第158話 『 キミは私をダメ女にするつもりっすか⁉ 』
美月が晴に修学旅行の報告をしたように、彼もまた雇い主に報告しようとしていた。
「いやぁ。金城くんが来てくれてから汚部屋から卒業した上に仕事が捗るようになったっす!」
「ミケ先生がこれからも全力で絵を描けるよう、僕も全力でお手伝いします!」
感謝感謝、と満面の笑みを向けてくるミケに、冬真は照れ臭げにはにかむ。
それからミケは快適ー、と言いながらリビングに寝転がると、
「仕事が捗るおかげで休みも増える。休みが増えれば思う存分くつろげる。いやはや、もはやキミなしの生活に戻れる気がしないっす」
「大袈裟ですってミケ先生。あ、そうだ。ここに来るついでにスーパーでお菓子買ったんですけど、一緒に食べますか?」
「食べるっすー!」
瞳を割れんばかりに輝かせながらバッと勢いよく起き上がるミケ。まるで子どものような無邪気さを魅せるミケに、冬真は微笑みを浮かべる。
実は一緒にお菓子を食べたいな、とわずかばかり邪な気持ちがあったことを隠しつつ、冬真はお菓子をテーブルに広げていく。
「ポテチにグミ、チョコと色々あって悩むっす!」
「僕は飲み物用意するので、ミケ先生は好きなもの選んでてください」
「相変わらず気が利く子っすねぇ。あ、私オレンジジュースで!」
「分かりました」
はしゃぐミケの要望を聞き届けて、金城はキッチンへ向かう。
「あ、もうそろそろ空になりそうだ。あとで買っておこう」
ミケご所望のオレンジジュースのパックを手に取れば、あと二杯ほどで空になりそうだった。
ミケが仕事を再開させてからか、あるいは明日にでも飲み物と軽食を用意しておこうと心のメモに書きとどめておいて、冬真はジュースを注いだコップを両手にミケの下に戻る。
「はいどうぞ、ミケ先生」
「むぐむぐ……ありがとうっす」
我慢し切れず既に食べ始めていたミケ。彼女は口をもごもごさせながら礼を言った。
「ほら、金城くんも早く食べないと。じゃないと全部私の胃袋に収まっちゃうっすよ?」
「全部食べてもいいですよ」
「何言ってるんすか。こういうのは一緒に食べるから盛り上がるんでしょう」
「神やぁ」
聖母のごとく寛容なミケに冬真は拝まずにはいられなかった。
神絵師だけでなく現実でも神対応してくるミケ。これはそろそろミケ先生の家に向かって一日に五回礼拝するべきか、と本気で検討しながらも冬真もお菓子を食べ始めた。
「うまうま」
「ふふ。こういうのってなんかいいですよね。僕、友達少ないので少しだけこんなことするのに憧れてました」
「分かりみが深いっす。私も学生の頃は友達ゼロだったんで、何気に誰かと一緒にお菓子を食べる、なんて体験初めてかもっす」
「ミケ先生と僕とじゃ友達がいないにも意味が違ってきますよ」
「いやいや、同じっすよ。私も所詮ただの陰キャでした」
「ミケ先生は陰キャの中の希望の星ですね!」
「ややっ。そこまで褒めらても何も出せないっす」
お互い悲しい過去を暴露しているが、それなのにお通夜みたいな空気が出ないのが不思議だった。美月と話せば「……なんかごめん」といたたまれない空気を出して謝罪されるのに、ミケはこうして深く共感してくれる。
この空気は、冬真にはとても心地が良くて。
「やっぱり僕、ミケ先生とこうしてお話するの好きです……はっ⁉ そもそもこの距離感で話すこと事体光栄だった⁉」
この一カ月、それなりにミケのお側にいる時間が多かったからか、すっかりこの距離感に体が馴染んでしまっていた。
ただ、冷静になって現実を見れば、今冬真と会話しているのは超人気イラストレーターの【黒猫のミケ】先生なのだ。彼女と話すこと。それは、他の人たちからすれば喉から手が出るほど欲しい権利だろう。
「うぅ。やっぱり僕なんかがミケ先生のお隣にいるのは千年早い気がします」
そんな風に自分を卑下する冬真に、ミケはケラケラと笑いながら言ってくれた。
「今更何言ってるんすか。私はキミのおかげで助かってる。それに、私としては、イラストレーターとアシスタントっていう距離感よりも、この距離感でいてくれた方がありがたいっす」
「でも、ミケ先生は神ですし」
「私はただのイラストレーターっすよ」
謙遜も素晴らしい、と両手を握り締めながらミケを崇めるも、そんな彼女から「それやめて欲しいっす」と願いされてしまった。
わずかに冬真の言葉に照れをみせながら、ミケはポッキーを齧りながら嘆息した。
「私はただの生活能力がなくて友達もいないイラストレーターっす。なので、金城くんにはこれからもこの程よい距離感で私を支えてくれると助かるっす。あ、でも料理の方はなる早で上達してくださいっす」
「はいっ。ミケ先生の為に、そっちも全力で精進します!」
ミケから期待を掛けられて奮い立たない男がいないわけがない。冬真もその一人――否、ミケから特別期待されている一人だから、より一層気合を入れる。
掛けられた期待に応えるべく脇を引き締めていると、ミケが「あっ」と何か思い出したような声を上げた。
「でも、この間の卵焼きは美味しかったっすねぇ。また食べたい」
「今から作りますよ!」
「いや今お菓子食べてるからいいっすよ⁉」
気合いが先走ってしまって、リビングに向かおうとする冬真をミケが慌てて止めた。
「ゆっくりでいいっす。焦らず、キミのペースで、私に美味しいご飯を振舞ってください」
「はいっ」
柔和な笑みを浮かべるミケに冬真はわずかに頬を朱くしながら敬礼する。
この時間がいつまで続くかは分からないけれど、ミケの傍にいられるまでは努力を続けようと、そう改めて胸に誓った時だった。
「そうだ金城くん。来週はどれくらい来る予定っすか」
「――えっ」
「え?」
唐突にそんな質問を投げてきたミケに、冬真は素っ頓狂な声を上げた。
戸惑いながら、冬真はミケに確認する。
「あの、ミケ先生。僕言ってませんでしたっけ?」
「何をっすか?」
「僕……来週から修学旅行なんですけど」
「ほえ?」
ミケが目をぱちぱちと瞬かせる。
冬真の記憶が正しければ、先月の末にこの報告をしておいたはずなのだが……、
「すっかり忘れてたっす⁉」
どうやらミケの記憶に残っていなかったらしい。
ようやく思い出したミケは、冷や汗をだくだくと流しながら、
「そ、そうすか。修学旅行すか……ちなみに何泊すか?」
「三泊四日です」
「つまり四日間、私はこの清潔さを一人で保たないといけないと……無理だっ⁉」
「諦めるの早すぎません⁉ たった四日ですよ⁉」
そう言えば、ミケは必死な目で言った。
「準備とか含めたら四日じゃないでしょう!」
「それはそうですけど……」
たしかにミケの言う通り、修学旅行前後日を含めれば一週間近くアルバイトをお休みする訳だが、その相談も前もって相談しているはずだ。その時にミケは『美月ちゃんと班なら心配ないっすね。楽しんできてくださいっす!』と言ってくれたはずなのだが、どうやら忘れてしまっているようだ。
「なら、せめて修学旅行前日に家の掃除しておきましょうか?」
「それはダメっす。せっかくの修学旅行なんすから、思う存分楽しんで来てください」
準備も修学旅行に入るっすよ、とミケが言う。
けれど、ミケはすぐ気恥ずかしそうに指をもじもじさせると、
「ただ、修学旅行の翌日には来てくれると助かるっす」
「それは……元々そのつもりですけど」
まだ子どもでアシスタントの冬真が、年上で雇い主のミケを心配する理由はないが、それでも修学旅行が終わったらすぐにミケの所へ向かうつもりでいた。
その理由もちゃんとあって。
「沖縄なので海が綺麗ですし、観光名所もたくさんありますからね。資料たくさん撮って、すぐにミケ先生にお渡ししようと思ってます」
「おぉ、さすがは気が利くアシスタントくん。私が言わずともきちんとして欲しいことを理解してくれてる」
「伊達に一カ月、ミケ先生にお仕えしていませんからねっ」
ミケに褒められて、冬真はご満悦気に胸を張る。
沖縄ならではの資料がたくさん撮れるはずだ。ならば、イラストレーターのアシスタントとしては写真を撮ってこない選択肢はない。
自分のやるべき事に全力を尽くす姿勢をみせれば、そんな冬真の姿にミケも脇を引き締める。
「いよーし! 私もキミに頼りっぱなしは大人としてダメな気がするっすからね。四日間くらい耐え抜いてみせるっすよ!」
「よっ、流石は天下のミケ先生!」
「にゃはは! もっと褒めてくださいっす! ……ところでお土産の方なんすけど、紅いもタルト買ってきてもらっていいすか? 沖縄って聞いたら食べたくなっちゃって」
「五箱買ってきますね!」
「そんなに食べきれないっすから⁉ キミ私に貢ぎ過ぎっすよ⁉」
「なに、これくらいで満足してもらっては困ります‼」
「キミは私をダメ女にするつもりっすか⁉」
あまりに献身的な冬真に、ミケの方が困惑してしまう。
これもミケ先生ラブだからなせる業だ。そして、ヲタクの習性である。
好きなものにはお金や労力を惜しまない。そういう意味では、冬真はヲタクの中のヲタクだった。
そんな訳で、やたらと献身的な高校生二人の、ダメな大人二人を残して行く楽しい修学旅行が始まろうとしていた。
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