ」
「分かりました」
晴からタオルを渡されて、美月は一度両腕に抱えていた猫を玄関に降ろした。
脱衣所へ向かっていく晴の背中を見届けながら、美月はしっとりと濡れた猫を拭いていく。
「大人しい子」
『んにゃ~』
嫌な顔こそするものの、決して逃げようとはしない。
優しく拭き続けていると、不意に頭が柔らかい感触に包まれた。
「何してるんですか?」
「お前は猫を拭いてろ。俺はお前を拭いてやる」
「ふふ。優しい人」
「手が塞がってる奴がどうやって自分の髪を拭くんだ」
猫を拭いていると、美月の髪を代わりに晴が拭いてくれていた。合理的にやっているまで、と晴は言うが、それが女心を擽るのを晴は知らない。
少し乱暴ではあるがいつにも増して気を遣ってくれている、それを実感すると自然と口角が上がってしまって。
『んにゃぁぁぁ』
そんな美月の喜びに、猫は腹立たしそうに喉を鳴らした。
ただ、猫の感情など分からない美月は、自分に拭かれて喜んでいると勘違いしてしまって、
「はぁぁぁ。可愛いですね」
高飛車な感じも猫の魅力の一つだと、頬を緩めずにはいられなかった。
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